老鶯や貴船鞍馬の幾つ谷
松根東洋城
老鶯をきくズロースをぬぎさして
辻 桃子
老鶯の遍路の森に隠れなす
秋山深雪
老鴬の遠音に厄を落とせしこと
栗林千津
老鶯やしんしん暗き高野杉
石塚友二
※ 老鶯・老鶯(おいうぐいす)・夏鶯・残鶯(ざんおう)
高原や山岳地帯では夏になってもまだ鶯が鳴いている。春を過ぎて繁殖のために山にあがってきて鳴いている鶯を老鶯といい、必ずしも老いた鶯と考えなくてもよい。
→鶯(春)・笹鳴(冬)
【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
※わが友に贈る※
決意即実践だ。
「さあやろう!」
そう決めた瞬間から
勢いよく行動を!
断じて時を逃すな!
2015年6月16日
※今週のことば※
人間革命は会うことから
広宣流布は語ることから
皆が幸福をつかむ
創価家族の世界へ
一人でも多くの友を!
2015年6月14日
※☆*寸 鉄*※
後継の未来部が研修会。未来は君の双肩に。学びに学び、羽ばたけ鳳雛よ。
◇
福島女性の日。うつくしくまを照らす婦女の行進!福光の主役を諸天も讃嘆
◇
「いつも・たいせず信ずるなり」御書。持続の人に栄冠。水の流れる如く
◇
外国人観光客向けに観光ルートを選定ー観光庁。心の交流のチャンスにも
◇
高齢者の地方移住を政府が促進。地域の絆、生きがいの確保等、具体策図れ
※名字の言※
「貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思いこんでいた」。作家の石牟礼道子さんが、『父』(藤原書店)の中で書いていた。石牟礼さんのお父さんは石工で、学校には小学校4年までしか行かなかったという
▼
「親の背を見て子は育つ」とも、「子は親を映す鏡」とも言う。「わたしは極貧の中で育ったが、いじけるということは無かった。人間的プライドを、無学な父から教わったように思う」。石牟礼さんの文章を読むと、これまで出会った、無数の「広布の父」が心に浮かんでくる
▼
ある壮年が久方ぶりに郷里に帰った時、何人もの人に頭を下げられた。そして、必ず言われた。「お父さんには、本当にお世話になってね……」。壮年の父は地域のリーダーで、人に尽くす人だった。多くの人の心に父が生きていることを、壮年は知った
▼
父の口癖があった。「人はのぉ、面倒を見た分しか育たんぞ」。父が伝えようとしたことが、自分が家庭を持って父となり、地域広布に走る今、初めて分かる気がするという
▼
「父の恩の高いことは、須弥山さえも、なお低いほどである」(御書1527ページ、通解)。親孝行は照れくさいもの。だが、どんな人も笑顔になる“魔法の贈り物”がある。それは「ありがとう」の言葉である。 (川)
【聖教新聞:2015年(平成27年)6月16日(火)付】
彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡
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松根東洋城
老鶯をきくズロースをぬぎさして
辻 桃子
老鶯の遍路の森に隠れなす
秋山深雪
老鴬の遠音に厄を落とせしこと
栗林千津
老鶯やしんしん暗き高野杉
石塚友二
※ 老鶯・老鶯(おいうぐいす)・夏鶯・残鶯(ざんおう)
高原や山岳地帯では夏になってもまだ鶯が鳴いている。春を過ぎて繁殖のために山にあがってきて鳴いている鶯を老鶯といい、必ずしも老いた鶯と考えなくてもよい。
→鶯(春)・笹鳴(冬)
【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
※わが友に贈る※
決意即実践だ。
「さあやろう!」
そう決めた瞬間から
勢いよく行動を!
断じて時を逃すな!
2015年6月16日
※今週のことば※
人間革命は会うことから
広宣流布は語ることから
皆が幸福をつかむ
創価家族の世界へ
一人でも多くの友を!
2015年6月14日
※☆*寸 鉄*※
後継の未来部が研修会。未来は君の双肩に。学びに学び、羽ばたけ鳳雛よ。
◇
福島女性の日。うつくしくまを照らす婦女の行進!福光の主役を諸天も讃嘆
◇
「いつも・たいせず信ずるなり」御書。持続の人に栄冠。水の流れる如く
◇
外国人観光客向けに観光ルートを選定ー観光庁。心の交流のチャンスにも
◇
高齢者の地方移住を政府が促進。地域の絆、生きがいの確保等、具体策図れ
※名字の言※
「貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思いこんでいた」。作家の石牟礼道子さんが、『父』(藤原書店)の中で書いていた。石牟礼さんのお父さんは石工で、学校には小学校4年までしか行かなかったという
▼
「親の背を見て子は育つ」とも、「子は親を映す鏡」とも言う。「わたしは極貧の中で育ったが、いじけるということは無かった。人間的プライドを、無学な父から教わったように思う」。石牟礼さんの文章を読むと、これまで出会った、無数の「広布の父」が心に浮かんでくる
▼
ある壮年が久方ぶりに郷里に帰った時、何人もの人に頭を下げられた。そして、必ず言われた。「お父さんには、本当にお世話になってね……」。壮年の父は地域のリーダーで、人に尽くす人だった。多くの人の心に父が生きていることを、壮年は知った
▼
父の口癖があった。「人はのぉ、面倒を見た分しか育たんぞ」。父が伝えようとしたことが、自分が家庭を持って父となり、地域広布に走る今、初めて分かる気がするという
▼
「父の恩の高いことは、須弥山さえも、なお低いほどである」(御書1527ページ、通解)。親孝行は照れくさいもの。だが、どんな人も笑顔になる“魔法の贈り物”がある。それは「ありがとう」の言葉である。 (川)
【聖教新聞:2015年(平成27年)6月16日(火)付】
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