工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

地域の新年会はカラオケで盛り上がる!

2014年01月22日 | Weblog
住んでいる地域の老人会の新年会が19日に魚善という京料理の店で開催されました。

滋賀銀行前に11時半に集合して、魚善のマイクロバスに乗り込みます!

お酒を飲むので、送迎バスは有難いです!

魚善で松華堂会席でのランチは、お吸い物と茶碗蒸つきでした! 

カラオケで盛り上がり、また送迎バスで送ってもらいました! 参加者は21名でした!

働いていた生活だと、地域とのつながりがなかったので、仕事をやめた今は

なるべく地域の集まりには参加するように心がけています!

今日22日から31日までチュニジアへ10日間紀行のツアーに参加するのでその間はブログを休みます


テーブル


豪華な松華堂会席


何が入っているのでしょうか!


お吸物と茶椀むしだけ温かい!


カラオケで盛り上がりました! 


妙心寺は46の塔頭があり敷地は10万坪の広大な禅寺!

2014年01月21日 | Weblog
今回の「京の冬の旅」で日頃公開されていない塔頭を3つ拝観してきました。

妙心寺の10万坪の広大な敷地に点在する46の塔頭のうち、年中一般公開されているのは退蔵院など

四寺のみなのです。

その他の塔頭寺院は特別公開中のみに拝観できるので、そのチャンスを逃さないで、行くようにしています!

境内は静寂で別世界のようです!


南総門
妙心寺は1337年(建武4年)花園法皇が自らの離宮を禅寺に改め、関山慧玄(無想大師)を開山としたのが始まりで、
その後、応仁の乱などで一時中絶するが、細川勝元の支援を受けて復興、次々と名僧を輩出し
現在は広大な10万坪の山内に46の塔頭寺院が点在する。石庭で有名な龍安寺は境外の塔頭寺院です!


三門
三門は、慶長4年の建立で、境内で唯一の朱塗りの建物であり、空・無想・無作という禅の境地の意味が記されている。
楼上には観世菩薩像と十六羅漢が祀られ、極彩色鮮やかに飛天や鳳凰・龍の図が柱や梁に描かれている。


境内  三門、仏殿、法堂の大伽藍がそびえています


仏殿、法堂


仏殿


法堂
法堂の天井には、8年の年月を費やして描かれた狩野探幽の筆による雲龍図があります。


大方丈


方丈と法堂の渡廊下


法堂


大書院


京の冬の旅ではスタンプ三ヶ押してもらうと、指定した場所でお菓子とお茶で休憩できます。
妙心寺横にある花園会館の「花ごころ」で休憩しました。


お抹茶と和菓子で休憩!

大法院(妙心寺塔頭)第48回非公開文化財特別公開 初公開の路地庭は山を背景に雅やかでした

2014年01月20日 | Weblog
大法院(妙心寺塔頭)は、今回の第48回非公開文化財特別公開で初公開の寺院とのことでした。

大法院は妙心寺の塔頭寺院で、武将・真田幸村の兄であり、信州松代(まつしろ)藩主であった真田信之(のぶゆき)の菩提寺です。

天下分け目の合戦 関ケ原の戦いで、真田の家名を守るため、親兄弟が東軍と西軍に分かれ、戦うことを決めた真田家。

勝った東軍についた長男の真田信之(さなだのぶゆき)は、真田六文銭を受け継ぐことになり、明治まで続く松代藩、

真田家十万石の礎を築いた武将です。

寺内には幕末の思想家・佐久間象山の墓もあります。

客殿を囲むように広がる庭園は、草庵風茶室「有隣軒」に通じる露地庭園で、楓や苔の深い緑に覆われ、侘びた風情を見せて山を借景に

待合などの建物がある雅やかな庭園でした。 どこがひなびた風情のある寺院でした!

江戸初期の絵師・渡邊了慶の障壁画や、襖8面にわたって百羽の鳥を墨一色で描いた土方稲嶺(ひじかたとうれい)筆「叭叭鳥(ははちょう)図」

海北友松や酒井抱一、鈴木松年など、江戸時代から近代までの絵師・画家の絵画も展示されていました。


大法院(妙心寺塔頭は妙心寺境内の北西にあります


途中にあった塔頭   妙心寺には46もの塔頭がある10万坪の敷地の禅寺です


大法院(妙心寺塔頭)


看板


門を入ると建物が遠望できます






本堂に入ってみましょう


本堂から見た前庭


方丈(客殿)


方丈前の庭園は路地庭です


山が借景になっています






茶室


雅やかでひなびたた風情の待合の建物








井戸






妙心寺 聖澤院(みょうしんじ しょうたくいん) 京の冬の旅 第48回非公開文化財特別公開で初公開

2014年01月19日 | Weblog
妙心寺 聖澤院(みょうしんじ しょうたくいん)は 京の冬の旅の第48回非公開文化財特別公開中で、 初公開なので行ってみましよう!

聖澤院は、妙心寺塔頭寺院の中でも由緒ある妙心寺四派の一つ「聖澤派」の本庵で、大永3年(1523)東陽英朝(とうようえいちょう)を

勧請開祖に迎えて創建された寺とのことです。

方丈の襖絵は、狩野派の絵師・片山尚景(かたやまなおかげ)が表情豊かに七頭の獅子の勇姿を描いた「獅子図」や「十牛図」など84面に及ぶ

水墨画です。

数寄屋の趣を取り入れた書院には、濃墨の曲線で見事に立体感が表わされた狩野典信筆「麒麟図」「竹林七賢図」、

近代の文人画家・富岡鉄斎(とみおかてっさい)の「巌栖谷飲図(がんせいこくいんず)」など、優れた障壁画があり、見ごたえがありました。

方丈前庭園は苔が美しい庭園でした。


聖澤院の門


京の冬の旅 第48回非公開文化財特別公開の看板


門を入る


方丈(客殿)前の庭は苔の庭でした


方丈(客殿)前の庭


方丈(客殿)
方丈の襖絵は、狩野派の絵師・片山尚景(かたやまなおかげ)が表情豊かに七頭の獅子の勇姿を描いた
「獅子図」や「十牛図」など84面に及ぶ水墨画です。


方丈(客殿)前の庭


書院




書院


書院前の庭


書院から見た方丈


中庭


窓から庭が見える








龍泉庵(妙心寺塔頭)第48回非公開文化財特別公開 の方丈庭園の広大さに驚かされる!

2014年01月18日 | Weblog
龍泉庵(妙心寺塔頭)は第48回、京の冬の旅で非公開文化財特別公開中です。

妙心寺塔頭寺院の中でも寺格の高い妙心寺四派の一つ「龍泉派」の本庵で、景川宗隆(けいせんそうりゅう)が室町幕府の管領(かんれい)の

細川政元を開基として創建したとのことです。

山内塔頭の中で最大規模の方丈を飾るのは、平成11年の開祖五百年遠諱(おんき)の際、日本画家・由里本出(ゆりもといずる)氏が描いた100面

の障壁画で雄大な図の襖絵は見ごたえがありました。

狩野探幽(かのうたんゆう)筆の「観音・龍虎図」、長谷川等伯筆の「枯木猿猴図」(複製)も特別展示されていました。


京の冬の旅で公開される、妙心寺非公開文化財特別公開の看板


龍泉庵(妙心寺塔頭)








龍泉庵、非公開文化財特別公開の看板


庫裏


庫裏横の玄関


門の中


大玄関


庫裏内  煙を出す口が天井にある


中庭


方丈の大きさに驚かされる! 山内最大級の方丈は幕末に建てられたとのことです


方丈庭園は広大です


方丈前の枯山水庭園


方丈前の枯山水庭園


方丈裏


書院と書院庭園


書院


書院庭園


寺内




山科アスニ講座 「考古学から見えてくる山科」  ~中臣遺跡とその周辺~で山科の遺跡の多さを実感!

2014年01月17日 | Weblog
1月15日(水) 第676回) 「考古学から見えてくる山科」 ~中臣遺跡とその周辺~

講師は京都市考古資料館 館長  辻 純一 氏

山科区一帯にあって、京都の洛東最大の集落史跡とされるのが、「中臣遺跡(なかとみいせき)」で、

山科盆地は、中臣鎌足(藤原鎌足)で知られる中臣氏(後の藤原氏)の本拠地として古くから開発され、大津京や平安京の隣接地として

も歴史的に大きな影響を与えた地域でした。

主な遺跡は中臣遺跡、大宅廃寺、旭山古墳群、安朱遺跡、山科本願寺跡があります。

山科区の山科盆地の南部と栗栖野丘陵を取り巻く一帯には、「中臣遺跡(なかとみいせき)」と呼ばれる縄文時代

(後期旧石器時代 約二万年前)から平安時代を経て、室町時代に及ぶ大規模な集落遺跡があります。

この遺跡群は、集落跡と古墳群から成る複合遺跡で、東は山科川、西を旧安祥寺川で囲まれ、両河川の合流点から北へ広がっています。

発掘調査によって、住居跡は、山科川と旧安祥寺川に面した段丘面を中心に点在し、大きく二つの時期に分けられることが判りました。

一つは弥生時代の終末期から古墳時代の前期にかけての遺跡で、もう一つは古墳時代からその終末期にかけての遺跡になります。

その内、古墳時代からその終末期にかけての集落遺跡には、中臣鎌足(藤原鎌足)が邸宅(陶原館)を構えていたという「山科の陶原」が

あった可能性もあり、そうであれば、「中臣遺跡」は古代史上たいへん貴重な遺跡となることになります とのことです。

1月26日まで「京都市考古資料館」で「高校生が歩いて学んだ山科」展が企画されていて、発掘調査された出土品などの展示

があるとのことなので、近日中に行ってみるつもりです!

今住んでいる山科が、2万9千年の旧石器時代から、人類が住んだ遺跡があるところとは、驚かされました!


ポスター


講習会場


京の冬の旅で7年ぶりの聚光院(大覚寺塔頭)非公開文化財特別公開を拝観 大覚寺境内を散策

2014年01月16日 | Weblog
聚光院は、永禄9年(1566)、武将・三好長慶の菩提を弔うために創建され、茶人・千利休と茶道三千家の菩提寺としても知られる大徳寺の

塔頭寺院とのことで、京の冬の旅での公開は7年ぶりなので訪れました。

方丈は、桃山の画壇を風靡した絵師・狩野永徳と、その父松栄(しょうえい)の傑作「花鳥図」「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)図」

「琴棋書画図」など国宝の障壁画(複製)で飾られていますが、複製で本物は京都国立博物館に預かっているとのことです。

松と一面の苔の緑が美しい「百積の庭」(名勝)は、永徳の下絵を元に利休が作庭したものと伝えられていますが、屋根を工事中で

美しいとはいいがたい! すべて写真撮影禁止なので、絵葉書をいただいたので、それを写しました。

利休好みの茶室「閑隠席」(重文)、「桝床席」(重文)の二つの名席がありました。


看板


聚光院門


説明看板


庫裏.


庫裏前の庭


絵葉書による庭
伝、千利休作庭の方丈前庭「百積の庭」は屋根の工事中で木材などが置いてあり、美しくない!


境内にある千体地蔵


境内にある千体地蔵


境内にある千体地蔵


境内にある千体地蔵


境内   庫裏本坊方丈(総務本所)


境内  法殿


境内


仏殿


三門  金毛閣


三門  金毛閣


三門  金毛閣


勅使門


興臨院(大覚寺塔頭)非公開文化財特別公開ですがすがしい庭を拝観する!

2014年01月15日 | Weblog
興臨院(大覚寺塔頭)は能登の守護・畠山家と加賀百万石の前田家の菩提寺です。

優美な桧皮葺の屋根と簡素で素朴な造りを残す客殿(重文)は、室町時代の禅宗建築の代表作とのことです。

不老不死の神仙が住むという蓬莱山(ほうらいさん)を表した前庭は、中国・天台山の石橋を模した豪放な石組みが特徴の枯山水庭園で

すがすがしい庭でした。


駐車場から大覚寺西から門に入る所に看板がありました。


非公開文化財特別公開の看板


看板


興臨寺総門 この総門は(重文)です 入ってみましょう!


庫裏


庭への門


庫裏前の庭


寺内


坪庭


坪庭


茶室が見えます


茶室の「涵虚亭(かんきょてい)」は、茶人・古田織部好みの四畳台目に隅板を加えた造りで、「洞床」をもつ茶室である。
そのほか「畠山義総画像」「前田利家画像」など、所蔵の絵画も特別展示されていました。


客殿前の前庭は蓬莱山形式の枯山水庭園で説明がありました


客殿前の前庭


客殿前の前庭は清々しい美しさでした


客殿前の前庭


客殿の後庭




寺町阿弥陀寺(非公開文化財特別公開)で信長、長男信忠の像を礼拝する!

2014年01月14日 | Weblog
寺町阿弥陀寺は、織田信長や正親町(おおぎまち)天皇の帰依を受けた清玉(せいぎょく)上人が開山で、織田信長公本廟所とのことです。

本能寺の変の際、上人は本能寺に駆け付け信長の遺骸を寺に運び、本能寺・二条城で討死した織田家中百余名と共に供養し埋葬しました。

境内には信長・信忠父子墓と森蘭丸ほか家臣の墓がありました。

本堂内は信長公木像や位牌、弓掛(ゆがけ)や鞍覆、手槍先、於本能寺・二条城討死衆合同位牌、明智光秀・木下藤吉郎(豊臣秀吉)書状などが

公開されていました。

本堂天井は、日本画家・上田幸子氏筆の鮮やかな色彩の「彩華来迎花浄土之図(さいからいこうかじょうどのず)」が彩られていました。

以前に聞いた話では、信長の遺骸は見つからず、日本には沢山の信長の墓所があり、いずれにも遺骸は埋葬されていないとのことなので

本当にこちらが遺骸を収めた墓所なのでしょうか???


阿弥陀寺、寺町門


石碑


説明看板


非公開文化財特別公開の看板 信長の像の写真


鐘楼


本堂


信長の墓所の案内看板


信長一族の墓


石碑


昔からの墓なので、遺族のいない墓石が並べられていた


境内





妙顕寺(非公開文化財特別公開)に行き3つの庭を拝観!光琳曲水の庭には見事な松がある!

2014年01月13日 | Weblog
第48回 京の冬の旅 (非公開文化財特別公開)が1月10日から始まりましたので、今まで拝観したことがない寺などを訪ねる

ことにしました。

第48回 京の冬の旅は 平成26年1月10日(金)~3月18日(火)までです! が社寺によって期間が違うとのことです!

妙顕寺(みょうけんじ) は京都初の日蓮宗道場として鎌倉時代に日像上人が創建した大本山の一つで尾形光琳ゆかりの寺とのことです。

3つの手入れのいきとどいた庭園はそれぞれ趣がありました。

第48回 京の冬の旅 (非公開文化財特別公開)の文字をクリックするとホームページにリンクできます


看板が見えます


拝観料を支払ってお参りしましょう


庫裏の内部


客殿前の枯山水「龍華飛翔(四海唱導の庭」


客殿前の枯山水「龍華飛翔(四海唱導の庭」


客殿前の枯山水「龍華飛翔(四海唱導の庭」


渡り廊下から見た庭


客殿から本殿への渡り廊下
本殿は大伽藍の中心には、内部天井に信徒の家紋をあしらった総欅(けやき)造の荘厳なものです


孟宗竹の坪庭


琳派を代表する尾形光琳の屏風絵を元に作られたという「光琳曲水の庭」


「光琳曲水の庭」


「光琳曲水の庭」


「光琳曲水の庭」


「光琳曲水の庭」 大木の松がありました

庭の奥にある宝物殿で光琳筆の「寿老松竹梅三幅対」、日蓮聖人御真筆「玄旨伝法本尊」、後醍醐天皇綸旨(重文)など寺宝も拝観でき
ました。


本殿


境内


境内


境内


お参りされている家族


近くの妙覚寺の前を通りました。 妙覚寺に庭があるとのことなので、特別公開することがあった拝見したいものです


境内で餅つきしていました


境内で餅つきしていました。 町内会の方なのでしょうか? 広い境内を子供達が走りまわっていました!





山科ラクト2日の千本引き参加料5000円でもれなくお買い物券5000円が当たるは・???

2014年01月12日 | Weblog
毎年1月2日には山科大丸に行って、福袋のお菓子を何か買って、お年賀のおみやげにします。

同じ1階で専門店街の山科ラクトの千本引きが開催されて、1階のアナトリーウム会場が長い列でうめつくされます。

帰ってからチラシ見たら、1回の参加料5000円でもれなくお買い物券が5000円分当たると記入されています。

くじが当たっても、サランラップ位がよいところでしょう! 長い行列に並ぶのがいやでこのイベントに参加したことが

ありません! チラシを見て、5000円を2日に専門店で買ったらもれなく5000円があたるのでしょうか?

1階のフロントで聞いてみたら、2日は5000円でラクト専門店のみ使える商品券が売り出されて、それを購入すると、

1回のみ、籤の抽選ができるとのことです。

ただしその商品券の有効期限は1月31日までとのことで、ラクトの専門店街でしか使えません。

1月は10日までで、7000円位の買物をラクトの専門店街でしているので、5000円の商品券買っても良かったかも

しれませんが、もし賞品を当たっても、必要ないものばかりで、だれか貰ってくれる人を探さなくてはならないし、

長い行列に並ぶのは気がすすまない!


チラシ


チラシ  1回の参加料5000円でもれなくお買い物券が5000円分当たると記入されています。
もれなく当たるではなく、お買い物券5000円が購入できますが正しいのでは???


山科図書館の講座山科を知ろう!孫が語る「大石順教尼の生涯」

2014年01月11日 | Weblog
大石順教は、明治二十一年に大阪の道頓堀に生まれ、

15歳の時、大阪堀江で芸妓への道を目指し、芸名は妻吉で「山梅楼」の中川万次郎という人の養女となります。

明治三十八年(1905)六月二十一日、養父の万次郎は、妻が男と駆け落ちした事から酒に溺れて狂乱し、殺傷事件

(逃げた妻の母親、弟、妹の他、養女にしていた二人の芸妓も巻き添えにして、五人を惨殺した事件)を起しました。

この時、17歳の妻吉(大石順教)も巻き添えを受け、両腕を切断され、顔に切り傷を受けました。

「堀江六人切り事件」として日本中を震撼させたこの恐ろしい惨劇により、ただ一人一命だけは取り留めましたが、

彼女の人生は一変しました。

その後、大石よね(大石順教)は、身障者である自身の姿を見世物として、寄席や地方巡業で生計を立て両親を養う日々でしたが、

鳥篭の中のカナリヤを見て心を打たれます。鳥は手が無くても、一所懸命生きていることに気付いたのです。

よね(大石順教)は一大決心をし、筆を口にくわえて苦しい練習を行い書画に優れた才能を発揮するまでになります。

また学問を学び、明治四十五年(1912)には日本画家の山口草平と結婚し一男一女の母となり、その後夫とは離婚に至りますが、

昭和に入ると、「堀江事件」の犠牲者等の冥福を祈るために仏道生活に入り、同じ身体障害者婦女子の収容と教育を始めました。

昭和八年(1933)、出家・得度し名を「順教」と改め、昭和十一年(1936)、勧修寺境内に身体障害者福祉相談所を開設、

昭和二十六年(1951)に仏光院を建立しました。

口を使って描く書画では昭和三十年(1955)日展に入選しました。

身体障害者の心の母、慈母観音と慕われた大石順教尼は、昭和四十三年(1968)四月、81歳で亡くなりました。

孫の大石 晶教さんは祖母の順教尼と20年近く暮らし、しつけは厳しいものの、明るく前向きに生きる祖母の姿を

語ってくださいました。

年齢を重ねるごとに尼の偉大さを見直し、偉業を伝えていく活動をされるようになったということです。

大石順教尼さんの生涯は有名ですが、身近な孫の方から話を伺うと、困難にも負けず、前むきに生涯をおくった大石順教尼さんの

素晴らしさが実感として理解できました。


山科図書館館長の挨拶




口に筆をくわえて書を書く順教尼


大石順教尼さんの作品

人の命のはかなさを感じる!残りの人生悔いのないように生きましょう!

2014年01月10日 | Weblog
昨年12月中旬に町内の葬式の案内がポストに入っていて、驚かされショックでした!

お隣の娘さんが66歳で亡くなられ家族葬なので、葬式には参列しないでください!とのことでした。

お隣に越されてから30数年、毎日家の前にあるプランターに水やりされていましたので、お会いしたら挨拶をしていました!

12月にお隣が騒がしいので、家から出てきた方に伺うと、娘さんが癌で66歳で亡くなり、葬式の準備中ということです!

お隣は山科の駅前でアイスキャンディの店を持ち、山科駅前の開発で店を売り、その当時で4億円くらいだったそうです。

山科のラクトのビル内のテナントの家賃の何軒かの収入があり、音羽マンションの2室を購入し、賃貸しされて

1階のテナントの店を購入して喫茶店を娘さんは経営されていました! 

働かなくても良い身分なのですが、独身の娘さんは喫茶店を経営することが、生きがいになっていたようです。

昨年夏8月に90歳を超えた母上を見送られた時は、私の方は旅行中で知らずじまいでした!

娘さんは気丈なしっかりとした方でしたが、母上を見送ってから、亡くなられたので親不孝せずにすんだのでしょう!

入院2か月で癌で亡くなられたそうです! 今は無人になった家に車や自転車がそのまま置いてあります!

遺族の方がいつかその家を処分されるでしょう! 隣の家からよく話声が聞こえてきましたが、今なんの物音をしません!

お隣の家を眺めて、気丈でしっかりとした娘さんは私より長生きするものと、思っていましたので、ショックが大きく

人生のはかなさを感じています。

私も何歳まで生きられるかは,神のみぞ知る!です。毎日を大切に生きたいものです!

悔いのない人生を生きるために、元気な間に世界を旅行して、世界を知りたいと思っています。

今月21日からチュニジア10日間のツアーに参加します。

昨年12月末に新しく出来た「韓丼山科店」に行ってみた!

2014年01月09日 | Weblog
新聞のチラシでカルビ丼とスン豆腐専門店「韓丼山科店」が昨年12月28日オープンと出ていました!

山科は駐車場完備したファミレスタイプのところが多いのです!

店は1号線のMKのガソリンのガソリンスタンドの隣のようです! 

市内中心に出た帰りによって見ました! 広い駐車場が完備しています。

カルビ丼の肉はまったく口に合わなくて、残しました。2回目はスン豆腐定食を依頼してみました。

海鮮スン豆腐はあまりにも辛くて、また口にあいません!

普通なら2度と行かないのですが、店のつくりは窓が大きく解放感あり、外の景色が見えるので

明るいので、こういう雰囲気の店は好きなのです。 

セルフ方式で自分でトレーで運ぶのですが、市内中心に出た帰りに気軽にⅠ人では入れる

雰囲気なので、もう1度行って、辛くないスン豆腐があるので、次はそれを食べてみましょう!


1号線のMKの隣にある


窓が広くて明るい


今まで山科にはない韓国のファミレスタイプの店です


カルビ丼とわかめスープ  600円
カルビ丼の肉はすじが多くかたくて口に合わない!


海鮮スン豆腐定食  680円
辛すぎて口に合わない! スープの味は美味しい!


メニュー


メニュー

馬ゆかりの神社「粟田神社」に初詣!旅の安全を祈願しました!

2014年01月08日 | Weblog
5日に馬ゆかりの神社「粟田神社」に初詣して、これから行く旅の安全を祈願しました!

粟田神社は京都の東の出入り口「粟田口」に位置するために、古来旅の安全を祈る参拝客が絶えず、

旅人を見守る神様として知られるようになり、いつしか入学、卒業、就職、結婚といった人生の門出をむかえてた

「人生の旅立ち」を守護するという信仰が広まったとのことです。

明治44年に氏子から寄進された神馬の青銅像が階段の途中に建てられています。

境内は高台にあるので、町並が見下ろせました!


三条通リに面した入口  平安神宮や青蓮院の近くの粟田口にあります


石の鳥居からさらに登って行く


さらに石の鳥居です


参道の階段を上る! 横の急坂を車が登っていくのにびっくり!


境内手前の階段の横に明治44年に氏子から寄進された神馬の青銅像がありました


大きな新馬です


神馬の説明文  
この粟田口近辺は京と大津間の荷物運びや、馬借、車借と呼ばれる貸馬業を営む人達が住んでいたとのことです


境内までたどりつきました


下の街並みが遠望できます


本堂に参拝しましょう


本堂の中


本堂の横


境内


境内


能舞台もありました


お守りの鈴を友人のために購入


おみくじを引いたら中吉でした


階段を下りて帰路につきます


神馬ともお別れです


三条通に出たら、着物姿の人達が行きかっていました!