奇跡は起こせなかったが、責任は十分に果たしたといえるのだろう。長野県松本市で起きた松本サリン事件の被害者、河野澄子さんの話である。
それは事件発生の10日ほど前、夫の義行さん(58)と交わした会話にある。「お互い、いつ死んでも後悔しないように生きてきたよね」「そうね、本当に好きなように生きてきたわよね。での、あと10年は生きないと、子供たちの生活に対しての責任が果たせないわよ」。
義行さんの著書「命あるかぎり」にある。責任とは、子どもが大学を出るまでは生きていることを意味した。
事件の後遺症で意識は戻らなかったが14年間生きて、60歳で旅たった。この間に3人の子どもは全員、大学に進み、一人前になったという。
義行さんは病院から帰る時、いつも「澄子。あなたの存在が、子どもたちをはげましているんだよ」と声をかけてきたが、その通りなのだろう。
義行さん自身も、警察やマスコミから犯人のような扱いを受けた時は特に、澄子さんの存在が心の支えになった。同時に責任の重さも自覚した。
逮捕されたら子どもを守ることができない。絶望など感じていられなかった。著書のあとがきには、望ましい生き方とは「将来を心配するよりも、いまここにある幸せを見つけ楽しむ」とある。
それは事件発生の10日ほど前、夫の義行さん(58)と交わした会話にある。「お互い、いつ死んでも後悔しないように生きてきたよね」「そうね、本当に好きなように生きてきたわよね。での、あと10年は生きないと、子供たちの生活に対しての責任が果たせないわよ」。
義行さんの著書「命あるかぎり」にある。責任とは、子どもが大学を出るまでは生きていることを意味した。
事件の後遺症で意識は戻らなかったが14年間生きて、60歳で旅たった。この間に3人の子どもは全員、大学に進み、一人前になったという。
義行さんは病院から帰る時、いつも「澄子。あなたの存在が、子どもたちをはげましているんだよ」と声をかけてきたが、その通りなのだろう。
義行さん自身も、警察やマスコミから犯人のような扱いを受けた時は特に、澄子さんの存在が心の支えになった。同時に責任の重さも自覚した。
逮捕されたら子どもを守ることができない。絶望など感じていられなかった。著書のあとがきには、望ましい生き方とは「将来を心配するよりも、いまここにある幸せを見つけ楽しむ」とある。