工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

中国西安のイスラム寺院清真大寺は珍しい建物、大雁塔は登れます!

2011年05月31日 | Weblog
●漢陽博物館は小高い陵の墓の下が、発掘現場の博物館!

地下に降りて、見学しました。

●西安のシンボルの大雁塔は七層で、高さは64メートルで、内部の木製のらせん階段を

登ると、最上部まで行くことができるので、同じツアーの方々は登っていました。

●碑林博物館は、碑石を集めた博物館!

漢代から清代にかけての石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、

この博物館の展示物のなかで最も有名。王義之、欧陽詢、顔真卿、虞世南など、

書道の大家の作品が立ち並んでいる。

●面白い建物が多い清真大寺はイスラム寺院で,建築は中国式だが、仏像が無く、

イスラム式の石門や碑が、イスラム様式でした。



大雁塔
慈恩寺の境内に立つ塔で、西安のシンボルである。当時の規模はかなり大きかったが、
唐代末期に戦乱のため焼き払われ、現存するのは当時の十分の一に過ぎない。
652年にインドから帰った玄奘三蔵法師の願いにより、境内に大雁塔を建て経典を
保存することにした。


652年の建築で、四角7層
塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い
十層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、
現在は七層で、高さは64メートルしかない。内部の木製のらせん階段を登ると、
最上部まで歩いて行くことができる。


広場の建物


庭園とあずまや


大仏殿の中の仏像


慈恩寺
唐の三代目の高宗李治が皇太子のとき、生母文徳皇后の冥福を祈り648年に建てた。


静かな境内


慈恩寺の日本語のガイドさん。 こういう専門のガイドの役目は案内後に
物を売る事が役目です。


慈恩寺は、現在は創建当時から7分の1の規模になっている。


境内には伽藍が建ち並ぶ。


現在でも、伽藍の建ち並んでいる境内


境内にある、筆や硯を売る建物


参道


塔群


漢陽博物館は小高い陵の墓の下が、発掘現場の博物館


発掘現場  死後から生き返りの信仰のもとに、生前使っていたものや、牛、羊
などを作り、墓に埋めた。


地下から発掘されたはにわ  埋められた当時は、絹の衣装が着せられていた。


当時の衣装


碑林博物館の広場


変わった石の門


碑林博物館
宋の時代に建てられた孔子廟を利用した博物館で、歴代書家の石碑を数多く収集、
展示している。
館内は「西安碑林」「歴史陳列」「石刻芸術」に分かれている。漢代から清代にかけて
の石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、この博物館の展示物のなかで最も有名。

王義之、欧陽詢、顔真卿、虞世南など、書道の大家の作品が立ち並んでいるほか、
玄宗皇帝の書もあり、中国最大の書道芸術の宝庫といえる。
また、キリスト教の伝来を伝える「大秦景教流行中国碑」も貴重。


中庭


売店の建物


清新新大寺門


極彩色の建物


イスラム教の寺院だが、建物は中国式



三重塔


本堂も中国式建物


石門はイスラム式


碑もイスラム式


イスラム式の広場


ランチは西安料理


夕食は広東料理


中国西安の兵馬俑は一万体まだ発掘が続いている。青龍寺は空海が学んだ寺

2011年05月30日 | Weblog
西安の兵馬俑はよくテレビでも、おなじみですが、実際に見て、2000年前に

これだけの物が造られたのに、感嘆!

兵馬俑は泰始皇帝陵から1,5キロの所に造られ、始皇帝の陵墓を守るために

製作された兵士や、軍馬の等身大の陶器で、1974年に井戸を掘っていた農民によって

偶然発見されていた。 1号抗、2号抗、3号抗が公開されて、見学が出来る。

殉死制度のあった時代に、人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、

人類文明の進歩を窺うことができるとのことですが、始皇帝陵や兵馬俑を作った技術者は

完成後、秘密を守るために、3000人が殺されたとのことでした。

見ごたえがあったのが、青銅製の4頭建ての始皇帝が使った馬車数台でした。

これだけのものが、2000年前に造られた技術に、中国の歴史の凄さを感じました。

小雁塔や、西安博物館、青龍寺、を見学。

今、西安では花博が開催され、中国各地からの観光客が多く、

色んなイベントが開催されています。

大道り公園のような場所に、いろんなイルミネーションが設置され、多くの

観光客が、夜の散歩を楽しんでいました。



1号抗は、発掘現場に屋根をつけた建物で覆われている


1号抗
最大の一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートル、総面積14260平方
メートル、兵馬俑の数は約六千体、二号坑は6000平方メートル、俑の数は千体余り
兵馬俑はこの場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、
最後に窯に入れて焼いて作られた。


兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではない。
顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちでだが、
共通しているのは、いずれも手に武器を握っていることだ。


顔が1体1体違う!


周りに通路あって下を見下ろして見学


もとは彩色されていたが、一部の俑にはまだ色彩が残っている。


一号坑は今なお発掘を続けているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、
その上にゴザを敷き、表は2メートルの土で覆われている。
前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、
東に向かい整然と列を組んでいる。


三号抗の建物


三号坑は500平方メートル、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、
地下軍の司令部に当たる。


発掘された状態


兵馬俑


銅車場館


青銅製の馬車


4頭だて


陶製の馬
馬の高さは1.5メートルで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われている


まったく壊れない状態で、発掘された俑が展示されている。


武官の身分の俑は穏やかな表情


微笑んでいる武官


ポーズをとっている武官


青龍寺門
著名な「入唐八家」のうち、六名の僧侶がここで仏教を学んだ。
最も有名なのは空海である。空海はここで恵果法師を師として、
密宗を伝習した。1981年、日本仏教界は、青龍寺の境内に、
空海記念堂と空海記念塔を建立した。



青龍寺の庭


ゼロの石塔
四国88ヵ所の最初の寺にあたるとのことです。


回廊


空海の記念碑


小雁塔
高さ43.3メートルの塔で、薦福寺の境内に建っている。
大雁塔と比べて小さいことからこの名がついた。
薦福寺は、684年、則天武后が高宗の崩御百日忌に、その冥福を祈るために、
創建した寺であるが、現在は寺院建築は残されていない。
当時の塔は15階建てであったが、地震で二階部分が崩れ、
現在では13階建てになっている


西安博物館の内部


池と橋


街並み


国立美術館見学と思いきや?


色彩入りの水墨画


堪能な日本語で絵の説明する国家公務員の担当者。
中国の国立美術館は、現代の商品を売るマーケットで、
西安の場合、青磁や玉の商品を、「送料込みで4ケで25万円で、お得です」と
売り込み、私達のツアーで4組位? 100万円位?を売りました! 凄腕!
中国の国家公務員が、自らセールをする、中国の商魂の逞しさに脱帽!


夜のライトアップされた建物


8本の柄が次々と変わる不思議な柱


塔がダイア柄から次々と変化していく


幾何柄に変わった


炎のなかの龍に変わった




初日の夕食は、中華風しゃぶしゃぶ


2日目の昼食は、3種類も「麺料理」


2日の夕食は、餃子の名店の「徳発長」


中は中国人で満席! こういう店は絶対に美味しい


15品の色々な餃子を食べる西安名物「餃子宴」
おいろんな餃子を15種類堪能した! 美味しかった!絶品でした!






西安は14kmの城壁で囲まれていて、歴史博物館で5千年の歴史がわかる

2011年05月29日 | Weblog
関空から、済南経由で、済南空港から入国し、1時間待ちの後、同じ飛行機で

中国の西安空港に到着、約5時間の飛行機にかかる時間の後、

ホテルに着いたのは、日本時間で深夜の24時40分で、疲れました!

初日は、吉備記念碑のある、環城公園、歴史博物館を、訪ねました。

西安の中央部は、城壁に囲まれ、城壁の外は、掘と緑地帯になっています。

城壁は14キロにわたり、城壁の巾は、12mから14mで広いです。

南門から、西門まで城壁の上をカートに乗って、めぐりました。

西洋からの観光客は、貸自転車で、城壁の上を走っていました。

城壁は、唐の長安城を基礎にして、1370年から1378年にかけて

レンガを積み重ねて作らたとのこと。 その後度々修理が行われいるので、

現在も完全な形で、残されている貴重な文化遺産で、西安の街をバスで走っていて、

この城壁を、度々見ると、1100年の間、西安が都として栄えた昔の面影が

偲ばれました。


環城公園入口


吉備真備記念碑
吉備真備は奈良時代(717年)23歳の時、遣唐使として唐に渡り、17年振りに日本に帰国しました。
唐の国の文化を日本にもたらしただけでなく、政治の中枢で活躍し、遂には右大臣まで
昇進。
学者出身で右大臣まで出世したのは菅原道真とこの吉備真備の二人だけだそうです。


公園のなかでボールを足で回す人


公園で音楽に合わせて、ダンスする人。
棒術する人達、駒を回す人達など、公園は、たくさんの人達がスポーツする憩いの
場所になっていました。


城壁の門


城壁の高さは12mで、唐の長安城を基礎にして、1370年から1378年にかけて
レンガを積み重ねて作られとのこと。 その後度々修理が行われて、このように城壁
が完全に中国で残されているのは、西安だけだとのことです。


城壁への登る入口


城壁に囲まれた広場で、観光客のために、兵士のパフォーマンスをやっていました。


勇ましい音楽に合わせての、兵士のパフォーマンス


カートの乗り場の建物


南門から、西門まで城壁の上をカートに乗って、めぐりました。


城壁に囲まれた広場


西洋からの観光客は、貸自転車で、城壁の上を走っていました。


城壁から見た、市内! 建物は、古い様式の建物に再現されています。


城壁から見た市内は、緑が多い街です。
カートで城壁の上を走り、南門から西門まで行きます。


城壁の巾は、12mから14mで広いです。


城壁の上にある建物


城壁からみた景色


陝西歴史博物館
唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館で、収蔵点数37万点。そのうちの六千点が
常時展示されている。原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財が
ここにまとまって収蔵されているので、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる



陝西歴史博物館のロビー
博物館内は撮影自由なのに、驚かされました。





青銅器


青銅の水鳥と像


兵馬俑が展示してありました。


紀元前204年の陶兵馬俑


金の像


金製品



絨毯店での絨毯製作のデモストレーション


昼食は精進料理で、精進料理店


肉や野菜使わない料理


あっさりして美味しかった!









中国西安旅行のため、28日(土)までブログは休みます

2011年05月24日 | Weblog
今日、24日から、28日(土)まで中国西安に4泊5日の旅行に行きます。

西安は1100年間、都であったところで、兵馬俑で有名なところです。

28日(土)までブログは休みます。 中国は広いので、各地を歩いて

今回で5回目、中国が歴史があり、近くて観光代も安く、いろいろな中国料理を

食べられるのも魅力です。

「京の食文化と京都卸売市場」の講座を山科アスニーで受ける!

2011年05月23日 | Weblog
18日の山科アスニーの講座は、「京の食文化と京都卸売市場」

卸売市場ってどんなところ? の講座で、

講師は、京都市中央卸売場市場協会専務理事の、田中 耕造氏でした。

スライドを使っての講座で、京都市中央卸売場市場は日本で1番初めに出来た市場です。

1日の平均取扱い高は、4億5千万円で、最盛期の半分位の取扱い高しかなく、原因は

消費が低迷したり、消費者への産地直売、大手スーパーなどが、直接仕入れするなどの

色々な事から、現在、卸売り市場は厳しい環境にある、とのことです。

そのため、活性化のために、色々なイベントを、現在開催しているとのことです。

秋の鍋祭りや、第1土曜日に市民への直売、学校への調理自習や市場の説明、

市民に会員になってもらい、海援隊陸援隊制度で、いろんなイベントを開催して、

これからも、いかにして市場を活性化するのかが、これからの課題とのことです!

魚などは丸ごと食べないで、切身で買うことが多いのですが、鮎などをフライパンで

簡単に焼くと、美味しく食べられるとのことで、高齢化社会に、健康に生きるには

美味しく料理し、栄養バランス考えた食生活が大事だと、説明してくださいました。


講師は、京都市中央卸売場市場協会専務理事の、田中 耕造氏














































中国明時代の建築様式の陽明亭や中国庭園が珍しい中江藤樹の遺跡

2011年05月22日 | Weblog
道の駅 「藤樹の里あどがわ」で休憩し、食事をしたり、採れたて野菜を買ったあと、

近くにある、近江聖人 中江藤樹の遺跡を、訪ねてみました。

中江藤樹は、江戸初期の人で、儒学者、日本陽明学の祖。近江聖人と呼ばれた人です。

陽明園は、中国陽明学の祖の王陽明が、余桃市の出身で、その余桃市と安曇川市の交流を

記念して、余桃市(よとうし)龍泉山公園の陽明亭を、明代の建築様式そのままに

復元したもの。 

こんなところに、なんで中国そのままの庭園があるのかが?  納得!

隣にある中江藤樹記念館は、藤樹の資料や遺品、地域の歴史と文化などが展示されて

います。

藤樹神社は、 中江藤樹を敬慕する人達によって、大正11年に創立された神社で

鳥居の額は、東郷平八郎氏によって書かれた。


道の駅「藤樹の里あどがわ」


道の駅「藤樹の里あどがわ」で、採れたて野菜を買った。


焼き鯖寿司を買ってランチ! 美味しかった!


隣にあるコンビニで、紳助が絶賛するソフトクリームがあるので、買って食べて見た!


隣にあるコンビニで、売っていた焼き芋! 4つ購入!


近江聖人 中江藤樹の遺跡をめぐるマップ


陽明園の中国式庭園  
余桃市(よとうし)龍泉山公園の陽明亭を、明代の建築様式そのままに復元したもの。 


八角形の二層式東屋 陽明亭


陽明亭の内部


庭園は見学する人もいなくて静かでした。





面白い門


龍の飾った門


王陽明先生石像


静かな環境


中江藤樹記念館


説明文


中江藤樹記念館内部


藤樹書院の模型
中江藤樹が門弟や村の人達と勉学に励んだ私塾


中江藤樹日記


藤樹神社の石の鳥居


藤樹神社境内 拝殿


境内に咲いていたシャクナゲ

道の駅しんあさひ風車村5000株10万本の関西最大級のルピナスは圧巻です!

2011年05月21日 | Weblog
道の駅しんあさひ風車村で、5000株10万本の関西最大級のルピナスが

5月中旬から下旬に見頃なので、湖西道路、161号線経由で車で見に行きました。

風車村の初夏の花が、風車を背景に咲き乱れている風景は、メルヘンの世界のようです。

色々な色の、ルピナスの雄大な花穂が咲いている様子は、スゴイ! 圧倒されました!

入場券は500円ですが、途中の「藤樹の里アドガワの道の駅」に立ち寄った時に、

半額の券があったので、その券を使って半額で入れました。

ルピナスは、原産が北米とか! 

群生しているルピナスは、日本離れがして、北米の風景のようでした。

昨年6月には、花菖蒲を見に行ったのですが、花菖蒲も、風車を背景に

見ごたえがありました。

1株500円でルピナスの鉢植えを販売していたので、花好きで、庭のある方の

お土産に、2株購入しました。

1株が重たいので、持って駐車場まで運べるのは2株が限度です。 

帰り道に、立ち寄ってルピナスを渡して、喜んでいただきました。

宿根草なので、土に移植し、夏の暑さに気をつけて日陰になる木の下にでも植えれば、

大株になって、たくさんの花穂をつけて、毎年楽しめるかもしれません!

しんあさひ風車村のルピナスは、植える時に石灰をまき、肥料は牛糞なのだそうです。

見事な大株になって群生しています。


風車と黄しょうぶ


池には白鳥が泳いでいます


風車と花畑


オランダの風景のようです


跳ね橋 ゴッホの絵のよう!


5000株 10万本の関西最大級のルピナスの群生


雄大な各色の花穂


北米が原産




日本離れした風景


風車とルピナス


初夏の花が咲き乱れている


ポピー


圧巻の花畑


ハナビシソウ


ポピーとハナビシソウ


ポピーとルピナス


ハナビシソウ


黄しょうぶ


ノースポール


ノースポール

「学びのフォーラム山科」優しさとしての文化の講座の話は面白かった!

2011年05月20日 | Weblog
5月11日の「学びのフォーラム山科」の講座は、「優しさとしての文化」でした。

講師は、もと立命館大学教授で、雑誌「上方芸能」の発行人の、木津川 計氏でした。

木津川氏の講座は、説明が、面白く楽しい講座です。

木津川氏は「上方芸能」の発行人なので、今回は、手塚治虫、男はつらいよ、松竹新喜劇

の藤山寛美を取り上げて、それぞれ、国民的人気のあったエンターテイメントから

優しさとしての文化がいかに日本人に受け入れるかを説明してくださいました。

手塚治虫ーー 人類愛に満ちたストリー 絵も素晴らしいが、阪大医学部出身
         なので、ブラックジャックなど、類をみないストーリを展開、
         鉄腕アトムを創作した時から、将来は人間とロボットは
         共存すると予告していた。

男はつらいよーー 27年間にわたり、作られた国民的人気の映画シリーズ
           勤人で管理される社会の人達は、気のむくままに放浪する
           主人公に 共感!
           どうしょうもない主人公を支える、家族愛や周りの人達の
           優しさの映画なのが、これほどの人気の秘密かも!

松竹新喜劇ーー まさに笑いと涙の人情劇。映像を 講義の中でありましたが、  
藤山寛美     映像を見て  これほどの喜劇役者は、これからは出て来ない
           かもしれないと感じました。



5月の 「学びのフォーラム山科」の講座


講師はもと立命館教授で、雑誌「上方芸能」の発行人の、木津川 計氏でした。


松竹新喜劇


藤山寛美    これほどの喜劇役者は、これから出て来ないかもしれないと感じました




新緑に包まれた日吉大社はせせらぎや国宝の東、西本宮本殿が清々しい

2011年05月19日 | Weblog
新緑の中、山の木々の森林浴と散歩を兼ねて、比叡山の麓の日吉大社に行きました。

日吉大社は、紅葉の名所なので、5月の季節は、みずみずしい、新緑に満ちていました。

参道の坂を登ると、西本宮に着きます!

国宝の西本宮本殿は、古色蒼然? 楼門に猿の彫刻が居る事を、今回初めて知りました。

森林浴を兼ねて、森の中に点在する、建物を見ながら、国宝の東本宮本殿へ!

山王祭が、4月にあり、神輿が、船に乗って琵琶湖を渡るのですね!

日吉大社に行く時は、紅葉の季節が多いので、紅葉に気をとられすぎて、

本宮などを、しみじみと見ていなかったようです。

爽やかな新緑の中を散策していると、清々しく、気持ちが安らぎました。


日吉大社の入口の鳥居


石橋


せせらぎに清流が流れています


山王鳥居
上の三角は、神仏習合を表す


西本宮への参道は新緑が美しい


西本宮楼門


神猿の説明


楼門にある神猿


西本宮拝殿


西本宮拝殿と本殿  西本宮本殿は国宝です


宇佐宮





重要文化財の神輿


山王神輿七基の説明文


山王祭のポスター


三宮に登る階段


東本宮楼門


東本宮境内


国宝の東本宮本殿


東本宮境内と楼門


東本宮参道


新緑のせせらぎ



坂本にある古民家公人屋敷は、150年前の姿に修復されていた!

2011年05月18日 | Weblog
京都新聞の「古民家探訪」の記事に、坂本の公人屋敷(旧岡本邸)の記事がありました

公人屋敷(くにん)屋敷ってなんの屋敷?

坂本は、古くから、比叡山延暦寺の門前町として栄えていたところです。

江戸時代から、多くの里坊( 引退した比叡山延暦寺僧侶の隠居所) が多く作られる

ようになりました。

延暦寺の僧侶でありながら、妻帯と名字帯刀が認められた「公人」と呼ばれた人々は

治安維持や年貢・諸役を収納する、寺務を勤めていました。

坂本は、江戸幕府から延暦寺に寺領として寄進されていたので、幕府や大名からの

直接的な支配を受けなかったので、延暦寺独特の行政が、行われたとのことです。

旧岡本家を所有していた当主が、2001年に大津市に寄贈し、市が修復し、

現在は、一般公開がされています。

公人屋敷(くにん)屋敷の文字をクリックするとホームページにリンク出来ます。


公人屋敷(くにん)屋敷の門


石垣の塀と漆喰の壁が、落ち着いた門前町らしい趣に、ふさわしい屋敷がまえ


玄関


土間 台所





蔵はねずみの被害対策のため、一段高い所に建ってあり、外側を漆喰で塗りかため
内側にも、柱を荒縄で巻くなどして、すべて中塗してあります。
延暦寺からの預かりものの年具米を大切に保存することも、公人の重要な仕事であった。


馬屋
近くの滋賀院門跡などに挨拶に訪れる、上級武士の馬を預かる施設


150年前に修復か新築された建物 (1864年) 
主屋は切り妻作りの瓦葺き、木造2階建て、延約350平方㎡


鎧が展示されていた


子供の日にちなんだのでしょうか? 鎧が展示されていた。


居間から土間を望む


居間には、その当時の着物が展示されていた


九つの座敷がある


隣の家  門前町の面影を残す家が所々に残っています

フラワーアレンジの先生が新町通に花屋開店!店内でのレッスン

2011年05月17日 | Weblog
フラワーアレンジの先生が花屋を4月末に開店されました。

花屋をするのが夢だったとか!

レッスンは、店内で、とのことで、綾小路と仏光寺通の間の新町通に店があるのですが、

道を間違ってしまい、先生に電話したら、途中まで探しにきてくださいました。

店は、8坪で狭いということですが、外のガラスが大きく、店内は改装せずにすんで

冷房もついていて、良い条件だったとのことで、四条烏丸の阪急、地下鉄も近く、

烏丸通のビジネス街も近く、飲食店も多い、店として良い場所です。

レッスン受けるメンバーの他の2人は、いつもの生徒で、レッスン風景は、

外を歩く人からもよく見え、私達がレッスン中にも、花のレッスンを受けたい方が来て

私たちと入れ替わりにレッスン受けました。 

生の花に囲まれた店内でのレッスンは楽しい! 

他の生徒の方が、「花は良いわね! 心が癒される!」と言ってました。

先生を、応援するためにも、鉢花や、贈り物の花がある時は、この店で購入しようと

思っています。

5月は、会館で初めて、嵯峨流の生け花のレッスン受けましたが、

●昔からある生け花は剣山に挿し生け、余分な物を、外して、マイナス算の花の生け

方で、品格に満ちています。

●フラワアレンジメントは戦後、盛んになった生け方で、水を吸収するオアシスに挿し、
 
オアシスが見えないように、足していって生けるので、足し算の生け方で、豪華で

洋風です。

どちらも良さがあり、花がある生活は、生活にうるおいと、癒してくれます。


先生の花屋の店は、「リーフガーデン」 電話ー075-361-2808
住所 〒600-8443  京都市下京区新町通綾小路下ル船鉾町382ー1


先生の店 「リーフガーデン」


外には、鉢花を売っています


外には、鉢花を売っています


入口


生の花のアレンジも売っています。 
予算と目的を言うと、花束やアレンジをしてもらえます。


店内の花


温度調節されたガラスケース内の花


練習風景


今回の花  先生が直接花市で購入されるので、珍しい花が多い!
費用はレッスン代込みで、3500円で、これだけの花を使っては、破格の安さです。


5月から、習い始めた嵯峨流の生け花
もっと整理して、バランスをとるべきと、反省しました。
なかなか気にいった生け方が、出来ませんでした。

新緑の中の葵祭りは平安王朝の511人の行列の装束が華麗な王朝絵巻

2011年05月16日 | Weblog
京都三大祭りの葵祭りが、15日行われ、10時半に新緑に輝く、

京都御所の建礼門前を出発しました。 

有料観覧席は満席で、御苑のなかは、見学する観光客であふれていました。

翌朝16日の新聞によると、8キロにわたる、沿道を埋めた見学客は

8万1000人とのことでした!

平安装束に身をつけた511人の行列は、約1キロの長さに渡り、新緑の御苑から

下賀茂神社、上賀茂神社への、8キロの行程を進みます。

見学したのは、御苑のなかですが、眩しく輝く初夏の日差しのもと、華やかな平安王朝の

装束に身を身につけた行列は、まさに華麗な王朝絵巻でした。

葵祭りは、下賀茂神社、上賀茂神社の祭礼で、フタバアオイを身に飾ることから

葵祭りと呼ばれ、祭りの起源は6世紀にさかのぼる歴史ある「賀茂祭」ということです。


10時半に新緑に輝く、京都御所の建礼門前を出発しました。 
有料観覧席は満席で、御苑のなかは、見学する観光客であふれていました。


いつもお世話になっている会館の職員の方は、雅楽の家の出身で、今回の葵祭り
に参加し、馬に乗るとのこと! 馬に乗る人達は、乗馬の達人と思っていたのですが
なんと10分練習したのみ! 手綱は、馬の係の人がとるので、乗っているだけ
で良いとのことです。8キロの行程乗っていると、身がいってくるとのことでした。
参加出来るのは、晴がましく、光栄な事とのことです!




荷物を担ぐ人  ご苦労様です


勅使  天皇のお使いの役目とか!


牛車が来ました


牛が曵いていません! 牛さんは手綱取られて歩いています




花笠






山吹の花の傘








女人列


斎王代が見えます


十二単衣姿の斎王代












最後を飾る牛車


牛車は藤の花で飾られています。 藤の花が揺れ、華麗な装飾の牛車


行列が終了して、静かになった、新緑の御苑の雰囲気を楽しみました。


新緑に色どられた御苑の門

黄檗山萬福寺は中国の明朝様式を取り入れた建物が23棟もある壮大な寺院

2011年05月15日 | Weblog
黄檗山萬福寺は1661年に、中国僧の隠元隆(いんげんりゅうき)禅師によって

開創された寺で、今年で350年の歴史があります。

日本の「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されて、黄檗山萬福寺は

黄檗宗の大本山です。

黄檗宗では、中国明代の仏教儀礼、お経も法式梵唄で行われるとのことです。

中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当時のままで、禅宗伽藍建築として、

主要建物はが、23棟もある壮大な寺院です。

昔に、1回行ったきりで、あまり記憶がなく、今回行ってみて、これはスゴイ! 

珍しい寺院!と、感嘆!  

4時過ぎに行ったのですが、広大な境内に見かけた観光客は1組のみ! 

黄檗山萬福寺は、禅のための修行道場と記されていたのが、理解が出来ました。

ここの普茶料理は有名で、美味しいとのことです。

中国風精進料理で、3人以上から予約出来るとのこと!

どんな料理なのでしょうか? 機会あれば食べてみたいものです!

黄檗山萬福寺の文字をクリックするとホームページにリンク出来ます。


ポスター
黄檗山萬福寺は1661年に、中国僧の隠元隆(いんげんりゅうき)禅師によって開創され
た寺で、今年で350年の歴史があります。


山門


境内マップ
中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当時のままで、禅宗伽藍建築として、
主要建物はが、23棟もある壮大な寺院


境内と山門


開山堂門


開山堂


松隠堂


回廊


禅堂前  座禅の最中の立て札


天王殿を大雄宝殿から見る


天王殿のなかには、布袋尊が祀られています


鐘楼


大雄宝殿(本堂)日本で唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物


説明文


法堂前庭


大雄宝殿(本堂)と法堂前庭


法堂前庭の回廊


法堂

新緑のトンネルを抜けると中国風の門のある興聖寺が静かなたたずまい

2011年05月14日 | Weblog
宇治に行ったついでに、興聖寺にも行ってみましょう!

宇治川沿いにある、石作りの門をくぐると、新緑のトンネルの参道です。

せせらぎが流れる、登り坂の参道を登って行くと、変わった門?

中国風? 竜宮造りの山門(楼門)とか? 

境内は静かで、山が借景の興聖寺の境内にたどりつきました。

本堂の左右に、石組みの庭園が広がっています。

興聖寺は、仏徳山と号する曹洞宗のお寺で道元禅師を開祖としていて、

永平寺が本山の禅寺です。

山が借景の自然と静けさに満ちた寺でした。

興聖寺の文字をクリックすると、ホームページにリンク出来ます。


石づくりの門をくぐります


新緑のトンネルの登り坂の参道です。


変わった門です? 中国風? 竜宮造りの山門(楼門)とか?


しげしげと眺めてしまう個性的な門


門から見ると、登って来た参道は新緑が美しい!


鐘楼


山が借景の訪れる人が少ない静かな山内


また門があります。  薬医門


境内から見た薬医門


本堂


本堂前の石組みの庭  東側


本堂前の石組みの庭  西側


参道にヤマブキの花やツツジが咲いていました



 




平等院は広い藤棚の藤やツツジが、風情ある鳳凰堂を背景に満開!

2011年05月13日 | Weblog
宇治川の散策から、宇治の平等院に行きました。

ツツジや広い藤棚の藤の花が、満開でした。

これだけ広大な藤棚は、類を見ない圧巻の藤棚です。

推定200年とか? 一周グルグルと周り、しげしげと眺めて、藤の花はなんと

日本的な情緒のある花、なのでしようか!

五円玉でおなじみの鳳凰堂は毎回見ても、優美で風情ある建物ですね。

日本の誇るべき文化遺産だと思いました。


表門入口の藤棚


表門


平等院内図


観光客で賑わっています


満開のツツジと藤棚


満開の藤


圧巻の藤


五円玉でおなじみの鳳凰堂は毎回見ても、優美で風情ある建物です


横からの鳳凰堂


藤と鳳凰堂


藤と鳳凰堂