和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

慈悲心鳥/名字の言 ≪第.1801号≫

2015年06月12日 06時19分26秒 | 今日の俳句
  慈悲心鳥こだまの奥は濡れており
       国武十六夜


  慈悲心鳥おのが木魂に隠れけり
       前田普羅


  慈悲心鳥悉(ことごと)く濡る樺の肌
       和田照海


  十一や西湖ここより溶岩(らば)の岸
       皆吉爽雨


  慈悲心鳥風暮るるまで西行庵
       角川春樹






※ 慈悲心鳥・十一
 ホトトギス科の四種のうちこの鳥だけは羽毛がはっきりと違う。頭から背面にかけて灰黒色で、尾羽は灰褐色。腹は錆びた赤色。
 ジュイチー、ジュイチー(十一)、もしくはジヒシン、ジヒシン(慈悲心)と鳴くのでこの名がある。日本の時鳥類では最も標高の高い所にまで生息。五月に南方から渡来する。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





     ※わが友に贈る※


  創価の座談会には

  信心の触発がある。

  和楽の喜びがある。

  皆で朗らかに集い

  爛漫たる対話の花を!


        2015年6月12日





     ※☆*寸 鉄*※


学会の皆様の一歩は世界を幸福に導く一歩ー博士(ロシア)。対話と励ましの光跡描け

     ◇

墨田「女性の日」。庶民の王国はいつも晴れやか!闊達な婦女の連帯(スクラム)ありて

     ◇

「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」。仏法即社会。青年は大誠実で輝け

     ◇

小学生8割強がいじめの被害・加害、両方経験と。生命尊厳の教育を今こそ

     ◇

今年も脱講者続出の日顕宗。末寺は疲弊。信者うんざり。邪宗門の末路無残




     ※名字の言※


とても風の強い朝だった。いつも、出勤途中に見る花壇で、人の膝ほどの高さに育った花々が身をしならせ、風に耐えていた



動物であれば、吹き付ける風や、暑さ寒さをしのごうと、移動することもできる。だが、大地に根を張る植物は、試練から自力では逃れられない。その分、環境に適応し、生き延びるために培った“知恵”がある



暑さに弱い植物は夏を、寒さに弱い植物は冬を、種子の形で乗り切り、温暖な秋や春に花を咲かせる。それには本格的な夏や冬が、いつなのかを事前に知る必要がある。その役割を果たすのは葉だ。毎晩、夜の長さを測る役割を担っている



今月22日は夏至で、夜の時間が最短となる。この日から夜が長くなるのを察知することで、植物は本格的な夏の到来を知る。反対に、冬至から、だんだんと短くなる夜を感じ、寒い冬に備える



こうした植物の特性から、学べることがある。苦難のない人生などない以上、それを受け止め、乗り越えるための知恵を磨くことだ。日蓮大聖人は、難を乗り切るにはまず「前前の用心」が大事であるとし、「法華経の兵法」すなわち、強盛な信心が根本と教えておられる(御書1192ページ)。「以信代慧」の智慧を涌かせ、人生勝利の花を開かせていきたい。           (城)




【聖教新聞:2015年(平成27年)6月12日(金)付】 



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革心38/小説「新・人間革命」

2015年06月12日 05時44分27秒 | 今日の俳句


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月11日(木)より転載】

【革心38】


 十六日午後、訪中団一行は、梅園新村記念館を訪れた。ここは、一九四六年(昭和二十一年)五月から翌年三月まで、中国の国民党と共産党の和平交渉が行われた折、周恩来らが事務所、宿舎とした場所である。

 中国では、三七年(同十二年)に第二次国共合作が成り、抗日民族統一戦線をつくって日本と戦った。四五年(同二十年)、日本はポツダム宣言を受託し、連合国に無条件降伏し、中国は勝利を収めたのである。

 しかし、国共両党の対立は激しさを増していった。アメリカは、内戦を避け、中国に連合政府を樹立させようと、両党の仲介をした。八月末に、共産党の毛沢東、周恩来らが、国民党の政府が置かれた重慶へ行き、蒋介石と和解の話し合いを開始した。その結果、停戦協定が成立し、政治協商会議がもたれ、和平への流れが開かれたかに見えた。

 だが、その後、事態は紛糾していく。

 四六年(同二十一年)五月、国民党は政府を重慶から南京へ移す。それにともない、共産党は、南京の総政府に近い、この梅園新村に事務所を設け、周恩来が国民党との折衝にあたったのである。妻の頴超も、ここに住み、和平の道を開こうと懸命に努めた。彼女は、この時、政治協商会議の中国共産党代表七人のうち、唯一の女性であった。

 記念館には、机やソファ、ベッド、書籍などが、当時のまま保管されていた。

 展示品のなかに、赤い数個の石があった。それは、雨花台で犠牲になった、殉難者たちの、血潮に染まったものであるという。夫妻が、何度となく、激務の間を縫うようにして雨花台に足を運び、拾って持ち帰ったのだ。同志たちに、その石を見せ、尊い命を散らした先人の魂を受け継ぎ、新しい中国を築いていくように訴えてきたのである。

 殉難を恐れぬ敢闘の精神と行動があってこそ、改革は成就する。平和建設の道においても同じだ。いくら高邁な理想を口にしても、それを成し遂げる強靭な意志と具体的な実践なくしては、平和を勝ち取ることはできない。







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6月11日(木)のつぶやき

2015年06月12日 01時46分23秒 | 今日の俳句

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