デジカメぶらりぶらり

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おでん

2009-09-10 06:40:34 | Weblog
コンビニに入ると、もうおでんを売っている。朝晩はしのぎやすくなった。並んだ品に食欲がわく。

とはいえ、まだ残暑は厳しい。昼は冷やし中華、晩酌に友にはおでん。胃袋が戸惑いそうである。里山から早々とクマの出没も情報も届く。

どこかおかしな夏の終わりである。これも地球温暖化の影響、と多くの識者は言う。地球科学という大きなスケールで見ると、逆に地球寒冷化の兆しが見られる、と主張する地質学者がいる。

温まるのか冷えていくのか、結論までには長い時間がかかりそうだが、不順な夏の選挙戦は決着した。

配られたマニフェスト(政権公約)のパンフをかざす人もいて、「読んでください」と、声が掛かった読んだところで、実行されない政権公約なら、日よけの役に立っただけまし。

政治への期待は熱くなるのか、逆に冷えていくのか、分かれ目の時である。



日誌

2009-09-08 08:21:05 | Weblog
「首相日誌」と「鳩山代表日誌」が並んで掲載されている。紙面片隅の短い記事だが、注目度は結構、高い。

朝の始まりと、夜の帰宅時間に目がいくのは麻生さんの業績?だろうか。朝のウオーキングが再開された。

ホテルのバーに立ち寄るのはどうだろうか。鳩山首相誕生までの権力者2人の動向を比べるのも面白い、先日は麻生さんの帰宅が午後7時57分。鳩山さん同59分と2分違い。

家族と高名なすし屋で食事をして帰るのも共通していた。のぞき見趣味ではなくて、日誌からは家族関係や金銭感覚、人間像が垣間見られる。

そこが大事である。有名な政治家の日誌が世に出ることがある。大正期の「原敬日誌」や最近では「佐藤栄作日誌」などがある。

が、歴史的な記録と見られるこれら大物政治家の日誌も、いずれ刊行されるのを意識して書いたものが多く、衝撃的な内容は意外と少ないと言うのが定説である。

現在、新聞に掲載されている権力者の日誌の併記は、期間限定だが、淡々と二代政党政治の始まりを描く、ささやかながら歴史的な価値があると、後世言われるかもしれない。

トラ

2009-09-06 07:11:21 | Weblog
アジアのトラに絶滅の危機が迫る、と報じられた。毛皮目当ての密猟が後を絶たないという。いまは、動物園で見ることができるが、あれは飼いならされている。

本物の怖さは知らない。が、猫のけんかを見れば、その迫力は想像できる。たかがけんかに、肝を据えて掛かっている。全身を振るわせ、怒りの声を上げる。

怒ることは、生易しいことではない。大変なエネルギーを使うのが、本当の怒りなのだろう。しかるのも同じ。しかられた人よりも、しかる方がよほど心が痛む。

見過ごしたり、ごまかしたりする方が、よほど楽である。「草食系男子」などと言われて、若者はなぜ怒らぬのか。そう思うが、偉そうに説教を垂れる資格はありそうにない。

万事、穏やかに取り繕うのが、当節の習いである。トラの激減に心が痛むが、猫ほどの怒りを表に出すことさえ薄らぐような人の世は、もっと寂しい。

振り子

2009-09-04 07:02:07 | Weblog
自民党が、ぶっ壊された。過去の実績も伝統も、そして戦後日本を支えてきた自負も一顧だにされず粉砕されたに等しい。

有権者の選択は残酷である。開戦前から勝敗は分っていた。とはいえ、これは「革命的」といってもいいだろう。戦い終わり日が暮れて、首相経験者や党幹部、小泉チルドレンが落選、無残な「関が原」を見る思いである。

が、革命の歴史は権力を奪った側にも残酷であることを忘れてはならない。古今東西、権力奪取した直後から革命軍には内部闘争の嵐が吹き荒れる。

民主党は、敵失で転がり込んだ政権であることを念頭に謙虚に足場を固めなくてはなるまい。この歴史的大勝は4年前に小泉劇場に熱狂し、自民に300議席を与えたのと同じ有権者が出した結果である。

有権者はバランス感覚を持っているというが、バランスを通り越して振り子が振り切れるほどの振り戻しだった。二大政党政治が定着するまでの試練なのだろうか。

新時代の入り口か、混迷の始まりなのか。戦後政治の歴史的一瞬を見た興奮以上に、次の振り戻しと明日の日本の政治が気がかりだ。

二刀流

2009-09-02 06:16:21 | Weblog
剣豪・宮本武蔵が二刀流を生み出したのは、祭りの夜だった。映画か小説で、その記憶がある。

2本のばちで太鼓を打つのを見て、ひらめいた。1本のばちの音は力強いが、2本ばちさばきの方が自在な響きが生まれる。

政治家の宣伝文句も、いまは「短い一言」がはやりだが、以前は「二刀流」が多かった。「寛容と忍耐」や「信頼と合意」など。

「決断と実行」を掲げた列島改造内閣は、時に強引なやり方が目立ち、「独断と暴走」と、からかわれもした。

二刀流の武蔵が、巌流島の決闘では船のかい一本だけを手にして勝った。もっとも、わざと遅刻をして佐々木小次郎をいらつかせたそうだから、もう一本は心理戦という二刀流ともいえる。

「責任力」「政権交代」などと声高に呼ばれる選挙であった。責任力で何をし、政権交代で何が生まれるのか。はっきりしないようでもある。政権公約には、勇ましい刀が並ぶが、なまくら刀があるかもしれない。

切れ味までは分らない。「責任力と不満」「政権交代と不安」。そんな二刀流も、いまの政治の世界にはあるのだろうか。