オーストラリアから、毎週土・日曜日の朝と夜に放送している、「リーチ・ビヨンド」(Reach Beyond) HCJB日本語放送を、5月1日に聴いていただいた、ベリカードです。
エクアドル・キトーからの日本語放送の第一声が、1964年5月1日、電波に乗って今年で58周年にあたることから、この日は記念番組として、尾崎一夫さんと尾原栄さんによる対談が、放送されました。
1970年代のBCLブームの最中 (1976年頃) には、HCJB には月平均5,000 通、年6万通もの受信レポートが届いたそうです。その返信作業には、キトー在住の日本人の方々も協力されたようです。
ベリに使われているのは、「BCLブームで激増した手紙に目を通す尾崎夫妻」の写真です。
お二人の若い頃のお写真を見て、いろいろ思った事柄です。(このような写真を見るのは、初めてです)
久子さんの右手横にあるのは、木製のリスナー・カード入れのようです。個人別カードには、お便りがいつ来て、返信はいつ出したか、など詳細がメモされているものです。
ベリカードの返信として、郵便切手60円が2枚必要とされていました。そんなことを思い出しました。
さて、この写真は、いつ頃撮られたのでしょうか、推測してみました。
決め手となる、返信用封筒を兼ねた、HCJB便りの「La Voz」が机上に置かれているのですが、画像が鮮明ではありませんので、発行年月がはっきりしません。
服装からは、時期は寒い季節のようですが、キトーは高地なので朝晩が寒いようで、季節による温度変化は激しくないようなので、該当する月の判断は難しそうです。
その他のものから判断すると、70年代ではなく、1981年の夏以降となります。この年の秋か冬か、82年の春か、あるいは、可能性としては、その1~2年後までではないでしょうか。
エクアドル・キトーからの日本語放送の第一声が、1964年5月1日、電波に乗って今年で58周年にあたることから、この日は記念番組として、尾崎一夫さんと尾原栄さんによる対談が、放送されました。
1970年代のBCLブームの最中 (1976年頃) には、HCJB には月平均5,000 通、年6万通もの受信レポートが届いたそうです。その返信作業には、キトー在住の日本人の方々も協力されたようです。
ベリに使われているのは、「BCLブームで激増した手紙に目を通す尾崎夫妻」の写真です。
お二人の若い頃のお写真を見て、いろいろ思った事柄です。(このような写真を見るのは、初めてです)
久子さんの右手横にあるのは、木製のリスナー・カード入れのようです。個人別カードには、お便りがいつ来て、返信はいつ出したか、など詳細がメモされているものです。
ベリカードの返信として、郵便切手60円が2枚必要とされていました。そんなことを思い出しました。
さて、この写真は、いつ頃撮られたのでしょうか、推測してみました。
決め手となる、返信用封筒を兼ねた、HCJB便りの「La Voz」が机上に置かれているのですが、画像が鮮明ではありませんので、発行年月がはっきりしません。
服装からは、時期は寒い季節のようですが、キトーは高地なので朝晩が寒いようで、季節による温度変化は激しくないようなので、該当する月の判断は難しそうです。
その他のものから判断すると、70年代ではなく、1981年の夏以降となります。この年の秋か冬か、82年の春か、あるいは、可能性としては、その1~2年後までではないでしょうか。