工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

ポーランドを旅して各地の旧市街の美しさに感動の旅

2016年04月30日 | Weblog
今回2016年4月12日から19日までの

ポーランド周遊8日間の旅を終え、トルンやボズナン、ヴロッワフ

クラフクと聞きなれない名前の各地の旧市街の美しさに感動する旅でした。

各地で同じような日本人のツアー客に出会わなく、観光客はヨーロッパ

やアメリカの人達が多かった!

まだ年収も少なく、医者やコンピュータの技術者などはドイツ

フランス、スイスなど収入の高い国に行ってしまうとのことです。

まだユーロになってはいません。インフラが悪くて

道路状況も悪く、高速道路は少なくて、工事している箇所は

時速10キロの大渋滞で、それを抜けるのに2時間かかりました。

その日は道路で大事故になっている車を2か所で見かけました。

今回の現地ガイドはポーランド人が多かったのですが、1人は日本女性で

ポーランド人と結婚し20年住んでいるかたにポーランドのいろんな事情を

聞いたりしました。

ポーランドは バルト海に面し、東ヨーロッパのスラブ系国家の一つで

一次は10世紀の王国建設以来、モンゴルの侵入を撃退し

リトアニアと一体化して広大なリトアニア=ポーランド王国を形成しました。

西部のドイツと東部のロシアにはさまれて、常に領土的な脅威を受け、

17世紀以降はプロイセンとロシア、オーストリアの干渉を受けるようになり、

実態はロシアの支配が続いた。

ポーランドが実質的な独立を回復したのは第一次世界大戦後である。

大戦間のポーランドはロシア第二次世界大戦が始まると東西からドイツとソ連に侵攻され、

再びポーランドは分割支配され消滅した。大戦中もナチスドイツに対する抵抗を続け、

ソ連軍の支援で共産政権が成立し、戦後は社会主義国家となり、

ワルシャワ条約機構の加盟国としてソ連の衛星国家となった。

社会主義経済体制が行き詰まった20世紀末にポーランドの「連帯」の自由をお求める

ストライキが、東欧革命の端緒となり、一気に東欧社会主義陣営は崩壊し、

ポーランド共和国も自由化、資本主義化を遂げ、2004年にはヨーロッパ共同体に加盟した。

ワルシャワで現地ガイドさんから「ワルシャワ蜂起の悲劇」の説明がありました。

ドイツ支配下のポーランドの首都ワルシャワで1944年8月1日から

ポーランド国内軍と市民による反ドイツの蜂起が始まった。63日にわたる戦闘の末、

10月2日にドイツ軍によって鎮圧され、兵士1万8千と市民約15万が死んだ。

10月2日、ワルシャワは六三日間にわたる闘争ののち降伏した。

ヒトラーは、ワルシャワの完全な破壊を命令した。建築物の約八割が爆破され、

ワルシャワは文字どおり瓦礫の山と化した。

今度の大戦を機に国土の領域が大きく変化しました。

ポーランドは今過去の歴史は他の国に支配されたのが長かったのですが

今は建造物は、修復復建され、美しい国で

いろんなことを考えさせられ有意義な思い出深い旅になりました。



ボズナンの旧市街


ヴロツワフの旧市街

ポーランド観光最後の日、.水上宮殿と.文化科学宮殿からの展望

2016年04月29日 | Weblog
7日目最後はワルシャワの.文化科学宮殿からの展望と

ワジエンキ公園の.水上宮殿を見学しました。

文化科学宮殿はスターリン時代にソ連がポーランドに寄贈したもので、

完成は1955年だそうです。

ワルシャワの市民はソ連に支配された時代の象徴のようで

この建物は嫌いだそうです!

でも展望台に上がると、旧市街やワルシャワの街並みが

一望で気持ちが良かった!

ワジェンキ公園は、17世紀に造成されたものを、

1766年から30年もかけて、ポーランド最後の王

スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが改造させ、

公園の中ほどに、ヴィスワ川から水を引いた川のような池の上に造られた夏の離宮、

「ワジェンキ宮殿」別名「水上宮殿」があります。

ワジェンキ公園は王の死後ロシアに売却され、

1918年ポーランド独立時に国の所有になるのですが、

ナチス・ドイツのポーランド占領でワジェンキ宮殿にあった美術品は略奪され、

1944年には宮殿内部を放火されるという悲劇を経験しています。

ドイツ軍が撤退する時に仕掛けかけた爆薬が不発だったのは不幸中の幸いでした。

現在のワジェンキ宮殿は見事に修復され、略奪された美術品も大部分が返還され、

国立美術館の分館として一般に公開されています。



市内のトロリ―バスは国旗の黄色と赤になっています


文化科学宮殿
文化科学宮殿はスターリン時代にソ連がポーランドに寄贈したもので、
完成は1955年だそうです。


入ってみましょう! エレベータで連坊台に上がります


エレベータで降りた中央の部屋 まわり四方は展望台です




旧市街が見えます




ワルシャワは第2次世界大戦で80%が破壊された都市でしたが
見事に復活していました






ワルシャワ市内


「ワジェンキ宮殿」別名「水上宮殿」は夏の離宮でした
















忘れなぐさの花壇


今は国立美術館の分館として一般に公開されています


新緑が美しい








宮殿のそばの野外劇場では幼稚園の行楽でしょうか?
子供達が歌い踊っていました




子供達が可愛い


公園を散策します
この像は悲恋の像だそうです








バラ園にショパンの像がありました


ショパンの上にあるのは柳の木だそうです


リストの像

7日目はワルシャワからエミレーツ航空でドバイまで行き、ドバイで4時間待ち後関空行に搭乗しました。
今成田からはポーランドへの直行便が出ていますが、関空からだとツアーは中近東経由になるので
ポーランドには20時間はかかり、往復夜行便なので疲れます!
関空に着いたのは時差もあり翌日の夕方の5時過ぎで、家には夜の8時過ぎに帰れました!

ポーランド、ワルシャワ.観光ショパン博物館、宮殿など

2016年04月28日 | Weblog
6日目は午前にクラクフ観光後に列車に乗り

2時半後にワルシャワ駅に到着しました。

ワルシャワで最初にショパン博物館をおとづれました。

ショパンの肖像は若い時と壮年になったときの顔が違います!

ショパンの生涯の資料を見て歩きました。

あとは旧市街や新市街を歩きました。

ワルシャワの旧市街の方は世界遺産にも登録され、

世界中から観光客の集まる美しい街です。

旧市街は大戦中に一度全壊しましたが、

その後ワルシャワ市民が壁のひび一本一本に至るまで忠実に再現し、

街を再建したエピソードが有名で,以前にテレビで見て知っていましたが

その再建された市街の美しさに、ここまで以前のように再建したことに

感動しました。夜レストランに着いた時は疲れましたが、万歩計では1万5千歩だったそうで

クラクフとワルシャワを歩いた、1番歩き疲れた日でした。



クラクフでのランチ


ポーランドはビール画おいしく、300円から400円でレストランで飲める
のでランチも夕食もビールを飲みました! 歩く毎日にのどが乾きもう美味しくたまりません!


クラクフ観光後に列車に乗り2時半後にワルシャワ駅に行きました。
列車の中でツアー仲間のシニアカップルの男性が編み物してました。
自分のセータを編んでいるとのことで、女性陣に好評でした。
今回参加者は20人で2組のシニアの夫婦以外は18人の
女性の参加者で皆和気あいあいで楽しいツアーでした。


ショパン博物館


ショパン


ショパン


ショパンの肖像


音符


使っていたピアノ


聖十字架教会


聖十字架教会のショパンの心臓が納められた場所


聖十字架教会の祭壇


聖十字架教会パイプオルガン




ショパンの住んだ建物


ワルシャワ大学


ショパンが10代のころパイプオルガンを演奏した教会か?








大統領官邸


聖母の被昇天とヨゼフ教会。




聖アンナ教会。


王宮広場




王宮


王宮 手前の赤いコートのかたは、現地ガイドの方で、ワルシャワ大学の日本語学科で学んだということです


王宮


城壁と旧市街




バルバカン  
15世紀から16世紀に造られたバロック様式の砦や城壁を再建した










キューリ夫人の博物館
その前にある生家は今工事中でした








夕食のレストラン
ショパンも訪れたレストランとのことです。インテリアが素敵です。


夕食


メインはポーランどお好み焼と言った感じ
いつものようにビールも飲みました


デザート

ポーランド、世界遺産クラフク観光、美しく感動の街

2016年04月27日 | Weblog
6日目は世界遺産クラフク観光です!

世界遺産クラクフは、首都ワルシャワに継いで、第二の街で、

一時期、ポーランドの首都がこの街にありました。

旧市街の歴史地区は、非常に華やかな中央市場広場を中心に、美しい町並みが広がっています。

首都ワルシャワとの決定的な違いは、この街は戦時中の被害にあっていないくて、

その為、中世からの歴史ある町並みが現存しています。

クラクフはぐるーっと城壁に囲まれた街で、中世のポーランド王国の雰囲気が残っていました。

歩いていくとその景色のすばらしさに圧倒され感動する街でした!



5日目に夕食


メインはロールキャベツ


デザート


歴代ポーランど王の居城 ハベル城に行きましょう


門をくぐります


門です!


河が見えます


聖堂が見えてきました






聖堂はその日は日曜日でミサがあるために入れません




バベル城


バベル城


バベル城


バベル城


レオナルドダビンチの「白貂を抱く貴婦人]
現在は ポーランド最古の美術館、チャルトリスキ美術館に展示されていたものが
現在はバベル城で見ることが出来きます。
[白貂を抱く貴婦人]はレオナルド・ダ・ヴィンチが1489年から1490年ごろにかけて描いた。
描かれている女性はミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾だった
チェチーリア・ガッレラーニであるといわれている。
この絵画に描かれているのは白貂(シロテン)ではなく、白い被毛を持つフェレットとのこと。











旧市街の街並みは美しい






ポーランド出身のパウロ2世  ローマ教王
展示会なのでしょうか?




クラフクは馬車がにあう街


このパンはクラフク名物




中央市場広場




織物会館 この中にあるお土産屋さんのアーケードは楽しかった






聖マリア教会 ミサに参列しました
ゴシック建築の壮大な教会です






城門




新緑が美しい


駅へと向かいます。 列車でワルシャワに行きます



ポーランド、アウシュビッツ強制収容所の衝撃

2016年04月26日 | Weblog
5日の午後はアウシュビッツ強制収容所に行きました。

世界遺産アウシュビッツ強制収容所とピルケナウ収容所を見て

あまりの悲惨さに涙しました。

強制収容所は絶滅収容所ともいわれ、120万人から150万人の人達

が殺されたとのことです。ドイツ軍は撤退するときには、証拠を爆破または

焼却したとのことです。

テレビで映像を見たり、シンドラーのリストや戦場のピアニストなどの映画をみて

ユダヤ人がこのように残酷に殺された現実はわかっていますが、実際みてみると

これほどのことを、同じ人間がこんなことをできたなんて!という衝撃でした。



5日のランチ


メインはパルシチという餃子のようなもの
口にあいませんでした


デザートは揚げパンのようなもの


ポーランドを回ったバス いつもおなじバスでおなじ運転手です


世界遺産アウシュビッツ強制収容所の地図










このカンにはいったガスで殺した


残された食器


殺された人達の靴


銃殺した壁には花をたむけました


銃殺した壁で祈りました


ベット


ポーランドの絶滅収容所の地図 各地にあります


焼却する建物


ガスで殺した人達を焼却した炉
こういう作業はすべて収容した人達が行いました


まわりの鉄条網は電気が入っていました。
ほとんどの人が逃げられなかったそうです。
屈強な男達は強制労働させられました。


この悲惨な場所に花が咲いていました


女性や子供が収容されていた収容所です




列車に乗せられてまっすぐこの収容所に入るか
老人、子供、弱い人はすぐにガス室へ








ポーランド、木造のシヴィドニッツア平和教会とヴィエリチィカ岩塩鉱

2016年04月25日 | Weblog
4日目はクラクフのシヴィドニッツア平和教会を訪ねました。

1618年にプロテスタント領主とカトリック領主との

宗教戦争で始まった30年戦争の終結とともに

領邦の領主の認める宗教を領邦すべての人が信仰することになりましたが、

ここブロツワフ(シュレジエン地方)ではハプスブルク家の領地であったので

ハプスブルク家の信仰するカトリック信仰になるはずでしたが、

領民の9割ほどがプロテスト教徒であったため、

一定の条件でカトリック信仰を認めて出来あがった3つの教会は

平和教会と呼ばれました。

グウォグフの教会は1758年に火災で焼失し、

2001年にシフィドニツァとヤヴォルの平和教会が世界遺産に登録されました。

5日目の午前に世界遺産ヴィエリチカ岩塩鉱を見学しました。

産出される岩塩は長い間、ポーランド国家の重要な収入源の一つとなっていました。

現在でも昔ほどの規模ではありませんが生産が続けられており、

ヴィエリチカはポーランド有数の観光名所であるだけでなく、

現役の鉱山でもあるという二つの顔を持ち合わせています。


シヴィニッツア平和教会
外見はホテルのようで教会とは思われません!
城から大砲の球が届く距離に教会を建てること
壊しやすいように石つくりでなく木造建築であることなどです。

教会の建設にあたって厳しい条件が出されました。
1、建設期間は1年以内である事
2、耐久性のある建材(石や煉瓦)を使用してはいけない
3、城壁の外に建設する
4、伝統的な様式・鐘・塔は設けない



内部は豪華です。


木造建築の教会としてはヨーロッパ最大のもので、
また数千人を収容することができる木造建築物です。
バロック様式の豪華できらびやかな内装が訪れる者の目を奪います.


その大きさに圧倒されます。バルコニーにがあり
収容人数が数千人というのもわかります














外観こそ質素に造られています


僧の住いでしょうか?


門の横にあったカフェ


岩塩
ヨーロッパ最古の採掘場の一つヴィエリチカの歴史は13世紀に遡ります。
その昔、ハンガリーの王女キンガ姫がポーランド王家に嫁いだ時、
強い想いをこめて投げた指輪の示した場所がヴィエリチカであり、
そこから塩があふれるようになったという伝説があります。
その後、ヴィエリチカの岩塩は何百年もの間ポーランドを豊かにはぐくんできました。


長い松明をかざして岩塩を掘りました
一般に公開されているのは深さ135mまでの僅かな部分ですが、
20以上の部屋や礼拝堂を巡る約3.5 kmの見学ルートが設けられています。
見学ルートの各所では採鉱作業の様子の再現や、
実際に使われていた梯子やトロッコなどを目にすることができます


昔の採掘の様子




岩塩で掘られた王様の像






こびとの採掘の像


マリア像



深さ約100mのところには一番の見どころである見事な装飾を施された聖キンガ礼拝堂があり、
磨きぬかれた階段や床も、岩塩でできています。
これらの美しい作品はいずれも、ヴィエリチカの鉱夫たちの手によるものだということです。
彼らは仕事の合間に、あるいは作業の安全を祈って、仕事道具のノミなどを用いて、
岩塩から美しい芸術作品を彫りだしたのです







きらきらと輝くシャンデリアのあたかもガラスの結晶に見える飾りの一つ一つ、
中央の祭壇、壁に彫られたレリーフにいたるまですべてが岩塩でできています。


最後の晩餐 岩塩の彫刻です








シャンデリアも岩塩で作られています


礼拝堂 ようやくエレベータで上がる通路が近づいてきました!
ヴィエリチカ岩塩坑の地下に作られたホールでは、各種会議・パーティ・結婚式・
舞踏会・スポーツ大会・オーケストラのコンサート・岩塩彫刻展など様々な催 しが行われます。
また、ここにはぜんそくなどの呼吸器疾患治療のための地下保養所も設けられており、
世界中から多くの人々が療養に訪れます。



ポーランド,ヴロツワフの旧市街は建物が色とりどりでこびとが可愛い

2016年04月24日 | Weblog
4日目に訪れた、ポーランドの西南にあるヴロツワフは、

古くから交易・金融業の盛んな都市として知られてきました。

町を横切るオドラ川には12の島があり、それを結ぶのは100本以上の橋や12の島があり

なかにあるオストルフ・トゥムスキは歴史の町ヴロツワフでも一番古い地区といわれます。

スラブ人の集落、13世紀にはモンゴル人の進入、14世紀にはボヘミア侯、

さらにハプスブルク帝国に組み込まれた後、1945年まではドイツ領と

いろいろな国と文化の影響を受けたことで、ヴロツワフには

コスモポリタンな文化遺産が数多く残っています。

建物がカラフルでかわいい! 街のあちこちにあるこびとの像を見て歩きました。


世界遺産 百年記念会館


ヴロツワフの旧市街








旧市庁舎




旧市庁舎


旧市庁舎








地図








こびとの像 消防士


こびとの像 酒好き


犬とこびと




銀行の前にあるこびと


ランチはスープから  このスープがおいしいのです


メイン


デザート

ポーランド、おとぎの国のような旧市街ボズナン

2016年04月23日 | Weblog
トルンではクラシックで素敵なレストランでランチ後に

バスで3時間のボズナンに行きました!

旧市街はおとぎの国のような街並みで素敵でした。

近郊のグニェズノという街がポーランド最初の首都でした。

旧市庁舎では正午になる とヤギのからくり時計が現れその可愛さに見惚れてしまいます。

ポ-ランド最古の教会聖ペテロ聖パウロ教会もここポズナンにありますが

残念なことに次の日イベントあるので、見れないとのことでした。

その代わりに、聖スタニスワフ教区教会に行ました。


トルンでのクラシックで素敵なレストランでランチ


レストランの内部

 




ポーランド料理はスープや野菜が多く美味しいです




トルンの城壁とヴィスワ川、ここからバスに乗り、ボズナンにむかいました


ボズナンの旧市庁舎


旧市街


旧市街 まるでおとぎの国のような美しさです










聖スタニスワフ教区教会


聖スタニスワフ教区教会内部
















夕食はボズナンのホテル内のレストランで!

ポーランド、世界遺産のトルンは中世の面影のある街

2016年04月22日 | Weblog
ポーランドで最初に訪れたのは、トルンです。

トルンはポーランド中北部にあり、世界遺産に指定されています。

石造りの古い街並みや美しい教会、そしてコペルニクス博物館や

ドイツ騎士団城跡など、見所がいっぱいありました。

ハンザ同盟の交易都市として栄えたトルンの町を散策して、

中世の雰囲気を満喫しました! 

最初に訪れたトルンの旧市街の美しさに感動しました。

ポーランドは旧市街が各地にあり、歩いて散策するので

これからが楽しみの旅となります。





ランチ スープとビールがおいしい




メインとデザート


素敵なレストラン  ポーランドのレストランはどこに行っても
インテリアが素敵でした


ショパンの生家の門


ショパンの生家


ポーランドは花がいっぱいでした








ドイツ騎士団城跡


ドイツ騎士団城跡に子供達の修学旅行なのでしょうか?


記念写真 はいパチリ


トルンの中世の市街地図
城壁に囲まれていた。ヴィスワ川が流れ、交易都市として栄えた!


ドイツ騎士団城跡


ドイツ騎士団城跡


ドイツ騎士団城跡


ドイツ騎士団城跡


旧市街


旧市街










コペルニクス博物館
地動説を唱えた偉大な天文学者コペルニクスの生誕地です。


聖ヨハネ大聖堂


聖ヨハネ大聖堂


聖ヨハネ大聖堂内部










トルン旧市街




旧市庁舎


旧市庁舎とコペルニクスの像
トルンは、古くからバルト海沿岸で採れる琥珀などを、
内陸部にある首都のクラクフやワルシャワへ運ぶ中継地点でした。
ポーランドを広く南北に流れるヴィスワ川に面して、
交易の拠点として発展し、ハンザ同盟をけん引する商都となりました。

ギリシャ最後に訪れたアクロポリスの丘のパルテノン神殿

2016年04月21日 | Weblog
ギリシャ最後の観光はアクロポリスの丘にそびえるパルテノン神殿です。

古代ギリシャのシンボルとも言える「アテナイのアクロポリス」は

1987年に登録された世界遺産です。

小高い丘に建てられた、堂々たる建築物は、

2000年の歴史を誇るパルテノン宮殿や遺跡などがあります。
 
パルテノン神殿は修復中で、修復は壊れた石を当てはめていく

とのことで、時間がかかり、完成はいつになるかはわからないとのことでした。

少女の彫刻が施された柱で有名なエレクテオンやギリシャの女神神殿など、

素晴らしい!としか言いようがない!

小高い丘からはアテネの街並みが見渡せて、ギリシャ観光の最後に

思い出に残る観光になりました。

明日からはポーランド旅行を記載します



ギリシャ劇場 屋外音楽堂


ギリシャ劇場 屋外音楽堂


ギリシャ劇場 屋外音楽堂


ギリシャ劇場 屋外音楽堂










パルテノン神殿


パルテノン神殿


パルテノン神殿は修復中でした


少女の彫刻が施された柱で有名なエレクテオン


少女の彫刻が施された柱で有名なエレクテオン


少女の彫刻が施された柱で有名なエレクテオン


少女の彫刻が施された柱で有名なエレクテオン


眼下の景色


眼下の景色


眼下の景色


眼下の景色




パルテノン神殿を見おさめます






丘を降りて行きましょう




閉門は3時なので急いでおりました! 入場料をとっているのに、
こんな有名な世界遺産が3時閉門とは!
係りの人達は公務員とのことです! ギリシャの経済が傾くのが納得です!


かめが下る道の途中のところで散歩していました


最後にガイドさんがお土産屋さんに案内しましたが、アテネの街路樹が柑橘類の木なのが素敵でした。

ギリシャ、エーゲ海クルーズ、エギナ島のアフェア神殿

2016年04月12日 | Weblog
エーゲ海クルーズは最後の立ち寄りの島、エギナ島に行きました。

船会社主催のオプショナルツアーに参加しました。

25ユーローでバスで高台にある、アフェア神殿やアギオス・ネクタリオス修道院

を日本人の船のガイドが案内してくれます!

今日12日の夜行便でポーランド8日間の旅のツアーに参加するので

ブログは20日まで休みます/



エギナ島が見えてきました


エギナ港


エギナ港


エギナの街並み


アギオス・ネクタリオス修道院


アギオス・ネクタリオス修道院


この修道院は、ギリシャ正教最後の聖人であるネクタリオスの遺骨の一部が納められており、
それに触ると健康が保たれるといわれています


ネクタリオスの遺骨の棺


修道院内は、モザイクや木の装飾がとても美しい!


ネクタリオスのイコンの絵


アフェア神殿の説明文


アフェア神殿は、紀元前7世紀~6世紀に作られたドーリア式建築。
アテネのパルテノン神殿よりも40年も前に建てらたとのことです。


他の神殿と違う特徴は、石灰岩でできた白い漆喰を塗り、大理石と見せかけています。


外観からだと1階に見えるが、近づいてみると2階になってるのがわかる。


アフェア神殿




アフェア神殿は高台に建っていて、海の景色がきれいです。
神殿の近くには、ピスタチオやピスタチオアイスクリームが売っています。
ピスタチオはエギナ島の名産なのでアテネより安く買うことができるということで
買いました。ピスタチオアイスクリームも食べてみました。


帰路はクルーズ船でのんびりと楽しみました


船内のスタッフの紹介 


船内でのエンターテイメント ギリシャダンス


お客を誘って、会場を回ります


夕日が沈んでいきます


アテネに到着し、ライトアップされたアクロポリスにそびえるパルテノン神殿を
見学しました


夕食はレストランでしました。 ギリシャ料理はサラダがついているのがうれしい






デザートは果物  ギリシャ料理は先日行ったイタリア料理よりも美味しいと感じました!

ギリシャ、エーゲ海クルーズ「ポロス島」「イビサ島」

2016年04月11日 | Weblog
5日目はアテネからエーゲ海の1日クルーズです。

最初に港から3時間のイドラ島を訪れました。

イドラ島では、自動車やバイクの乗り入れが禁止となっているので

観光客はロバタクシーで島内をめぐります。

1時間の自由時間を港や店を散策して、綿のかぎ針編みの

レースのセータを購入しました。

綿のかぎ針編みレースはこの島の特産品とのことです。

次に訪れたのはポロス塔で、高台にある時計台まで

登りました。野の花が咲きみだれ、眼下に港やエーゲ海を

見渡せ、気持ちがリフレッシュできる景色でした。



5日目の朝のホテルでの朝食を食べたレストランは素敵でした


アテネの港から船に乗船しました


アテネの街並み


オリンピック会場だった建物が見えます


船内のイベント ギリシャダンスの講習会


3時間の航海で最初にイドラ島が見えてきました




港に到着


乗ってきた船です。


イドラ島は、赤い屋根やレンガの家、迷路のような白い町並みなどどこを見ても
絵のように美しく、のんびりとした風景です


イドラ島では、自動車やバイクの乗り入れが禁止となっています。
観光客はロバタクシーで島内をめぐります。
料金はだいたい10分で10€ですが、迷路のように入り組んだ町並みをロバに乗りながら観光します。


ロバタクシー




船内に戻ると、ランチタイム バイキングでした


ランチ会場


音楽を演奏しています


海の風景を見てのんびりとしたクルーズです


だんだんと次の立ち寄るポロス島が見えてきました














丘の上に見える時計台まで登ります


ポロス島の海岸沿いの遊歩道


階段を上るにつれ、絶景が広がります
港には乗ってきた観光船が見えます


時計台


眼下の景色


野の花が咲いています


時計台


野の花


ポロス島をあとにします


ギリシャ、世界遺産メテオラ修道院は奇岩の上に建つ

2016年04月10日 | Weblog
メテオラの奇岩が見えるホテルに泊まり

4日目は世界遺産メテオラ修道院の現存する6つの修道院

のうち、2か所を観光しました。

現在する6つの修道院はいずれも拝観が可能です。

「メテオラ」は30m~400mの高さの岩の塔が60以上点在しています。

下界とは隔絶されたその岩の塔の頂上に、「メテオラ修道院」が建てられ

そそり立つ岩の塔に立つ修道院は、「メテオラ」(=現地の言葉で中空を表す)

の名が示す通り、まるで空中に吊り下げられ、浮かんでいるかのようです。

「メテオラ修道院」の始まりは11世紀初頭といわれ、

奇石群の洞窟にはすでに9世紀頃から修道士たちが祈りと瞑想のために隠遁して

いたとのことです。、

修道院内部のフレスコ画や貴重な美術品を見ることができますが

写真撮影は禁止されていました。

今は世界遺産メテオラ修道院は観光地となり、入場料をとり

売店もありという具合でしたが、女性はパンツ姿がだめで

長い巻スカートを入口で無償で貸してくれます。



  

 
ホテルでの夕食


ホテルから見えるメトラの奇岩


ホテル


世界遺産メテオラ修道院






桜が咲いていた


修道院の入り口


昔は階段がなくて、巻ロープで修道院まで人は食料をつりさげ、下したとのことです








修道院からの絶景


見上げる「メテオラ修道院」も絶景ですが、修道院から眼下に広がる景観もまた絶景です!


















奇岩の下に広がる街






聖ステファノス修道院は女性の修道院









  


ランチ ギリシャ料理は美味しいです

ギリシャ世界遺産、アラホバの絶景と世界遺産オシオスルカス修道院

2016年04月09日 | Weblog
3日目の午後からはバスがアラホバの絶景を見るために

停車し、山の斜面に建つスキー客の保養地の街や

雪山を眺めました。

次に見学したのは、世界遺産オシオスルカス修道院です。

デルフィ近郊にある世界遺産オシオスルカス修道院は、ギリシャ正教の修道院で

11世紀に制作されたモザイクが今も残る貴重な文化財とのことです。

内部は豪華絢爛な黄金のモザイクが敷き詰められた中期ビザンチン様式で、

大理石細工も圧巻でした。クレタの画家ダマスキノスが手がけたイコンは見事です。

併設されている教会や博物館も見学しました。

この修道院の周囲の雄大で素朴な山の風景が素晴らしい!。



アラホバの絶景、山の斜面に建つスキー客の保養地の街


アラホバの絶景 この雪山でスキーするとのことです


世界遺産オシオスルカス修道院はギリシャ正教の修道院です
オシオスルカスのオシオスは聖人に与えられる称号で,
ルカスによって10世紀前半に設立され、ルカスが東ローマ帝国(ビザンティン帝国)
の皇帝ロマノスによってクレタ島の征服を予言して953年に死亡しました。
961年ロマノス2世がクレタ島を征服したことにより、ルカスは崇敬されたとのことです。












中央聖堂です。


内部の天井は豪華絢爛な黄金のモザイクは見事で、中期ビザンチン様式です


オシオスルカス修道院は、ギリシャ正教の修道院で、ルカスにより10世紀に設立され、
中期ビザンティン建築の傑作といわれる聖堂と、11世紀に製作されたモザイクが残っています。










聖堂内部


右にキリスト 左にマリアのイコン








修道士の方


修道士の方が信者と談笑していました












博物館


博物館の内部


建物は石作りで美しい






修道士の住い


高台に建っており、眼下の景色が雄大で素晴らしい


絶景です






野の花が咲いていました




ギリシャ世界遺産、デルフィ遺跡とデルフィ博物館

2016年04月08日 | Weblog
ギリシャの旅の3日目は世界遺産、デルフィ遺跡とデルフィ博物館です。

個人的な問題から、国の未来を決めるような重要事項に至るまで、

古代ギリシャ人たちは「デルフォイの神託」に指示を仰いでいました。

神託を授ける儀式では、巫女がトランス状態になって神の言葉を伝えていたのですが、

神殿のちょうど真下で二つの断層が交差しており、

神殿地下の岩盤を調査した結果エチレンガスの成分が検出されたことから、

当時、神殿内にガスが噴出していて、それがトランス状態を引き起こしていたのではないか、

と言われています。デルフォイの廃墟の真上には中世から人が住み、

大きな地震で破壊されて村人が移住することになって初めて、デルフォイの発掘が始まりました。

1893年にフランスの考古学者チームが、アポロン神殿をはじめとしたデルフォイ遺跡を発掘し、

そこで発見された素晴らしい芸術品が、デルフィ考古学博物館に展示されています。



デルフィ遺跡


デルフィ遺跡は岩山の斜面にあります


デルフィ遺跡の復元図
紀元前1000年頃から礼拝の地として崇められており、
紀元前12世紀からは神を祀る場所になっていました。


宝物殿
デルフォイには、神託を授かるために訪れた王達などから、
たくさんの貢物が納められ、特に力を持っていたアテネ人や、
テーバイ、コリントスなど近隣の国々、金などを産出していたシフノス人の宝庫が
アポロン神殿に至る参道沿いに築かれていました。計25もの宝庫跡が発見されています。
これらの宝庫に納められていた宝物は、デルフォイを支配しようと争われた数々の戦争でほとんどが失われました




神殿跡


神殿跡
ゼウスの息子であるアポロンがこの地で神となったことで、
アポロンの神託としても長年使われていた神聖な場所です。
そのアポロンを祀ったといわれるアポロン神殿は、
紀元前370年頃の柱が現存しています


ガイドの方が神殿の説明


神殿跡


上から見た神殿跡


デルフィ遺跡




劇場
古代劇場は紀元前4世紀のものですが、
大理石でできた観客席なども保存状態がよく、当時とほぼ同じ姿を見ることができます。


劇場


劇場


劇場




遺跡跡に咲く花


遺跡跡に咲く花














デルフィ博物館
アルカイック時代からローマ時代までの美術品や彫刻を見ることができます.
デルフォイの廃墟の真上には中世から人が住み、
大きな地震で破壊されて村人が移住することになって初めて、
デルフォイの発掘が始まりました。1893年にフランスの考古学者チームが、
アポロン神殿をはじめとしたデルフォイ遺跡を発掘し、
そこで発見された素晴らしい芸術品が、デルフィ考古学博物館に展示されています。


ギリシャ彫刻が素晴らしい








金製品


















紀元前478年の作品で、1896年にギリシャで発見された「青銅の御者の像」は、
当時とほぼ完全な姿のままで保存されています


着衣のドレープなど美しく素晴らしい。


青銅の御者の再現図