工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

ポーランドを旅して各地の旧市街の美しさに感動の旅

2016年04月30日 | Weblog
今回2016年4月12日から19日までの

ポーランド周遊8日間の旅を終え、トルンやボズナン、ヴロッワフ

クラフクと聞きなれない名前の各地の旧市街の美しさに感動する旅でした。

各地で同じような日本人のツアー客に出会わなく、観光客はヨーロッパ

やアメリカの人達が多かった!

まだ年収も少なく、医者やコンピュータの技術者などはドイツ

フランス、スイスなど収入の高い国に行ってしまうとのことです。

まだユーロになってはいません。インフラが悪くて

道路状況も悪く、高速道路は少なくて、工事している箇所は

時速10キロの大渋滞で、それを抜けるのに2時間かかりました。

その日は道路で大事故になっている車を2か所で見かけました。

今回の現地ガイドはポーランド人が多かったのですが、1人は日本女性で

ポーランド人と結婚し20年住んでいるかたにポーランドのいろんな事情を

聞いたりしました。

ポーランドは バルト海に面し、東ヨーロッパのスラブ系国家の一つで

一次は10世紀の王国建設以来、モンゴルの侵入を撃退し

リトアニアと一体化して広大なリトアニア=ポーランド王国を形成しました。

西部のドイツと東部のロシアにはさまれて、常に領土的な脅威を受け、

17世紀以降はプロイセンとロシア、オーストリアの干渉を受けるようになり、

実態はロシアの支配が続いた。

ポーランドが実質的な独立を回復したのは第一次世界大戦後である。

大戦間のポーランドはロシア第二次世界大戦が始まると東西からドイツとソ連に侵攻され、

再びポーランドは分割支配され消滅した。大戦中もナチスドイツに対する抵抗を続け、

ソ連軍の支援で共産政権が成立し、戦後は社会主義国家となり、

ワルシャワ条約機構の加盟国としてソ連の衛星国家となった。

社会主義経済体制が行き詰まった20世紀末にポーランドの「連帯」の自由をお求める

ストライキが、東欧革命の端緒となり、一気に東欧社会主義陣営は崩壊し、

ポーランド共和国も自由化、資本主義化を遂げ、2004年にはヨーロッパ共同体に加盟した。

ワルシャワで現地ガイドさんから「ワルシャワ蜂起の悲劇」の説明がありました。

ドイツ支配下のポーランドの首都ワルシャワで1944年8月1日から

ポーランド国内軍と市民による反ドイツの蜂起が始まった。63日にわたる戦闘の末、

10月2日にドイツ軍によって鎮圧され、兵士1万8千と市民約15万が死んだ。

10月2日、ワルシャワは六三日間にわたる闘争ののち降伏した。

ヒトラーは、ワルシャワの完全な破壊を命令した。建築物の約八割が爆破され、

ワルシャワは文字どおり瓦礫の山と化した。

今度の大戦を機に国土の領域が大きく変化しました。

ポーランドは今過去の歴史は他の国に支配されたのが長かったのですが

今は建造物は、修復復建され、美しい国で

いろんなことを考えさせられ有意義な思い出深い旅になりました。



ボズナンの旧市街


ヴロツワフの旧市街