4月上旬に山科アスニーで、「蓮如上人と山科本願寺」の講座が、大谷大学学長で
教授の草野 顕之氏によりありました。
蓮如が引退して住んだ南殿は、同じ町内に、南殿光照寺として、町内に有り、山科に住む
住人には、蓮如上人は身近な存在です。
蓮如上人は、応永22年(1415年)に、本願寺第7代宗主存如上人の長男として、
京都東山大谷本願寺にて誕生されました。
上人誕生当時の本願寺は、『さびさびとしておあします。参詣の人一人としてなし』と
呼ばれた状態であり、今日の本願寺からは、想像もできない程の寂れきった状態でした。
その時代から、200年前に、法念上人が念仏信仰を唱え、浄土宗の宗祖となり、
それをうけついだ親鸞の時代からは、見る影もなく、衰退していた真宗を再興した
のが、蓮如上人です。
43歳で、父亡き後、京都東山大谷本願寺の跡を継ぎました。
延暦寺集徒により、寺が、破却されてから、近江の堅田・金森の地を転々とされ、
1471年(文明3年)、越前吉崎に坊舎を建立。活気にあふれるこの地で、親鸞聖人の教え
をわかりやすく手紙の形式でつづった『御文(おふみ)』によって民衆を教化。
さらに『正信偈』『和讃』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めの作法のもとと
なるかたちを定めた。 4年後、吉崎から大坂河内出口に至りました。
京都山科へと移り、66歳の1480年(文明12年)には山科本願寺御影堂を完成した。
75歳で後継を実如に譲り、83歳の時には大坂石山坊舎を建立。
蓮如上人は、山科本願寺で、真宗再興に尽くした、85年の生涯を終える。
蓮如上人の字をクリックすると、詳しいホームページにリンク出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/e1/6a2a6de0638d0be8d735f8891a0b0e5e.jpg)
大谷大学学長で教授の草野 顕之氏による「蓮如上人と山科本願寺」の講座。
わかりやすい説明で、興味深く、面白い講座でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/91/c568053cd0678f3d80ef074d36327774.jpg)
山科本願寺の堂舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/05/939e8b89e05c8e6644dd16e1070c3d27.jpg)
山科に広大な敷地があったのがわかります。
やましな本願寺発掘調査地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0b/bd2a5b66f1a8c47e8a23396eb001ba72.jpg)
南殿光照寺 もとにあった南殿に蓮如は隠居所とした。
死後戦火により焼失! その後地に南殿光照寺が建てられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5b/bac4c74dadecf638ba52b61f5a548e14.jpg)
山科本願寺土塁跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/cc/67f07e10e551b705cff68f77f1c8e4b7.jpg)
土塁の説明文
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a1/5930ad3e3e5e5986adb8400188706b2c.jpg)
町内に残る、蓮如上人のかかわりある井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b2/a417e7358eea23d6986ab9ae88766be6.jpg)
井戸の説明文
教授の草野 顕之氏によりありました。
蓮如が引退して住んだ南殿は、同じ町内に、南殿光照寺として、町内に有り、山科に住む
住人には、蓮如上人は身近な存在です。
蓮如上人は、応永22年(1415年)に、本願寺第7代宗主存如上人の長男として、
京都東山大谷本願寺にて誕生されました。
上人誕生当時の本願寺は、『さびさびとしておあします。参詣の人一人としてなし』と
呼ばれた状態であり、今日の本願寺からは、想像もできない程の寂れきった状態でした。
その時代から、200年前に、法念上人が念仏信仰を唱え、浄土宗の宗祖となり、
それをうけついだ親鸞の時代からは、見る影もなく、衰退していた真宗を再興した
のが、蓮如上人です。
43歳で、父亡き後、京都東山大谷本願寺の跡を継ぎました。
延暦寺集徒により、寺が、破却されてから、近江の堅田・金森の地を転々とされ、
1471年(文明3年)、越前吉崎に坊舎を建立。活気にあふれるこの地で、親鸞聖人の教え
をわかりやすく手紙の形式でつづった『御文(おふみ)』によって民衆を教化。
さらに『正信偈』『和讃』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めの作法のもとと
なるかたちを定めた。 4年後、吉崎から大坂河内出口に至りました。
京都山科へと移り、66歳の1480年(文明12年)には山科本願寺御影堂を完成した。
75歳で後継を実如に譲り、83歳の時には大坂石山坊舎を建立。
蓮如上人は、山科本願寺で、真宗再興に尽くした、85年の生涯を終える。
蓮如上人の字をクリックすると、詳しいホームページにリンク出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/e1/6a2a6de0638d0be8d735f8891a0b0e5e.jpg)
大谷大学学長で教授の草野 顕之氏による「蓮如上人と山科本願寺」の講座。
わかりやすい説明で、興味深く、面白い講座でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/91/c568053cd0678f3d80ef074d36327774.jpg)
山科本願寺の堂舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/05/939e8b89e05c8e6644dd16e1070c3d27.jpg)
山科に広大な敷地があったのがわかります。
やましな本願寺発掘調査地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0b/bd2a5b66f1a8c47e8a23396eb001ba72.jpg)
南殿光照寺 もとにあった南殿に蓮如は隠居所とした。
死後戦火により焼失! その後地に南殿光照寺が建てられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5b/bac4c74dadecf638ba52b61f5a548e14.jpg)
山科本願寺土塁跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/cc/67f07e10e551b705cff68f77f1c8e4b7.jpg)
土塁の説明文
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a1/5930ad3e3e5e5986adb8400188706b2c.jpg)
町内に残る、蓮如上人のかかわりある井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b2/a417e7358eea23d6986ab9ae88766be6.jpg)
井戸の説明文