BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

プラハの風景写真  ノヴィー・スヴィエト地区

2023-08-19 | エトセトラ
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、「プラハの風景写真」です。

最近撮られた写真で、プラハ城の西隣にある小さなエリア、「ノヴィー・スヴィエト」(Nový Svět、=New world、新世界の意) 地区の様子です。



元々は、城の要塞の外にあった集落で、何度も再建され、20世紀初頭には主に貧しい人々が住んでいました。第2次世界大戦後、古い家々が修復され、現在は、芸術家に人気の居住地となり、趣のある家々が建ち並んでいます。





創作された彫像が、飾られている家も。



1581年創業と言われる、「クルショヴィツェ (Krušovice) ビール」が飲める、レストラン「リアンドラ」(Liandra) です。





「Nový Svět」と共に、ドイツ語の通り名「Neuwelt Gasse」(ノイヴェルト・ガッセ、New world alley) が表記された、1918年以前の道路標識が、そのまま保存されて残っています。



観光客で賑わうプラハ城周辺とは異なり、この地区はあまり知られていないため、プラハ市内にありながら、静かな村といった佇まいの雰囲気がある場所です。



古い路面電車が、ツーリスト・トラムとして、観光名所巡る路線 (No.41, 42) で、使われています。ここへのアクセスは、ヒストリック・トラム・ラインのNo.42で、7月から9月初めまでの運行のようです。
雑草が生えた線路敷を走っている、写真のトラムNo.2172は、1929製MV形で、座席は木製です。それにしても、90年以上長く使われているのは、すごいことです。



地区からほど近い、「ポホジェレツ」(Pohořelec) にある、天文学者の「ヨハネス・ケプラー」(Johannes Kepler、1571~1630、ドイツ人)と、「ティコ・ブラーエ」(Tycho Brahe、1546~1601、デンマーク人、プラハで死去し、ティーン教会に埋葬)の像で、1984年に設置されたものです。



時代は、神聖ローマ帝国・皇帝ルドルフ2世 (在位1576~1612) が、ウィーンを離れ、プラハに居を構えた際、多くの学者や芸術家を引き連れて来て、文化・芸術の都としました。その中に、宮廷付天文学者 (占星術師) として、彼らが出入りしていました。


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