
( 一茶忌 )
今日19日(旧暦)は一茶忌、1763年6月15日長野県北部、北国街道柏原宿の
農家に生まれる。15歳の時に江戸に奉公に出されます。生涯二万句の発句をなし
ています。自虐的とも取れる句、土地に根ざした作風は俳句をしない人にも共感を
得ている気がします。
これがまあ終の栖か雪五尺 小林一茶
一茶忌や父を限りの小百姓 石田波郷
一茶忌の雀の家族焚火越す 秋元不死男
一茶忌の句会すませて楽屋入 中村吉右衛門
焼栗の爆ぜて一茶忌近うせり 吉田鴻司
一茶忌や父が遺せし文一荷 佐藤正治
今日19日(旧暦)は一茶忌、1763年6月15日長野県北部、北国街道柏原宿の
農家に生まれる。15歳の時に江戸に奉公に出されます。生涯二万句の発句をなし
ています。自虐的とも取れる句、土地に根ざした作風は俳句をしない人にも共感を
得ている気がします。
これがまあ終の栖か雪五尺 小林一茶
一茶忌や父を限りの小百姓 石田波郷
一茶忌の雀の家族焚火越す 秋元不死男
一茶忌の句会すませて楽屋入 中村吉右衛門
焼栗の爆ぜて一茶忌近うせり 吉田鴻司
一茶忌や父が遺せし文一荷 佐藤正治
一茶忌の句会すませて楽屋入 中村吉右衛門
こちらはまず句だけ見て、
「え?楽屋入りって何?」と首をひねってから、
作者名に目が行き、「納得!」
季語一茶忌がよいです。
作者の職業ならではの句は、得していらっしゃるなあと思いました。
これは持論ですが
俳句はどんな容ですら人の心に届かなければ
その意味を成せない
まずは読者、鑑賞者の反応があることが大事だと
思っています
東京やなぎ句会の俳句(宗匠入船亭扇橋、柳家小三治、永六輔、小沢昭一、など等)の俳句は私にとってまさにそれですね
やなぎ句会の講師として参加された鷹羽狩行の句
デパートを電飾包装クリスマス
しぐるるや外出(そとで)せぬ日は帯ゆるく
七と三 たまに五と会ふ七五三
普段の鷹羽先生の句とは異なった柔軟性がありますね
人それぞれの体験、経験を感性と呼ぶことがあります、その職ならでは感じる空間を吉右衛門さんの
句が伝えてくれた秀句でした
揚句を見せて頂き、以前、黒姫高原へ一泊して一茶の里を巡った時の事が思いだされました。
観たままの幼稚な句ですが、一茶忌に投句したのが入選した事が有ります。
風の撞く一茶の里の花手毬>でした。
鷹羽狩行の三句、感服しました。
自由自在のお心の広さですね。
楽屋入の句は、その後、顔に隈取を入れられたのか、富樫の衣装をつけられたのだろうか。しずしずと舞台へ上っていかれる様子までが余韻となって胸を打たれました。得だなあなどと、いいましたのは、少し軽くて、言葉が足りませんでした。
吉衛門丈が歌舞伎座で「お土砂」を演じられた時、
秋興や亡者踊らす吉衛門 杏
という発句を出したことがあったのを思い出しました。
良いお句ですね 手毬花は近くの植物園でも毎年
見ることが出来ますが私は一句も授かっていません
このお句は小手毬でしょうか?いい景色ですね
>takeさん、その発句が導かれた吉衛門の世界は
きっと印象深い舞台だったことでしょうね
歌舞伎はかなり昔に親戚を観光で案内した時に
観ただけですがオーラと言うのでしょうか、舞台
が耀いていたことだけが残っています
その一巻を是非拝見したいものです