名字の言
【聖教新聞・2012年 (平成24年)12月23日(日)より転載】
◇◆◇◆◇◆
(12/23)
関東大震災があった年の暮れ、物理学者の寺田寅彦が東京・銀座の街を歩いた。
いつのまにか並んだバラック(仮小屋)などで、年末年始用の商品が売られ、多くの人々が行き交う光景に、「地震前と同じ銀座のような気もする」と記している(『柿の種』岩波文庫)
▼
震災後の街に活気が戻った、といえなくもない。
だが寺田は、「銀座というものの『内容』は、つまりただ商品と往来の人とだけ」「それとも地震前の銀座が、やはり一種のバラック街に過ぎなかったということになるのかもしれない」と手厳しい
▼
昨年の原発事故で村外移転した福島県飯舘村の中学校が、「次世代に残したい言葉」を募集し、先ごろ、選ばれた23点を発表した。
その中に、「おかえりとただいま」とあった
▼
下校する子どもたちと道で出会えば、家族でなくとも、「おかえり」「ただいま」と言葉を交わす――そんなほほ笑ましい光景が、あちこちに見られた村だった。
“人とモノさえ揃えば事足りる“のではない。
子や孫、未来に残す“心”が生きていてこその故郷である
▼
東北の冬も本番。
わが家を離れて2度目の年末年始を迎える友も多い。
たとえ、お互いの居場所は離れていても、固く結び合う温かな心だけは失うまい。
(城)
【聖教新聞・2012年 (平成24年)12月23日(日)より転載】
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(12/23)
関東大震災があった年の暮れ、物理学者の寺田寅彦が東京・銀座の街を歩いた。
いつのまにか並んだバラック(仮小屋)などで、年末年始用の商品が売られ、多くの人々が行き交う光景に、「地震前と同じ銀座のような気もする」と記している(『柿の種』岩波文庫)
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震災後の街に活気が戻った、といえなくもない。
だが寺田は、「銀座というものの『内容』は、つまりただ商品と往来の人とだけ」「それとも地震前の銀座が、やはり一種のバラック街に過ぎなかったということになるのかもしれない」と手厳しい
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昨年の原発事故で村外移転した福島県飯舘村の中学校が、「次世代に残したい言葉」を募集し、先ごろ、選ばれた23点を発表した。
その中に、「おかえりとただいま」とあった
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下校する子どもたちと道で出会えば、家族でなくとも、「おかえり」「ただいま」と言葉を交わす――そんなほほ笑ましい光景が、あちこちに見られた村だった。
“人とモノさえ揃えば事足りる“のではない。
子や孫、未来に残す“心”が生きていてこその故郷である
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東北の冬も本番。
わが家を離れて2度目の年末年始を迎える友も多い。
たとえ、お互いの居場所は離れていても、固く結び合う温かな心だけは失うまい。
(城)