和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心36/小説「新・人間革命」

2015年06月10日 07時23分13秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月10日(水)より転載】

【革心36】

 雨花台烈士陵園で山本伸一の一行は、殉難の記念碑に献花を行った。赤やピンクのバラの花で飾られた花輪を持った二人の訪中団メンバーを先頭に、伸一たちは、記念碑に向かって石畳の上を歩いていった。

 碑には毛沢東による、「死難烈士万歳」の文字が刻まれていた。花輪が供えられた。

 一行は、尊い命を散らせた烈士たちをはじめ、日中戦争で犠牲になったすべての人びとの冥福を祈って、唱題した。南京の大地に、晴れ渡った空に、音吐朗々と、題目の声が響いていった。

 唱題する一行を、ここを訪れていた人びとが、遠巻きにするように見ていた。

 唱題が終わると、伸一は、その人たちに歩み寄って、「〓好!」(こんにちは!)と声をかけ、笑顔を向けた。

 すると、ニコニコしながら瞳を輝かせ、口々に「〓好!」と応える。

 日本人が南京を訪れ、烈士の碑の前で合掌し、唱題する姿に、深く感銘したようだ。伸一たちが、手を差し出すと、大人も、子どもも、笑みを浮かべて握手を交わす。

 亡くなった人を悼み、冥福を祈る心に国境はない。祈りの心は、人間を結ぶ。

 一行を案内してくれた江蘇省の関係者が、「創価学会の山本会長を団長とする、訪中団の皆さんですよ。山本先生は、中日友好の橋を架けられた方です」と紹介した。

 和やかな懇談の輪が広がった。

 伸一は言った。

 「私たちは、烈士の方々をはじめ、戦争で犠牲になったすべての方々の冥福を祈らせていただきました。また、南京の皆さんが永遠に幸せであってほしいと祈りました。

 皆さんのなかには、戦争で、ご家族、ご親戚を亡くされた方もいらっしゃるでしょう。私も、大好きな長兄を失いました。戦争は悲惨です。残酷です。戦争など、絶対に起こしてはならない。

 そのために、私は、日中の平和と友好に、命を懸ける決意でおります」



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郭公(くわくこう)/名字の言 ≪第.1799号≫

2015年06月10日 06時19分41秒 | 今日の俳句
  あるけばかっこういそげばかっこう
       種田山頭火



  郭公や何処までゆかば人に逢はむ
       臼田亞浪



  郭公や浅間の裾が雲を出づ
       水原秋櫻子



  閑古鳥耳無山に鳴きにけり
       松瀬青々



  木石も風もほとけや閑古鳥
       鷹羽狩行



※ 郭公・閑古鳥・かっこ鳥
 ホトトギス科の鳥。五月半ばに南方から渡来する夏鳥で、低山や平地の樹林に生息する。卵を頬白・鵙・葭切などに孵化させる托卵の習性は時鳥と同じである。
 形も大型ではあるがよく似ているので昔から時鳥と混同されたが、鳴き声はクワクコウ、カッコウ、ハッポウなどと聞こえるのですぐに識別できる。羽色は雌雄同色。やはり時鳥に似ている。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





     ※わが友に贈る※


  「仏になるみちは

  善知識にはすぎず」

  善き友こそ人生の宝だ。

  互いを高め合う同志と

  黄金の歴史を築きゆけ!


        2015年6月10日





     ※☆*寸 鉄*※


世界一の婦人部が結成64周年。平和世紀の先頭を舞いゆく母達に幸福あれ

     ◇

群馬の日。敢闘精神に燃え立つ人材山脈は堂々。新たなる共戦譜勝ち綴れ

     ◇

「朝朝・仏と共に起き」。白馬の如き祈りで出発!人生勝利の軌道を確固と

     ◇

熱中症の死亡者、9割が室内で発症と。高齢者多し。水分補給・冷房を賢く

     ◇

子育て・雇用など公明が成長戦略提言。政治は結果が全て。実現へ総力を








     ※名字の言※


二つの難病を抱え、ふさぎ込んでいた男子部員。ほとんど外出せず、家族以外は誰とも合わず一日が過ぎる。唯一、彼を訪ねてくるのは男子部の部長だった



朴訥な部長は、静かに話を聴き、言葉少なに語っては帰っていく。足しげく通うが、特に何かを伝えるふうでもない。「なぜ僕のもとへ?」との疑問に部長は一言。「顔が見たいから」。彼は次第に心を開き、活動に参加するようになった



昨年には牙城会大学校に入校し、弘教も実らせた。今、病に負けず、“今度は自分が励ます番”と訪問激励に歩く。彼に発心の理由を尋ねた。「うまく言えませんが、部長が僕のことを“真剣に祈ってくれている”と感じたんです」。言葉の奥の“真心”は、確かに届いていたのだ



仏法では「肉眼」「天眼」「慧眼」「法眼」「仏眼」の五眼を説く。日蓮大聖人は、「法華経を持つ者は、この五眼が自然に具わる」(御書1144ページ通解)と述べ、事象の奥にある本質を見抜く眼は、信心によって得られると教えておられる



どんな人も仏の命、菩薩の命をもった、かけがえのない人材である。透徹した祈りによって、そう見る眼が磨かれ、相手の心に響く誠実な振る舞いとなって表れる。どこまでも真剣な祈りから、「人材の拡大」は始まることを忘れまい。     (靖)



【聖教新聞:2015年(平成27年)6月10日(水)付】 



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6月9日(火)のつぶやき

2015年06月10日 01時50分56秒 | 今日の俳句