和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

大道43/小説「新・人間革命」

2015年04月01日 09時27分03秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 4月1日(水)より転載】



【大道43】

 山本伸一は、さらに訴えた。

 「第二に、支部の皆さんのために尽くすことは、広宣流布のためであり、その功徳は無量です。ゆえに、人材育成の労苦は、すべて自分のためであることを確信してください。

 第三に、一生成仏への最も尊い仏道修行をさせていただいているのだという感謝と喜びをもって、強盛な信心を貫いてください。

 第四に、支部の皆さん全員が、功徳を受けきっていくように、日々、深き祈りを捧げる、慈悲のリーダーであっていただきたい」

 彼は、支部総会の開催を前にして、支部長・婦人部長としての最も根本的な心得を語っておきたかったのである。

 そして、伸一は、こう話を結んだ。

 「日々の生活も、広宣流布の道も、決して順風満帆な時ばかりではありません。辛い時も、苦しい時もあるでしょう。しかし、行き詰まったらお題目です。私たちには、御本尊があるではありませんか!

 強盛な信心、強盛な祈りこそが、一切を開き、決定づけていきます。唱題第一に、悠々たる境涯を開いてください。

 泥沼のような現実の世界で苦闘を重ね、幸福と勝利の白蓮のごとき大輪を咲かせ、大実証を示していくのが地涌の菩薩なんです。

 皆さんは、誉れの東京の“晴れの支部長”であり、“花の支部婦人部長”です。自信と確信に満ち満ちた一歩前進の指揮を頼みます。

 最後に、『大東京、万歳!』と申し上げて、私のあいさつとさせていただきます」

 感激のうちに、歴史的な東京支部長会は幕を閉じた。

 伸一は、この「ああ感激の同志あり」の歌詞を毛筆で認めた。その冒頭に、東京を舞台に広布に走り戦う八十万の地涌の友が、無事、安穏の日々であるよう、ひたすら祈りながら、一詩を詠んだことを記した。そして、大東京が永遠なる勝利の都であることを願い、万感の思いを込めて、こう綴っている。

 「ここに再び 大切にして 尊き佛子の 慧光照無量 寿命無数劫 を祈り贈る」



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四月馬鹿/今日の俳句 ≪第.1729号≫

2015年04月01日 06時48分11秒 | 今日の俳句

■<2015年(平成27年4月1日(水)>■



◆今日は何の日・毎日が記念日◆
 
○ エイプリルフール・万愚節
罪のない嘘をついて良いとされる日。日本では「四月馬鹿」とも呼ばれる。
その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフールの始まりとされている。
また、インドでは悟りの修行は春分の日から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。

○ 新学年
学年度始めの日。4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括る。
元々日本では、特に入学の時期は定められておらず、年中入学可となっているのが普通だった。1886(明治19)年10月に、高等師範学校が学年暦を4月1日からと定め、1888(明治21)年から全国一斉にこれにならうようになった。ただし、大学や高等学校では欧米の習慣に合わせて9月に新学期を始めていた。
4月1日生まれの人は、前年度の3月生まれの人と一緒に入学することになる。これは、学校教育法で保護者は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から(中略)就学させる義務を負う。と規定しているためである。「年齢計算ニ関スル法律」では年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算スとし、「民法」第143条では年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了することとしている。つまり、4月1日に生まれた人は、その6年後の3月31日をもって五歳の期間が満了することになり、その翌日の4月1日に始まる学年から小学校に入学するのである。

○ 新会計年度
4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括る。
江戸時代までは、暦年とは別の「年度」というものはなく、1月から12月までで会計を行っていた。しかし、明治維新の後、政府の財政が苦しく、暦年と合わせることができなくなって「年度」が作られた。その為、当初は年度の始期が頻繁に変えられた。1886(明治19)年に、現在の4月から翌年3月までとなった。
会計年度の始期が4月1日となったのは、秋の収獲後の徴税の都合の為であるとされている。また、イギリスでかつて3月25日を新年としており、金銭の精算に一週間の猶予が認められていたからとする説もある。

○ トレーニングの日
スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが1994年に制定。
年度始めからトレーニングを始めようという日。

○ 不動産表示登記の日
1960年のこの日、「不動産登記法」が改正され、「表示登記」(現在は「表題登記」)という概念が作られた。

○ 児童福祉法記念日
1948年のこの日、「児童福祉法」が全面施行された。
児童福祉法公布記念日 12月12日
児童福祉週間 5月5日~5月11日

○ 売春防止法施行記念日
1957年のこの日、「売春防止法」が完全施行された。
この前日までに、売春が行われていた「赤線」の店は一斉に廃業した。

○ オンライントレードの日
大和証券が制定。
1996年のこの日、大和証券が日本初のインターネットでの株式の取扱いを開始した。

○ ストラップの日
ストラップの販売・制作を行うストラップヤが2009(平成21)年に制定。
1991年のこの日、初めてストラップ用の穴が開けられた携帯電話が発売された。

●三鬼忌,西東忌
新興俳句運動の旗手・西東三鬼の1962年の忌日。
※経歴
岡山県苫田郡津山町大字南新座(現在の津山市南新座)、父・敬止、母・登勢の四男として生まれる。
家は代々漢学者の家系。1906年、父死去、以後長兄の扶養を受ける。高等小学校時代は条虫にかかり虚弱であった。1918年には当時大流行したスペイン風邪で母が死去し、東京の長兄のもとへ移住。岡山津山中学校(現岡山県立津山高等学校)、青山学院中等部を卒業を経て、同高等部を中退。
1921年、日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)に進学、1925年同校を卒業。同年秋に結婚し、長兄在勤のシンガポールに渡り歯科医を開業。1928年、不況による反日運動の高まりと自身のチフス罹患のため帰国し、東京の大森で医院を開業する。
1932年、埼玉の朝霞綜合診療所歯科部長に就任。自営を廃業。1933年、東京の神田共立病院歯科部長に就任。

1933年、医師業のかたわら、外来の患者の誘いにより俳句を始める。「三鬼」の号はこの時に即座のでたらめで作ったという(「サンキュー」のもじりだとしている文章もある)。同年中に紹介を受け、三谷昭らによって創刊されたばかりの新興俳句系の俳誌「走馬燈」に投句。
翌年1月にはやくも同人に推され自選欄での発表を始めるが、1936年までは平行して「青嶺」「天の川」「ホトトギス」「馬酔木」「京大俳句」など各誌に投句している。これらの投句先は新興俳句系・伝統系さまざまであり、三鬼が特定の師につく考えがなかったことがわかる。
1934年末、新興俳句系各誌の連絡機関として「新俳話会」を設立。のちに発展的に解消し「十士会」となる。

1935年3月、同人誌「扉」を創刊。4月、平畑静塔の招請で三谷昭らとともに「京大俳句」に参加。以後同誌を主な活動の場とし新興俳句運動の中心的な存在の一人となる。1937年、無季俳句の制作に没頭、特に戦争を主題とした句を多く作る。
1938年、胸部疾患を再発、腰部カリエスを併発し一時危篤に陥るが、奇跡的に回復。これを期に医業を辞め、シンガポール時代からの知り合いを頼り小貿易商社の社員となる。1940年3月、「十士会」を母体として「天香」を創刊する。
8月、いわゆる京大俳句事件に連座し検挙を受け、執筆活動停止を命じられ起訴猶予となる。以後、戦後まで5年間句作を中止。1942年、商社を退社し、妻子を東京に置いて単身で神戸に移住。翌年、のちに「三鬼館」と呼ばれることになる西洋館(生田区山本通)に住まいを移す。

1947年、石田波郷、神田秀夫と現代俳句協会を設立。この頃山口誓子の疎開原稿句集『激浪』に感銘を受けて誓子に近づき、1948年に誓子を擁して「天狼」を創刊。また鈴木六林男らの同人誌「雷光」に招聘され指導者として参加。
12月、平畑静塔の世話で大阪女子医科大学附属香里病院歯科部長に就任、2月に移っていた兵庫県加古郡別府町から大阪府北河内郡寝屋川町に移住する。1952年、「断崖」を創刊、主宰。 1956年、香里病院を辞し神奈川県三浦郡葉山町に移住、角川源義の斡旋で角川書店の総合誌『俳句』編集長に就任。
翌年に辞職し俳人専業となる。1961年、胃癌を発病。年末に俳人協会の設立に参加。1962年4月1日、永眠。角川書店本社楼上にて初の俳壇葬が営まれた。墓所は津山市の天法輪山成道寺。没後に第1回俳人協会賞が贈られる。1992年、故郷津山市で三鬼の業績を記念し「西東三鬼賞」が創設された。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



     ※今日の俳句※



  丸の内界隈四月馬鹿の日や
       村山古郷



  木馬ほか天地の廻る四月馬鹿
       石原八束



  万愚節雲にのりたき日なりけり
       澤井我来



※ 四月馬鹿・万愚節・エープリル・フール
 四月一日。その日や、騙された人およびその嘘のことをいう。この日は嘘をついても許されるとされ、万愚節、エープリル・フールなどといわれる。ヨーロッパ起源の風習で日本には大正年間に伝わった。

【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」雄山閣・より転載】





     ※わが友に贈る※


  躍動の春本番!

  大いなる誓いが

  大いなる歴史を開く。

  若々しい息吹で

  希望に燃えて出発だ!


       4月1日



【聖教新聞:2015年4月1日(水)付】



     ※名字の言※


初の国産旅客機「YS-11」の就航から、きょうで50周年。日本の空を日本の翼でーー国民の期待を集めた開発は、戦後復興を象徴する一大プロジェクトだった            



開発の最終盤、操縦に関する致命的な欠陥が浮上した。国際的な権威を持つ米国の機関に不適格の判断を示され、計画は暗礁に。マスコミから批判され、受注契約も減少する。この最大の難局を打開したのは、若い一技術者だった



彼が外国の航空雑誌を読んでいた時のこと。ある記事が目に留まった。本格的な技術論文ではなく、一般に市販される本の、操作性の改善方法について概説した、たった数行の記述だ。それは、経験豊富な先輩たちが、はなから選択肢からはずしていた方法だった



だが、その数行に示された方法が、危機を一気に打開した。中心者の一人が述懐する。「大学を出て、ほんの数年しかたっていない彼らだが、よく働いた。困り抜いているときだったから、見過ごしそうな数行にもピンと閃いたのだね」(前間孝則著『YSーー11』講談社)



成功か失敗かの剣が峰に立つ時、必要なのは大胆さと勇気であろう。“過去はこうだったから”という先入観も、遠慮もかなぐり捨てることである。そこに、真の団結が築かれ、逆境をはね返す勢いが生まれる。     (鉄)



【聖教新聞:2015年(平成27年)4月1日(水)付】



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