アスニー山科で、「清少納言のしみじみ、紫式部のいらいら」という講座が
京都学園大学文化部教授の、山本淳子氏で開催されました。
なぜ、「清少納言のしみじみ、紫式部のいらいら」というのか? 清少納言が仕えた
一条天皇の中宮定子は、、聡明な性格で、清少納言と、息が合い、清少納言は宮中の
仕える生活を楽しみ、その生活を、枕草子に記している。
定子が死去した1000年には職を辞している。
一方の紫式部はそれから5年後に、一条天皇の中宮の彰子に仕え始めるが、彰子は道長の
娘で、道長とは交流あったもの、彰子中宮は、まったくのお嬢さん育ちで、紫式部とは
親密な交流が築けず、紫式部も、宮中の生活に、違和感を感じていた!
紫式部と清少納言との、宮仕えの時期にはずれがあり、顔を合わせる事が無かったの
ですが、紫式部は、清少納言が宮仕えを辞してから、10年後に紫式部日記で、
清少納言を、痛烈に批判しているのは、同じ文芸作家としての対抗心、嫉妬心?
清少納言のように、中宮と親密な関係になれなかったからなのでしょうか?
講演は面白く、1000年前の話なのに、情景が浮かんでくるようで、楽しく、面白い
講座でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3a/414faae472edb043ebcad337504cec1a.jpg)
3月のアスニー山科の講座
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/f3f393f4a2a70ac52ae17b84cac4c7e8.jpg)
講師は、京都学園大学文化部教授の、山本淳子氏
京都学園大学文化部教授の、山本淳子氏で開催されました。
なぜ、「清少納言のしみじみ、紫式部のいらいら」というのか? 清少納言が仕えた
一条天皇の中宮定子は、、聡明な性格で、清少納言と、息が合い、清少納言は宮中の
仕える生活を楽しみ、その生活を、枕草子に記している。
定子が死去した1000年には職を辞している。
一方の紫式部はそれから5年後に、一条天皇の中宮の彰子に仕え始めるが、彰子は道長の
娘で、道長とは交流あったもの、彰子中宮は、まったくのお嬢さん育ちで、紫式部とは
親密な交流が築けず、紫式部も、宮中の生活に、違和感を感じていた!
紫式部と清少納言との、宮仕えの時期にはずれがあり、顔を合わせる事が無かったの
ですが、紫式部は、清少納言が宮仕えを辞してから、10年後に紫式部日記で、
清少納言を、痛烈に批判しているのは、同じ文芸作家としての対抗心、嫉妬心?
清少納言のように、中宮と親密な関係になれなかったからなのでしょうか?
講演は面白く、1000年前の話なのに、情景が浮かんでくるようで、楽しく、面白い
講座でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3a/414faae472edb043ebcad337504cec1a.jpg)
3月のアスニー山科の講座
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/f3f393f4a2a70ac52ae17b84cac4c7e8.jpg)
講師は、京都学園大学文化部教授の、山本淳子氏