私の結論です。よんだ本の内容に関しては。ってことですが。
「大雪を知っていた」は残念ながら、データの集め方や、そこから得られる情報の認識に関してまで、始めから目的の答えを求めるために進んでいるように感じられます。答えは自分の理念や想像です。科学的な検証をしたいのであれば、不都合な事象にも目を向け、自身の持論にも疑問を持たなくてはならないのに、始めから、カマキリは雪予報が出来ると言う信仰に向かって進みます。
この書籍は、「耐性の昆虫学』で、名指しで批判されています。
同様に、僕の感じた疑問を検証し、このカマキリの予報に関しての大前提を全て打ち砕きます。雪予報に関してはカマキリは出来ないと言うのは自明の理です。
科学とは誰がやってもいちおうの結果が出てこそ真実となります。曖昧なデータで、経験則による情報の削除などあってはなりません。そしてそれの改ざんに近い計算方法。始まりから終わりまで疑問は拭えません。
この書籍はある電気屋さんが、カマキリは雪予想が出来ると言う民間伝承を期待通りのデータを集め、それを毎年の降雪量と鑑みて、係数をかけ合わしているの過ぎません。そういった熱意と情熱を長い時間持ち続けたと言うエッセイとして読まれるのが適当かと思います。
「カマキリは大雪を知っていた」の著者に最も必要だったのはカマキリではなく 正しい助言と、冷静な判断が出来る人であったのではないかと思います。自身の希望とも言える予想に一点の疑問も抱かずに突き進んでいます。時には間違ったっていいし、回り道したっていいんだと言える人がいなかったのかと思う。欲を言えば、ちゃんとカマキリなどを研究している人に聞けば良かったと思う。工学部の先生に聞いたって解らないでしょう。
でも、これを読んで鵜呑みにしてしまうマスコミなどもどうかと思う。
それから、「大雪~」の大前提のカマキリの卵嚢は雪の中に入ると死滅してしまう件ですが、僕の経験同様、97%程度生き残り出てくるそうです。統計的には雪に埋もれた方が、鳥などに食べられないので、生存率は高いそうです。
「大雪を知っていた」は残念ながら、データの集め方や、そこから得られる情報の認識に関してまで、始めから目的の答えを求めるために進んでいるように感じられます。答えは自分の理念や想像です。科学的な検証をしたいのであれば、不都合な事象にも目を向け、自身の持論にも疑問を持たなくてはならないのに、始めから、カマキリは雪予報が出来ると言う信仰に向かって進みます。
この書籍は、「耐性の昆虫学』で、名指しで批判されています。
同様に、僕の感じた疑問を検証し、このカマキリの予報に関しての大前提を全て打ち砕きます。雪予報に関してはカマキリは出来ないと言うのは自明の理です。
科学とは誰がやってもいちおうの結果が出てこそ真実となります。曖昧なデータで、経験則による情報の削除などあってはなりません。そしてそれの改ざんに近い計算方法。始まりから終わりまで疑問は拭えません。
この書籍はある電気屋さんが、カマキリは雪予想が出来ると言う民間伝承を期待通りのデータを集め、それを毎年の降雪量と鑑みて、係数をかけ合わしているの過ぎません。そういった熱意と情熱を長い時間持ち続けたと言うエッセイとして読まれるのが適当かと思います。
「カマキリは大雪を知っていた」の著者に最も必要だったのはカマキリではなく 正しい助言と、冷静な判断が出来る人であったのではないかと思います。自身の希望とも言える予想に一点の疑問も抱かずに突き進んでいます。時には間違ったっていいし、回り道したっていいんだと言える人がいなかったのかと思う。欲を言えば、ちゃんとカマキリなどを研究している人に聞けば良かったと思う。工学部の先生に聞いたって解らないでしょう。
でも、これを読んで鵜呑みにしてしまうマスコミなどもどうかと思う。
それから、「大雪~」の大前提のカマキリの卵嚢は雪の中に入ると死滅してしまう件ですが、僕の経験同様、97%程度生き残り出てくるそうです。統計的には雪に埋もれた方が、鳥などに食べられないので、生存率は高いそうです。