和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

大道63/小説「新・人間革命」

2015年04月24日 05時57分59秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 4月24日(金)より転載】



【大道63)


 北海道の歌「ああ共戦の歌」は、北海道音楽隊のメンバーが作曲を担当し、山本伸一の入会記念日にあたる八月二十四日の「聖教新聞」に、歌詞と楽譜が発表された。

 二〇〇六年(平成十八年)四月、二十一世紀の行進にふさわしいものと、新たな曲が作られた。歌の誕生から三十周年を迎えた〇八年(同二十年)九月、伸一が加筆し、歌の題名も(三代城の歌)となったのである。

 北海道は、初代会長、牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖が育ち、巣立っていった飛翔の舞台である。また、第三代会長の伸一が青年時代に、小樽で、札幌で、夕張で、勝利の旗を打ち立てた広宣流布の新天地である。

 広布の歩みには、どれ一つとして楽な戦いなどなかった。いかに最悪な状況でも、最後の最後まで、闘魂を燃え上がらせ、大地に身をなげうと思いで、粘りと執念で勝ち開いてきた必死の闘争であった。しかし、苦闘の果てには、燦然たる栄光が待っている。

 北海道は永遠に師の魂を受け継ぐ、師弟共戦の大地であらねばならぬーー「三代城の歌」は、伸一の、その祈りの結晶であった。


   一、 ああ北海に 聳え立つ

      万里の長城 広宣の

      恩師と共に 厳たりき

      春夏調べの 大行進

      ああ共戦の 花武者と


   二、 ああ雄大な 曠野あり

      銀の世界は 大雪山

      我等健児は いざ起たむ

      秋冬誇りの 前進は

      歓喜に踊る 花の旅


   三、 ああ大河あり 滔々と

      広宣流布は 我が使命

      世紀の海を 乗り越えて

      三世に光る この世をば

      祈り舞わんと 花吹雪

      師弟共戦の 三代城




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山吹/今日の俳句 ≪第.1752号≫

2015年04月24日 05時54分22秒 | 今日の俳句
◇<2015年(平成27年4月24日(金)>◇

◆アルゼンチン 同国初「核兵器なき世界への連帯」展 “池田思想”学ぶ学術会議も◆

 南米アルゼンチン共和国のサンフアン市で10日~19日、SGI(創価学会インタナショナル)が制作した「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展が開かれた。
 同展の開催はアルゼンチン初。開幕式(10日)では、同市から池田SGI会長夫妻に「文化に傑出した人物」称号が授与された。国立コルドバ大学元総長で、池田大作国際平和研究センターのフランシスコ・デリッチ所長らが祝福に駆け付けた。
 これに先立つ9日には、同平和研究センターと国立サンフアン大学の共催で、“池田思想”を巡る学術会議も開かれた。

【聖教新聞:2015年4月23日(木)付】
http://www.seikyoonline.jp/index.html




     ※今日の俳句※



  山吹の真昼を伎芸天伏目
       井沢正江



  童女とて愁ひ顔より濃山吹
       倉橋羊村



  奥能登や山吹白く飯白し
       前田普羅




※ バラ科の落葉低木。日本原産で各地の山野渓谷に自生する。晩春から黄金色の五弁花を咲かせる。花には一重と重弁とがある。
 山吹にまつわる話は多くあり、太田道灌が狩りの途中に雨に遇い、農家で蓑を借りようとすると、若い女が山吹の花を差し出した話は有名(『常山紀談』)。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】




     ※わが友に贈る※


  自身の最高峰へ

  たゆまず登りゆけ!

  信仰とは挑戦の心だ。

  恐れなき精神だ。

  向上への行動だ。


        4月24日




     ※☆*寸 鉄*☆


「名を揚るか名をくだすかなり」。青年よ後継の証を残せ。まことの時は今

     ◇

千葉・習志野市、木更津市よ執念の一押しを最後まで!粘り強さで勝ち抜け

     ◇

岐阜・関市、中津川市が起死回生の大猛追。総力戦で威風堂々の凱歌を!

     ◇

人と交流少ない高齢者ほど健康リスク増大と。学会活動は幸福人生の王道

     ◇

広島市で被爆体験継ぐ伝承者が活動開始。語り続けるーここに平和の光が


【聖教新聞:2015年4月24日(金)付】





     ※名字の言※


北海道の有珠山は、20世紀の100年間で4度も噴火した、世界有数の活発な火山である。最後に噴火したのは2000年(平成12年)3月。今春で15年となる



理容師暦50年を超える地元・洞爺湖町の地区部長は、短大に入学する娘のアパート代を振り込むため外出して、被災した。避難所生活の中、学費捻出のため、毎日のようにアルバイトを。“苦しい時こそ人のために”と、夫婦で被災者へのボランティアカットも行った



避難所にパイプ椅子一つの即席理容室。質素だが、いつも人々の笑顔が広がった。人に尽くす生き方が、どれほど深い喜びに満ちているかーー両親の背中を見て育った娘は、やがて母に。自らも福島で東日本大震災に遭い、家業の酪農が打撃を受けたが、“私も両親のように”と地域貢献に励み、復興の歩みを続けている



有珠山のことを、地元の同志は「太陽山」とも呼ぶ。「有珠山は苦難の象徴です。でも、強い信心があれば、苦難は飛躍の力に変えられる。だから私たちにとっては、希望を開くための、太陽の山です」



御書に「法華経の行者は日輪と師子との如し」(1219頁)と。日蓮仏法は「太陽の仏法」。自らが「太陽」と輝き、一家、地域を希望で照らすのが、われらの人間革命の運動である。     (鉄)



【聖教新聞:2015年(平成27年)4月24日(金)付】



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4月23日(木)のつぶやき

2015年04月24日 01時46分24秒 | 日本