小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)12月24日(月)より転載】
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法旗19(12/24)
自身の胸中に、「常楽我浄」の生命が滾々と湧き出ているならば、何ものをも恐れず、何があっても、悠々と、歓喜にあふれた日々を送ることができる。
山本伸一は、仏法で説く「遊楽」とは、財産や地位、名声、技能などがあり、健康であるといった相対的なものではなく、自らの生命の奥底から湧きいずる充実と歓喜であり、絶対的幸福境涯であることを訴えていった。
「皆さんは、ご主人の月給がもう少し高ければとか、もっと広い家に住みたいとか、子どもの成績がもっと良ければなど、さまざまな思いをいだいているでしょう。
その望みを叶えようと祈り、努力して、実現させていくことも大切です。
しかし、最も大事なことは、どんな大試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです。
すべての財産を失ってしまった。大病を患ってしまった。
最愛の人を亡くしてしまった――そんな事態に遭遇しても、それを乗り越え、幸福を創造していける力をもってこそ、本当の遊楽なんです。
日蓮大聖人は、いつ命を奪われるかもしれないような佐渡流罪の渦中にあって、『流人なれども喜悦はかりなし』(御書一三六〇頁)と言われている。
この大境涯の確立こそ、信心の目的なんです。
したがって、遊楽の境涯には、広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心が不可欠なんです。
勇猛心なきところには、崩れざる遊楽はありません」
伸一は、ただ華やかな暮らしを追い求める生き方のなかには、真の遊楽も、幸福もないことを訴えたかったのである。
「試練に次ぐ試練、涙また涙というのが、現実の社会といえます。そのなかで人生に勝利していくには、唱題しかありません。
信心強き人とは、何があっても“題目を唱えよう”と、御本尊に向かえる人です。
その持続の一念が強ければ強いほど、磁石が鉄を吸い寄せるように福運がついていきます」
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【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)12月24日(月)より転載】
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自身の胸中に、「常楽我浄」の生命が滾々と湧き出ているならば、何ものをも恐れず、何があっても、悠々と、歓喜にあふれた日々を送ることができる。
山本伸一は、仏法で説く「遊楽」とは、財産や地位、名声、技能などがあり、健康であるといった相対的なものではなく、自らの生命の奥底から湧きいずる充実と歓喜であり、絶対的幸福境涯であることを訴えていった。
「皆さんは、ご主人の月給がもう少し高ければとか、もっと広い家に住みたいとか、子どもの成績がもっと良ければなど、さまざまな思いをいだいているでしょう。
その望みを叶えようと祈り、努力して、実現させていくことも大切です。
しかし、最も大事なことは、どんな大試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです。
すべての財産を失ってしまった。大病を患ってしまった。
最愛の人を亡くしてしまった――そんな事態に遭遇しても、それを乗り越え、幸福を創造していける力をもってこそ、本当の遊楽なんです。
日蓮大聖人は、いつ命を奪われるかもしれないような佐渡流罪の渦中にあって、『流人なれども喜悦はかりなし』(御書一三六〇頁)と言われている。
この大境涯の確立こそ、信心の目的なんです。
したがって、遊楽の境涯には、広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心が不可欠なんです。
勇猛心なきところには、崩れざる遊楽はありません」
伸一は、ただ華やかな暮らしを追い求める生き方のなかには、真の遊楽も、幸福もないことを訴えたかったのである。
「試練に次ぐ試練、涙また涙というのが、現実の社会といえます。そのなかで人生に勝利していくには、唱題しかありません。
信心強き人とは、何があっても“題目を唱えよう”と、御本尊に向かえる人です。
その持続の一念が強ければ強いほど、磁石が鉄を吸い寄せるように福運がついていきます」
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