プラハに住む友人から送られてきた、「プラハの風景写真」で、市内の「彫像のある建物」の写真 (その2) です。
旧市街広場から東の方に行くと、市民会館のような建物「市庁舎」(Obecní dům) があり、1905~1912年に建築されました。
(元は1383年頃からの王宮があったところで、1636年頃は教会の施設、1869年頃は軍の士官候補生学校となり、1903年に取り壊されました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/22/ca40e9c0395543dfba9873004c451e4f.jpg)
建物は、アールヌーボー様式で、当時の中央ヨーロッパでの最先端技術の設備が使われ、外観には寓話的な装飾があったり、彫像が置かれています。建物内には、スメタナ・ホールなど約1,240室の部屋があるそうです。(上の写真はネットから)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/68/691f9c4c871c506c3379029ebfb8135f.jpg)
正面玄関のファザードは、プラハの神格化を表わしたという、カレル・シピラー (Karel Špillar) によるモザイク画が描かれ、入口を支える2本の電灯柱は、カレル・ノヴァク (Karel Novak) による、アトラスが世界を背負っている姿、とのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1a/2d79e08b6c86f7158e72f63077fb0bee.jpg)
側面の左側に、「国の屈辱」、右側には「国の復活」と名付けられた、ラディスラフ・シャローン (Ladislav Šaloun) 作の彫刻があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/5d/40313fb27f30c7ca5de432d47b815ae7.jpg)
側面壁には、チェコの民族衣装の種類を描いた、円形レリーフのメダリオンが付いた装飾柱がいくつもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c9/98fb8b17328a612d081fe885ec5fcb6a.jpg)
彫刻家セネック・ヴォスミック (Čeněk Vosmík) による彫像は、15世紀の建築家マチェイ・レイセック (Matěj Rejsek) で、彼は、火薬塔や数多くの教会の建築に携わりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/0b/9d1e09c65dc49b231400205f1a8ecd24.jpg)
そのほかには、聖ヨハネなどの聖人像が置かれています。
市庁舎建物の裏入口の上部にあるのは、寓話的な男性像と女性像でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/0f/0340412c6f0c5c452b4c6a089f05eec9.jpg)
市庁舎の脇にある建物は、1475年に建てられたゴシック様式の火薬塔 (Prašná brána, パウダー・タワーまたはパウダー・ゲート) です。元は、旧市街への入口門で、17世紀に火薬を保管するために使用されたため、そう呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/36/b432264b63286a5f67928a5e43bc3edb.jpg)
この付近は、旧市街の住宅地で、中世の区画そのままだったため、1895~1914年にかけて、約600戸の古民家が取り壊され、新しく建てられました。
解体が始まる前の、旧市街の写真です。
新しく建てられた建物の1つが、現在は、「ホテル・パリ (プラハ)」 (Hotel Paříž) です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f5/f2ae1f3cd424dc80266c625d4edb6b99.jpg)
建築家ヤン・ヴェイリッヒ (Jan Vejrych) によって、ネオ・ゴシック様式 (アールヌーボーとゴシックリバイバルの混合) によって、1904年に建築されました。
外観のセラミック・モザイクは、画家ジャノ・ケーラー (Jano Köhler) の制作です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/95/1181a08206d37c5e13917ae932785217.jpg)
左右に、帽子を手にした白シャツ姿の男性と、籠をもった農民女性を、中央には寓話的な女性がいます。頭に王冠、長いドレスにマント、剣を持ち、上げた手にリンデン (シナノキ) の枝を持っています。(神話の女王リブシェをイメージしている?) チェコの獅子の紋章盾を持っている男の子や塔も描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/11/2327e1fcbd9433e0dc566eef0b1579f4.jpg)
今回は、これでおしまいです。
これだけ見ても、友人が言うように、「自分たちの地域を、あらゆる種類の彫像で飾ることに非常に熱心だ」ということがわかります。それが、プラハ市内の建物を見て回る楽しみでもありますね。
(彫像のある建物(1)(2)については、実際の建物などを見たことがなく、友人からの写真を基にして書きました。また、日本語の人名表記については、ちょっとあいまいです)
旧市街広場から東の方に行くと、市民会館のような建物「市庁舎」(Obecní dům) があり、1905~1912年に建築されました。
(元は1383年頃からの王宮があったところで、1636年頃は教会の施設、1869年頃は軍の士官候補生学校となり、1903年に取り壊されました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/22/ca40e9c0395543dfba9873004c451e4f.jpg)
建物は、アールヌーボー様式で、当時の中央ヨーロッパでの最先端技術の設備が使われ、外観には寓話的な装飾があったり、彫像が置かれています。建物内には、スメタナ・ホールなど約1,240室の部屋があるそうです。(上の写真はネットから)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/68/691f9c4c871c506c3379029ebfb8135f.jpg)
正面玄関のファザードは、プラハの神格化を表わしたという、カレル・シピラー (Karel Špillar) によるモザイク画が描かれ、入口を支える2本の電灯柱は、カレル・ノヴァク (Karel Novak) による、アトラスが世界を背負っている姿、とのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/1b/9790bdde8e8b50c31b60f32fca5006d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1a/2d79e08b6c86f7158e72f63077fb0bee.jpg)
側面の左側に、「国の屈辱」、右側には「国の復活」と名付けられた、ラディスラフ・シャローン (Ladislav Šaloun) 作の彫刻があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/38/37f8aa81b3aad291184c5f699e72eaec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/5d/40313fb27f30c7ca5de432d47b815ae7.jpg)
側面壁には、チェコの民族衣装の種類を描いた、円形レリーフのメダリオンが付いた装飾柱がいくつもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c9/98fb8b17328a612d081fe885ec5fcb6a.jpg)
彫刻家セネック・ヴォスミック (Čeněk Vosmík) による彫像は、15世紀の建築家マチェイ・レイセック (Matěj Rejsek) で、彼は、火薬塔や数多くの教会の建築に携わりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/0b/9d1e09c65dc49b231400205f1a8ecd24.jpg)
そのほかには、聖ヨハネなどの聖人像が置かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6c/5fa97bbd3324661bf07213a4abcacdb3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/88/dadc96f35a60492c36e06c02a8c8d68f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/75/cea0c53a0bbf141bfc40ab11e7a0f790.jpg)
市庁舎建物の裏入口の上部にあるのは、寓話的な男性像と女性像でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9b/51410840a727b7136ce2f8fd65f13315.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/0f/0340412c6f0c5c452b4c6a089f05eec9.jpg)
市庁舎の脇にある建物は、1475年に建てられたゴシック様式の火薬塔 (Prašná brána, パウダー・タワーまたはパウダー・ゲート) です。元は、旧市街への入口門で、17世紀に火薬を保管するために使用されたため、そう呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/36/b432264b63286a5f67928a5e43bc3edb.jpg)
この付近は、旧市街の住宅地で、中世の区画そのままだったため、1895~1914年にかけて、約600戸の古民家が取り壊され、新しく建てられました。
解体が始まる前の、旧市街の写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/2c/956fd6153d62d95933fc9a18ec9db16e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ef/f6859dc887a49e253185f66340202174.jpg)
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新しく建てられた建物の1つが、現在は、「ホテル・パリ (プラハ)」 (Hotel Paříž) です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f5/f2ae1f3cd424dc80266c625d4edb6b99.jpg)
建築家ヤン・ヴェイリッヒ (Jan Vejrych) によって、ネオ・ゴシック様式 (アールヌーボーとゴシックリバイバルの混合) によって、1904年に建築されました。
外観のセラミック・モザイクは、画家ジャノ・ケーラー (Jano Köhler) の制作です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/95/1181a08206d37c5e13917ae932785217.jpg)
左右に、帽子を手にした白シャツ姿の男性と、籠をもった農民女性を、中央には寓話的な女性がいます。頭に王冠、長いドレスにマント、剣を持ち、上げた手にリンデン (シナノキ) の枝を持っています。(神話の女王リブシェをイメージしている?) チェコの獅子の紋章盾を持っている男の子や塔も描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/80/01cd40a8134eceb4449f24132eb638de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/20/53531e52e3a29c5da7759d6e48675481.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/11/2327e1fcbd9433e0dc566eef0b1579f4.jpg)
今回は、これでおしまいです。
これだけ見ても、友人が言うように、「自分たちの地域を、あらゆる種類の彫像で飾ることに非常に熱心だ」ということがわかります。それが、プラハ市内の建物を見て回る楽しみでもありますね。
(彫像のある建物(1)(2)については、実際の建物などを見たことがなく、友人からの写真を基にして書きました。また、日本語の人名表記については、ちょっとあいまいです)