和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若芽18/小説「新・人間革命」    

2013年11月09日 09時07分23秒 | 新・人間革命

若芽18/小説「新・人間革命」

      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)11月9日(土)より転載】


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若芽18(11/9)

 東京に開校する創価小学校の設立準備委員会では、「二十一世紀を担う人材の育成」を目標の柱と定め、教育の在り方をはじめ、学校の規模や児童数、建設用地などが具体的に話し合われていった。

 一九七六年(昭和五十一年)四月に創価大学の教育学部が開設されることから、当初、東京・八王子市の大学隣接地に小学校を建設することが検討された。

 しかし、交通の便の関係上、児童の通学に時間がかかるため、東京・小平市の創価中学・高校に隣接した、国分寺市北町に建設されることになった。

 設立準備委員会の会議には、山本伸一も創立者として可能な限り出席し、経過報告に耳を傾け、委員たちの労をねぎらった。また、自身の教育にかける決意を語り、皆のいっそうの尽力を念願した。

 七六年四月の設立準備委員会では、「東京創価小学校」を正式名称とすることが決定した。起工式が挙行されたのは、その年の十一月三日であった。創価教育の父・牧口常三郎の三十三回忌となる、十一月十八日を目前にしての起工式である。伸一は、深い感慨を覚え、心で牧口に語りかけていた。

 “牧口先生! 先生は、国家のための人間をつくろうという教育の在り方に抗して、子ども自身の幸福を実現するために、創価教育を掲げて立たれました。今、その創価一貫教育の学舎が、この小学校の建設をもって、完成を迎えます。

 どうか、新世紀を、五十年先、百年先をご覧ください! 人生の価値を創造する人間主義教育の成果として、数多の創価教育同窓生が燦然と輝き、世界の各界に乱舞していることは間違いありません”

 伸一は、先師・牧口常三郎と、まみえることはなかった。しかし、彼の胸中には、恩師・戸田城聖と共に、常に牧口がいた。戸田を通して牧口を知り、戸田の先師への誓いを、わが誓いとしてきた。誓願の継承こそが、師弟の生命にほかならない。


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冬の雲/今日の俳句 第1405号

2013年11月09日 07時21分59秒 | 今日の俳句


◇冬の雲/今日の俳句◇
       ◇※第1405号※◇
      

 2013年(平成25年)11月9日(土)

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■ 11月9日。
○ 119番の日。
 消防庁が1987(昭和62)年に制定。電話番号119に因んで。この日から1週間は「秋の全国火災予防運動」が行われる。
 110番の日 1月10日
 119番の日 11月9日
 家庭消火器点検の日 1月19日

○ 換気の日。
 日本電機工業会が1987(昭和62)年に制定。「いい(11)くう(9)き」の語呂合せ。
最近の住宅はアルミサッシの普及等で気密性が高く十分な換気が行われないので、室内の換気を見直してもらうことが目的である。

○ 太陽暦採用記念日
 1872(明治5)年のこの日、明治政府が、それまでの太陽太陰暦(旧暦)をやめて太陽暦(新暦)を採用するという詔書を布告し、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とすることになった。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   ■※今日の俳句※■


  実のあるカツサンドなり冬の雲
         小川軽舟


  自動ドア閉ぢて寒雲また映す
         松倉ゆずる
  

  海見えて芙美子流転の冬の雲
         岡澤康司


【季語の解説】
※ 冬の雲→冬雲・凍雲・寒雲。
 時雨模様や雪催いの日は雲も暗く陰鬱だが、晴れた日に空を半ば閉ざしたような冬の雲は、色といい姿といい、実に美しい。「凍雲」は寒空にじっと動かずにいる雲。

【「合本 俳句歳時記(第三版)角川書店」より転載】


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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)11月9日(土)より転載】


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   ※わが友に贈る※

  創価の不滅の原点は

  「一人立つ精神」。

  平和と幸福拡大の

  全権大使として

  堂々と正義を語れ!


      ◇※11月9日※◇

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    ◇※名字の言※◇


「冨獄三十六景」などで知られる。日本を代表する浮世絵師・葛飾北斎。19歳の時。勝川春章の弟子となり、「勝川春朗」と名乗った。以来、「宗理」「辰政」「画狂老人」をはじめ、90年の生涯で使った画号は「30」を超える



画号とは、作品に記す本名以外の名前のこと。画号を変えた理由はさまざまあろうが、北斎は多彩な画風を持つ。画号の変更は、新しい画風に挑む心意気のあらわれとみたい。「名は体を表す」からである



東京・信濃町にそびえ立つ総本部が「広宣流布大誓堂」と命名された。ここに集った友が創価の三代会長の精神を受け継ぎ、広宣流布の前進を固く誓い、生まれ変わった決意で出発する。「師弟誓願の大殿堂」との意義が込められている



日蓮大聖人は「一切の物にわたりて名の大切なるなり」(御書903頁)と。天台大師は法華経を解釈する際、まず、妙法蓮華経という名について論及し、法華経こそが最高の経典であることを明らかにした。それほど名前は大切なのである。



建物と人間精神の関係を見つめた文豪ゲーテ。『フアウスト』に、こう書いた。「同じことなら精神を高揚させる建物を願いたい」(池内紀訳)。広宣流布大誓堂とともに、世界広布新時代へ出発する時が来た。
        (川)
 
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◆浩ko・ 編集後記◆
 今日も有難う御座います。和井弘希です。皆さまのご健康と無事故をお祈りしております。
 
  冬雲と溜まっているのは男です
         和井弘希


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11月8日(金)のつぶやき

2013年11月09日 01時34分14秒 | 暦日抄