BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

チェコ製「ラウリン&クレメント・トラック」に乗った日本人

2022-02-05 | エトセトラ
プラハに住む友人から、プラハの風景写真と共に、今回、歴史的な写真画像が送られてきましたので、それについて書いてみました。 (風景写真については、一昨日、採り上げました)

1909年 (明治42年) 頃のお話です。

当時のチェコは、オーストリア=ハンガリー帝国 (チェコスロバキア国の成立は1918年) でしたが、自動車産業の中心地であったため、軍備を増強しようとしていた日本は、この地で軍用に使えるトラックの購入に興味を持っていました。

そのため、ドイツ語が話せる、北川正太郎・陸軍少佐 (最終は少将) を派遣。彼は、日本の道路での輸送任務に最も適すると思われる、「ラウリン&クレメント社」(Laurin & Klement) のFDLトラックに目を付けました。

プラハの北東約50kmに自動車工場がある、ムラダーボレスラフ (Mladá Boleslav) を1909年9月に訪れました。このことが現地の新聞社に注目されて、1910年1月にFDLトラックのハンドルを握った少佐の写真が撮られました。



(左が送られてきたもの。右は色調などを修正したもの)

彼は、車両テストに立ち会い、日本帝国陸軍は少なくとも21km/時のスピードを条件とし、トラックは25km/時を達成しましたので、技術的には問題がないことがわかりました。ただ、最終的に購入したのは、1台だけだったようですが。

FDLトラックの重量は1500kg、30台が生産されたようです。(ちなみに、スペックは4気筒、4503cc、22馬力、前4速・後1速と思われます) (下はネットからの画像。Lehký nákladní vozy 小型トラック)



ラウリン&クレメント社は、1895年にVáclav LaurinとVáclav Klementによって設立された、自動車・オートバイ・自転車の製造会社です。1905年に自動車の生産が始まり、すぐにオーストリア=ハンガリー帝国で最大の自動車メーカーになりました。

その後、1925年にシュコダ (Skoda) に買収されました。今は、フォルクス・ワーゲン・グループの「シュコダ・オート」となっていますが、チェコ最大の自動車メーカーでもあります。

(この後の話です。第一次世界大戦が1914年7月28日に始まり、1918年11月11日に終わりました。大佐となった北川は、再び1920年に敗戦国となったドイツとオーストリアを訪問し、飛行機とその属品の入手に係わりました。ちなみに、行きはインド洋、帰りは大西洋・米国・太平洋経由で、行程だけで3カ月間を要したそうです)


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