染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

尊厳のある生涯

2012年01月23日 23時39分46秒 | Weblog
気高く誇り高い猫がさらに高い所へ行きました。かれこれ、もうひと月になります。
思いを馳せると心痛く感じられますが、彼女は彼女なりに生きようとし、次の段階を受け入れ、そして高い峰へ進みました。そう思います。

緊急入院し、退院後暫く安定していましたが、自宅療養中に急変しました。
入院中、先生方も良くしてくれ、治療に関しては不満はありません。人間並みの治療体制があり、薬があり、いくらでも延命治療は可能だと思いました。
しかしながら、タンゴを絶対に病院で死なせるわけにはいかないと決めました。
今の病院では当然であるし、お世話になっている病院はかなり整った病院です。これ以上は望むべくも無いのですが、ステンレスの個室に入り、動く事と言えば、寝るときとご飯を食べるときくらいです。ここで一時期は良いとしても、最後を迎えさせるのは忍びないと感じました。自分なら絶対に嫌です。
検診日には必ず行きましたが、それ以外はタンゴの体調を見ながら、なるべく移動も負担になるので、しませんでした。

これまで、トイレに入っている所を見られるのが嫌いで、人がいるとトイレをしなかったタンゴが、退院後自分でトイレにも行けずにいましたが、それがもし自分だったらどうなんだろうか、延命治療を本人は望んでいるのか、この延命は人間のエゴではないだろうか。僕が生きていてほしいからと言って辛い治療を続けて一月、二月と病院で生きて意味があるのか。本当に本人がしたいのは何だろうか。
色々な事を自分に置き換えて考えていました。

最終的には診断された病状と現状を鑑みて、それほど長くは無い事は解りました。その時間を彼女の好きなように過ごさせてやろうと言うことになり好きにさせました。
それでも一応病院への診察は予約を取りかかさず行きましたし、自宅で指示された処置は取って行きました。病状は改善はされないものなので、現状維持できる体力があれば何とかなるかもしれないと言う程度でした。でもその体重も、入院後も下がり続けていたので体力はほとんどなかったでしょう。

色々思いを馳せてみても、
延命してもっと生きたかったかもしれない、猫の気持ちを代弁しているつもりになって自分の考えを正当化しているのかもしれない。何を思っても何も正しい答えは出てこない。だとしたら、今生きている者たちは間際になってうろたえないように今を、今からを大事に生きようと思う。
もし明日その時が来ても、色々あったけど、全体としては良かったじゃないかと思える生き方をしなくてはならない。



画像はあるホスピスの庭で子供と作りました。
気高く、侵し難い誇りを持った最後を迎える事を望む方々がいる所。皆進む道が同じであるから、かける言葉が見つからない。だから表現で伝えたかったのです。車いすで散歩中の老夫妻に感謝されたのが、うれしかったです。



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