こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年12月12日 金曜日 ランダムノート

2014-12-12 23:58:23 | スケッチブック

2002年12月デジタルスクラップ
テレビを見ない暮らしになってかなり経つ。ゼロというわけじゃないし、視たいものもあるけれど、その時間があったら、外を歩き、風の街に住まっている。

昔、親父(自分の父)に感じていた「古いヒトだなあ」的な、俗世間の「NOW(=今)」とのズレを感じることもない。それは自分が親父側に川を渡った、とも捉えれられるし”知らぬは本人ばかりなり”となるが、それでいっこうに構わない。
というか、あまり不自由を感じないのである。
ここ数年で、自分の暮らしも、元々目指していた半隠居・その範疇に入ってしまってスタイルが出来てしまったように思う。

とはいえ、色物に不足し、どん詰まり感にさいなまれることも多い。死がよぎることも含め。
ただそんな暗澹たる空気に包まれるいっときだけが不幸とも思えず、”今日はここに行ってきました!”などと観光自慢をするのをハッピーとも思えず、その手合いのサイトに”無理して、幸福ぶってる”と冷ややかな視線で冷笑一瞥をくれて終わる。

***

このあいだ、肝臓を壊す前に連れ立った呑み屋のおねえさんから電話が来た。数年ぶりだが、それも明け方で寝ていた時間帯。
起きて電話をする。久しぶりに話す。

どうせカネ儲けと客不足にあえいでの電話だろうと。しかし話せば、つい情が湧く。
だまされていると分かっていても、女のほうが常に一枚うわてである。

それを露骨には言わなかったが、外で会う約束をしながら、途中で破棄をした。
向かう道々、写真を撮り街の迷路を歩き、外気に触れているうちに、なんだかその感じの心地良さの流れを絶つことが出来ず、かと言って、それから会って、ぐだぐだ話してメシを喰って気を使えるだけのエネルギーも無いと判断した。

2002年12月デジタルスクラップ
ハヤリもの、がすべてシナリオ通りに運び、ほぼ分かったパターン上にある。
つまらない事象に大勢が飛び付き・騒いでる様から離れた地点にいるが、やはり不自由さは感じない。
というか、一応”社会”に半分足を入れていると、まわりが自分にいろいろ教えてくれる。
テレビを視なくても。

今日はお昼。いつもお弁当を一緒に食べるなかまと話していると。。。
話題は、今回の選挙に関してテレビはビビッて何も言わない異常さ、それに、”今年の漢字”一文字が「税」になったと教えてくれる。

私「ラジオじゃ、けっこう荻上チキさんなど、いろんな番組で面白い分析をしてるけどね。」
後輩くん「ラジオは、そういう規制外で自由さがまだ有って救いですね。」

先輩「しっかし『税』って。。。カネをめぐる生々しいものが一文字って(苦笑)。いかがなもんだろうか?」
私「あれ、お寺のお坊さんが筆で書くヤツでしょ?どうせなら、大作さんに描いてもらった方がリアリティがあるんじゃないですか?」
後輩くん「それイイですね、税金のがれしているから(笑)。」

メディアの誘導に”乗っかり”サーフィンをするよりも、街を歩いて川や高速の下で会うジプシーの人や、ネコなどをめぐって出会う島の人や、ごく一部のなかまと話しているほうがリアルであり、そこで得た情報のほうがどうやら正確な現実である。
誰がどう街でワルサをしているのかも一目瞭然である。

ほんとうは、こないだ会わなかったおねえさんとも話せば、フィールドワークとしても、より面白い収穫発見ができるのだろうが。
まあ、少しからだのあんばいとの距離を測りながら、気が向いたら連絡でもしてみよう。

■電気グルーヴ 「Baby’s On Fire」2014■
コメント
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