行く年/今朝の俳句 ※No.1148※
行く年/今朝の俳句
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2012年(平成24年)
12月30日(日)
※No.1148※
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※今日の記念日※
■ 地下鉄記念日。
1927(昭和2)年12月30日、上野~浅草に日本初の地下鉄(現在の東京地下鉄銀座線)が開通した。
■ 取引所大納会。
証券取引所での一年最後の立会い。この日は午前中(前場)で取引を終了する。
かつては12月28日だったが、証券業界の業績不振から少しでも営業日数を増やすために大納会が12月28日から30日へ、大発会が1月6日から4日へ変更された。
12月30日が土・日曜日の場合は、その直前の営業日となる。
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
http://www.nnh.to/12/30.html
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※今朝の俳句※
ゆく年や山にこもりて山の酒
三好 達治
行年の人や嶮しき秤の目
西山 泊雲
蛾を救ひその灰色をふりむかず
加藤知世子
■ 横光利一忌。
※ 横光 利一(よこみつ りいち、1898年(明治31年)3月17日-1947年(昭和22年)12月30日)は、日本の小説家・俳人である。
菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍した。
本名は横光利一(としかず)。
横光の名を冠したものとして、父の故郷の大分県宇佐市でおこなわれる横光利一俳句大会がある。
これは横光が松尾芭蕉の家系を引くことや(その後の調査で血縁関係はないことが判明)。
また本人も数多くの句を作ったところよりきている。
■ 西山泊雲 (にしやま はくうん)。
西山泊雲は本名を亮三と言い、明治10年4月3日、市島町の西山酒造の長男として生まれました。
少年時代には「山東義塾」「山西義塾」などで漢詩を習い文学少年でしたが、長男として稼業を継がなければならないと言う宿命と自分の夢のギャプとの間で悩み、三度に渡って家出を繰り返します。
まず最初は14歳の時、この時は神戸に行き、西洋人のボーイになって一生懸命働き、その仕事ぶりを見込まれて、アメリカかイギリスに渡ろうと企みましたが、14~15日して探しに来た父に見つかり連れ帰られたそうです。
二度目は16歳の時に今度は京都へ家出。
そして、三度目は17歳の時、太平洋の無人島で宝島を探しに行くと言う人物に付いて、33トンの小船に乗り込みましたが脚気のために断念します。
この頃から泊雲は、だんだんと神経衰弱に陥り、自殺まで考えるようになりました。
そんな泊雲を救ったのは、弟で、ホトトギスの俳人でもあった野村泊月でした。
明治36年に泊月の紹介で高浜虚子に会い、その後、俳句に没頭することで少しずつ立ち直り、遂には、弟の泊月と並び「丹波二泊」と称されるまでになりました。
家業も明治45年頃に、一度は破産の憂き目に遭いますが、大正3年に、元々、西山酒造の銘酒だった「國の礎」と言う酒を虚子が「小鼓」と銘々して、平福百穂の揮毛レッテルでホトトギスの発行所を通じて全国に売り出し家を再興しました。
その後も、泊雲は虚子に指導を仰ぎ稼業を疎かにすることなく俳句の道に没頭し、昭和19年9月15日68歳で亡くなりました。
西山小鼓子は泊雲の子息《筆者不明》
「丹波Web美術館」
http://www.eonet.ne.jp/~zarigani/hp5.htm
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
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