( 筍・笋・竹の子・たかんな・たかうな )
ころころのお散歩コース赤塚植物園の竹林に今年も竹の子が顔を出し始め
ました。最近、新しい近道を知ってから徒歩8分となり、もし天変地異があれば
そのときにはここに逃げ込もうと算段しています。今なら旬の恵みが沢山。
秋なら果樹園。何とかなりそうな気がします
竹の子の黒装束は折られたり 阿波野青畝
竹の子のさみどり揃ふ山の宿 木村敏男
筍の荷がゆく朝の札所前 飯田龍太
たかんなや吉良累代の墓所 加古宗也
竹の秋しづかなものに余呉の湖 細見綾子
独り言
朝起きてビックリ、見渡す屋根が雪で真白・・・花後の雪 なんて季語ができるかも
東京に生を受けて59年、この時期にこんな風景は一度も見た事が無い
さて今日はこんな話
いつものことながら俳句を詠むルーティーンに俳書や句集を読む
ことがある。読んでるうちに浮ぶことが多いのでいつからか
はじめたのだが、ふとかなり前に先輩からこんな話を聞いた
ことを思い出す。
俳句の詩の部分は作者それぞれの感性(生き様)の表現で
あり、形としての俳句は百余りしかない。どんな俳句もそれに
あてはまる。その中でも印象的に残っているのは「て」止めの
俳句について聞いたことだ。
そもそも「て、に、にて、らん、もなし」の止めは連句の第三句目
発句(第一句目)脇(第二句目)に添って一巻の変化展開の
始まりの場所、連句書によれば前句を受けながらも発句、脇の
境地から大きく転じることとある。
俳句はすべて発句として独立していなければ成立しない。
「て」止めがいけないのではなく、効果として「て」以降の
沈黙の中に読者への理解を求めてしまう。
つまり第三者を引き込んでいて独立していない
○○の ○○○○ ○○て
○○に ○○○○ ○○て
では、「て」止めを使うにはどうしたらいいのでしょう。
それは「や」切れ字を使うことで良いそうだ・・・
○○や ○○○○ ○○て
この「て」は「や」以前の○○が解決するということです。
文章にすると分かりずらいが、是非実作でお試しを・・・