海山の創作ノート

工房T 海山の書、印、絵、版画、工作、etc.日々の暮らしの中で出来た作品を紹介します。 さて、今日は何を作るかな。

No.335 旅行記 「山頭火をもとめて…」 その1 日奈久温泉

2009-01-29 | その他

山頭火を求めて(山頭火漫遊記)その1 日奈久温泉

● まず、なぜ日奈久か?
青春18切符の旅で、普通列車でどこまで遠くへ行けるのか?
これがはじめの思い付きである。
愛用の時刻表をめくる。
確かに一日中列車に乗っていれば、僕の家からスタートして、
大阪だって松江だって鹿児島だって行ける。
しかし、仕事の合間で時間も金もない。でも、充実したものにしたい。
だから、次の三つのことを守ることとした。
一、 日帰りであること。といっても次の日のことを考えて、22時までには帰宅すること。
一、 とんぼ返りではなく、少なくとも4時間くらいは散策すること。
一、 テーマを決めること。
付け加えるとするならば、まだ行ったことのない所、なるべく歩くこと、できれば温泉に入ること。欲を言えばきりがないのでこのへんでやめておく。

さて、鹿児島本線は快速列車をうまく使えば時間の短縮ができる。幸い鹿児島本線スタートなので九州県内は案外遠くまで行ける。朝の7時ころ出発するとして、11時過ぎくらいに着く所であれば条件を満たす。南下すれば鳥栖を分岐として佐賀、長崎方面と熊本、鹿児島方面とに分かれるが、上の条件で言えば、有田、佐世保、唐津、八代、阿蘇、辺りまでということになる。
 そこでテーマだ。実は今回の青春18切符の旅、一枚目は仕事で久留米に行くのに使った。二枚目、三枚目は佐賀県佐賀と小城。これも半分仕事で二人連れ。でも、佐賀美術館と中林梧竹記念館だから、勉強にもなったし楽しかった。梧竹を求めて…という手もあるかもしれない。しかし、どうも硬い。真面目過ぎる。もっと、ふらふら、そして温泉でゆったりして、そう放浪漫遊といった感じの旅にぴったりのものはないか。
 ちょうど近頃書いた作品の句、そう、山頭火の「ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない」について調べていたら、やけに山頭火のことが気になりだした。久しぶりに本棚から、「定本山頭火句集」などを引っ張り出して文章を読んでみた。山頭火の歩いた跡を辿ってみると、九州はもとより平泉、石巻、酒田まで、山陽道、東海道、福井、長野、新潟、山形、そして四国と広範囲である。そして、日記を欠かさない人であったから、句と同じように日記もたくさん残っている。その中に、こんなのを見つけた。
『私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅に出ました。歩ける
 だけ歩きます、行けるところまで行きます。温泉はよい。ほんたうによい。ここは山もよく海もよい。出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが(それほど私は疲れてゐるのだ)』
昭和5年9月10日に八代から日奈久に着いて、友達に書いた手紙の文らしい。
山頭火は、木賃宿「おりや」に泊り、宿の夫婦が親切にしてくれたらしく、気に入ったのだろう13日の朝まで「入浴、雑談、横臥、漫読」している。
 これで、決まり。日奈久温泉に入ってみたくなった。一応、山頭火を求めて、日奈久の旅、ということでテーマも決定だ。そうと決まれば、あまり調べ過ぎない。直感を大切にしていきあたりばったりの方が感動的な場合が多い。青春18切符は1月20日までが有効期限。あと二回を1月10日と17日とした。

● 日奈久温泉へ
 1月10日、予定通りに、7時前出発。まだ暗い。小雪もちらついている。大野城辺りにはうっすらと積雪。博多、荒尾で乗り換えて八代に着いたのは11時過ぎ。白地にオレンジ、グリーン、ブルーの線の入ったかわいい列車が、隅のホームに一両で待っている。ここで肥薩おれんじ鉄道に乗り換えだ。なんとこれが、元の鹿児島本線、このまま行けば鹿児島まで行けるのだが、今はJRではない。もちろん青春18切符は使えないから、新たに切符を買って乗りこんだ。15人ほどしか乗っていない。九州新幹線の開通で博多からは確かに便利になったけれど、地元の人の生活列車を切り捨てざるをえなかったことを思うと複雑な心境だ。おれんじ鉄道となってうまく存続してくれればいいのだが…。それにしても、JR普通列車で行くならば、人吉の方から回ることになり随分と遠回りだ。
 そんな思いを吹っ切るように、大きな柑橘の実の畑の中を抜けるように、列車は進む。日奈久温泉駅は八代から二つ目、330円だ。同じ行動の中高年放浪者が三人ほどいたが、彼らはそのまま鹿児島方面へと乗りつづけるらしい。日奈久駅に降り立ったのは、ただ一人。なんと、僕だけではないか。(つづく)
          写真は肥薩おれんじ鉄道



No. 334 書 「汚れっちまった悲しみに…2」

2009-01-27 | 


汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

中原中也「山羊の歌」汚れっちまった悲しみ…より

ついセンチになってしまった時は
字を書くにかぎるのです。
なんといっても好きなことをやっていると
いつのまにか、いやな気分も消えるのです。

半紙に殴り書きしたまでのことですが、
捨てきれずに写真に撮ってしまいました。

No.333 拓本「山頭火・こんなに…」

2009-01-26 | 
  

これが拓本の出来上がりです。
写真の石碑にどれだけ近づけたか。
拓の方はうまくいきました。

さて、この「こんなにうまい水があふれている」は
「水」が強調されていることと
「て」(変体仮名で天)の一画目が特徴的です。
元字はまだ見つけられません。
同じ句を書いたものの図版はあいましたが、
さらさらとペンのように書かれています。

あれから、山頭火の自筆について調べてみましたが、
短冊、色紙、半切にたくさん残っているようです。
同じ句を何度も何度も書いています。
当然出来の良し悪しはあります。
晩年の作、特に59才のものが、切れ味鋭いすばらしいものが多いです。
したがって、最後の場所、四国の松山に、いいものがあると思います。
石碑には、建立した人の思いがありますから、
元にする字も同じ句でもいろいろです。
防府の石碑とは違う元字のものが、松山にはあるでしょうね。
いつか行かねばなりません。



No.332 刻 山頭火石碑より「こんなにうまい水が…」

2009-01-23 | 

これは何か?

この前の防府の山頭火石碑めぐりの中から生まれた作です。

これは、防府護国禅寺の石碑群の一基、
「こ(古)んなに(尓)うまい水があふれてゐる」と書かれた石碑のコピーなのです。
この石碑は、山頭火の自筆を拡大したもので、
元の字の感じがよく表現された石碑です。
拓本を採りたかったのです。
しかし、こんな所では無断で拓本を採るわけにはいきません。
手続きは面倒ですし、今回はそんな時間もありません。
なにしろ30基以上の石碑めぐりです。
始めてでどんな石碑があるのかもわかりませんでしたから、
湿拓の用意はしていませんでした。
(ちゃっかり乾拓の用意はしていましたが…。)

そこで、この碑の拓本らしいものを採るべく、
作業を始めました。
(つまり、コピーを作ろうというわけです。)
写真を元に、左側のようなA3に印刷して、
石碑の縮小コピーを作りました。
といっても、石碑は自筆の拡大のはずです。
元々は、俳句ですから短冊くらいのものに書いたのだと思うので、
大元の自筆に近いのではないか!?と勝手に思ってます。
(だから、それを確かめるために、この自筆の本物を是非見てみたいのですが…)
右側のものは、これを元にして私が板に彫った、
いわゆる刻字とでもいうべきものです。
拓本をするための版といってもいいでしょう。

本物ではありませんが、そっくりさんが出来上がりました。
これで、拓本の準備完了です。
(次回につづく)

No.331 書 山頭火「ふくろうはふくろうで…」

2009-01-19 | 


書作品としては、今年の第一弾です。
山頭火句
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
この正月、ある展覧会に出品した作です。
最近の心境!?
さて、…。

三年ほど前から書いている山頭火のシリーズ四作目ですね。
もともと山頭火は好きで、学生のころからよく書いていましたが、
最近また、「定本山頭火」「山頭火大全」などを読み返してみました。
改めて感銘を受けることが多く、この冬は山頭火を求めて
旅に出ました。

まずは、熊本県の日奈久へ。(1月10日)
山頭火は日奈久に来た時の日記でこんなことを言っています。

『私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅に出ました。歩ける
 だけ歩きます、行けるところまで行きます。温泉はよい。ほんたうによい。ここは山もよく海もよい。出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが(それほど私は疲れてゐるのだ)』

温泉好きの山頭火がここの湯を誉めたのがよくわかりました。
もちろん山頭火が泊まったという宿にも寄ってみました。
(ここは宿はやめて、資料室になっています)
この町は、時代に乗り遅れたような、ちょっと寂れた感じの温泉地ですが、
その辺が時代遅れの私にはとても居心地良くて、
タイムスリップしたような楽しい旅となりました。
最後に八代の「このみちやいくたりゆきしわれはけふゆく」の石碑に出会って
大満足。

次は山頭火の石碑を探しに山口県防府へ。(1月17日)
まずは小郡の其中庵に挨拶してから、山頭火の生誕の地防府へ。
なんと、30基の石碑を
地図を片手にオリエンテーリングの様に歩いて見て回りました。
所要時間5時間、日没のため打ち止めとなりました。
防府にはまだあるのですが、なにしろ歩きですから
駅から歩ける範囲ということになります。
隣町の大道を含めて周辺にはまだまだ残っていますので、
楽しみは続きます。
この日だけで計32基の山頭火の石碑を見たことになりますが、
圧巻は、山頭火の墓のある護国禅寺。
ここには11基の石碑が建っています。
自筆を元にした石碑が多いので気分が良かったです。
(せっかく探し当てても、どこかの書家の書いたものは
どうもいけません。)
そして、もう一つの収穫は、防府天満宮のお土産屋さん、
いや山頭火資料室を持つ「山頭火」さん。
ここのご主人、山下さんに山頭火のことをいろいろとお聞きすることができたこと。
山下さんは「ふるさと山頭火会」の青年部長さんです。
帰りに湯田温泉まで行って、もういくつか石碑を見て…。と思っていましたが、
暗くなっては写真も取れない。
それに帰りも遅くなりすぎる。
残念ながら、湯田温泉も次の機会にということになりました。

まあそんなこんなで、飲食も忘れて歩き回り、一句。
歩きつかれて日が暮れて帰ろかな

この冬のJR青春18切符、4つ目と5つ目の旅でした。
どこかでもっと詳しくお話できるかもしれませんが、
このブログは、私の創作作品をということなので、あしからず。

No.330  シクラメン2009.1.8

2009-01-09 | その他


その後のシクラメンの成長ぶりをご覧頂きたいと思います。
私の休み中にまたどんどん大きくなっていました。
もちろん、いない間は無暖房です。
水は底面に溜まるタイプで、ギリギリもったようです。
普段は時々声をかけてやるのですが、
約二週間、南西向きの窓辺でほったらかされていたわけです。
しかし、元気いっぱいです。
葉は30枚ほど。小さな蕾がたくさん見えます。
ここがよほど好きなようですね。

No.329 2009年賀状・桜島

2009-01-08 | その他
「我が胸の 燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし 桜島山」
という平野国臣の有名な歌があります。
昨年の11月に鹿児島を訪れました。
その時に感動した、朝焼けの桜島の風景を木版画にしてみました。
言葉は、この歌の初めの部分を借用です。
実は、この歌、西郷隆盛の作だと思いこんでいたのですが、
友人の筑前藩勤皇の志士平野国臣のものでした。

牛歩の如き歩みとなるでしょうが、
今年もよろしくお願いします。