和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若芽19/小説「新・人間革命」   

2013年11月12日 06時50分59秒 | 新・人間革命

      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)11月12日(火)より転載】


o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪

若芽19(11/12)

 起工式を終えた東京創価小学校は、一九七八年(昭和五十三年)四月の開校をめざして、準備に入った。

 それからほどなく、国分寺市教育委員会から、国分寺市北町の建設予定地を史跡指定地とする旨の連絡があった。

 この土地に校舎を建設するには、遺跡調査を行い、出土品等はないことが確認されなければならない。その調査には時間もかかるし、出土品があれば、いつ工事に着手できるかもわからないのだ。そうなれば、七八年四月の開校は難しくなる。

 設立準備委員会のメンバーは困惑した。

 物事は、順調に運ぶとは限らない。いや、何事かを成そうとするなら、必ず予期せぬ困難が生じよう。その時に、活路を見いだそうと、懸命に知恵を絞り、粘り強く努力を重ねていくなかで、より良い、新しい道が開かれていく。それは、仏法で説く「変毒為薬」(毒を変じて薬と為す)にも通じよう。困難や試練に負けず、すべてをバネに、意気盛んに挑戦していってこそ、飛躍と勝利があるのだ。

 また、設立準備委員会の委員たちは、児童の健康のために、教室の窓が南向きになる校舎の建設を希望していた。しかし、国分寺市北町の建設予定地では、敷地の関係から、それが実現できないことが判明した。

 これらの事情を考慮し、創価小学校は、創価学園グラウンド南側の小平市上水新町に変更してはどうかとの意見が出された。この提案は、創価学園理事会に諮られ、検討の結果、決定をみたのである。

 それにともない、全体の設計も大幅に変更された。最終的に、校舎は、鉄筋コンクリート造りの三階建てで、普通教室は十八室。そのほかに音楽室、理科室、工作室、家庭科室、図書室、作法室、保健室、食堂などを備えた、延べ面積約六千二百平方メートルの校舎が造られることになったのである。

 開発の手続きや建築確認申請などを経て、工事が始まったのは、七七年(同五十二年)五月一日であった。



o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪



凩(こがらし)/今日の俳句 第1408号

2013年11月12日 06時21分56秒 | 今日の俳句

凩(こがらし)/今日の俳句 第1408号



◇凩(こがらし)/今日の俳句◇
       ◇※第1408号※◇
      

 2013年(平成25年)11月12日(火)

☆彡------☆★☆*------☆


■ 11月12日。
○ 洋服記念日。
 全日本洋服協同組合連合会が1972(昭和47)年に制定。
 1872(明治5)年のこの日、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出され、それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止された。
 服の日 2月9日
 いい服の日 11月29日

○ 皮膚の日。
 日本臨床皮膚科医学会が1989(平成元)年に制定「い(1)い(1)ひ(1)ふ(2)」の語呂合せ。
 よいお肌の日 4月18日
 いいお肌の日 11月8日



【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


☆彡------☆★☆*------☆


   ■※今日の俳句※■


  木がらしや東京の日のありどころ
         芥川龍之介


  何処をどう歩いて海のこがらしか
         林田紀音夫
  

  こがらしの樫をとらへしひびきかな
         大野林火


【季語の解説】
※ 凩(こがらし)→木枯・こがらし→北風。
 晩秋から初冬にかけて吹く北西寄りの強い風。木を枯らすほど吹きすさぶことからこう呼ばれる。
 厳冬の北風ほど酷烈ではないが、烈しい音を立てて吹きまくり、冬の到来を告げる。

【「合本 俳句歳時記(第三版)角川書店」より転載】


☆彡------☆★☆*------☆

※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)11月12日(火)より転載】


☆彡------☆★☆*------☆


   ※わが友に贈る※

  「妙とは蘇生の義なり」

  どんな宿命も

  使命へと変えるのが

  我らの仏法だ。

  人間革命の凱歌を共に!


      ◇※11月12日※◇


☆彡------☆★☆*------☆


    ◇※名字の言※◇


 関西出身の青年部員と語らい、話題は「大阪の戦い」に。1956年(昭和31年)5月、当時の大阪支部は、28歳だった池田名誉会長の指揮のもと、1カ月で1万1111世帯の弘教を果たした



青年は、草創の先輩に聞いたという。「当時、ほとんどの関西の友は、これほど弘教が進んでいるとは知らなかった。ただただ、“池田先生にお応えしたい”との一心で走り抜いた」と。“広布のため”と祈り、勝ち開く中に、自他共の幸福と未来は築かれる



福島県の広野町は原発事故による避難指示が解除された今も、2割ほどの住民しか戻っていない。帰還した少数の同志は、「復興を目指す私たちの前進の実証で師に応えたい」と約し合う。“町に希望を送ろう”と、それぞれに本紙の購読推進を決意した



今月、愛読の輪が一段と広がった。住民が5分の1になるなか、友人読者は震災前よりも多くなった。「思いもしなかった拡大は、もちろん、うれしい。でも、それ以上の喜びは、思い、願い続けた“弟子の誓い”を果たせたこと。新生・東北を築く力になります」と、ある友



心に刻んだ“不滅の金字塔”は、色あせることはない。人生の勝利へ走り続けるための“灯台”として、その人を励まし続ける。
        (代)
 
☆彡------☆★☆*------☆


◆浩ko・ 編集後記◆
 今日も有難う御座います。和井弘希です。皆さまのご健康と無事故をお祈りしております。
 
  凩やなみにのりたゐといふ女
         和井弘希

○ 心平忌。
 詩人の草野心平の1988(昭和63)年の忌日。
※ 1903-1988 大正-昭和時代の詩人。
明治36年5月12日生まれ。草野天平の兄。中国広州の嶺南大を中退。在学中の大正14年詩誌「銅鑼(どら)」を創刊。
 帰国後の昭和3年アナーキスティックな心情を蛙(かえる)に託した第1詩集「第百階級」をだし,「学校」を創刊。10年「歴程」創刊に参加し,戦後は主宰する。
 23年「定本蛙」で第1回読売文学賞。50年芸術院会員。62年文化勲章。昭和63年11月12日死去。85歳。福島県出身。
 【格言など】蛙はでつかい自然の讃嘆者である(「第百階級」)

【デジタル版 日本人名大辞典】


☆彡------☆★☆*------☆




11月11日(月)のつぶやき

2013年11月12日 01時37分28秒 | 日本

慰安婦問題で安倍首相が朝日新聞にガチ批判!「河野談話の発端は朝日のせいだ」: youtu.be/VH_qqtZXdGw @youtubeさんから


慰安婦問題で安倍首相が朝日新聞にガチ批判!「河野談話の発端は朝日のせいだ」 goo.gl/nkwk2p


ブログを更新しました。 『冬の星/今日の俳句 第1407号』 amba.to/19STRew