朝日のなか、うみねこたちが一団になってひなたぼっこ。
うれしそうに。ときたまはばたいたり何かを話している。
鳩たちは場所を追いやられてしまって困ったご様子。
こないだはカモさんたちが、ネッシーみたいに、みなもにスジを付けながら一団で泳ぎ移動するのを見た。
世捨て人なる言葉があるが。
どこまでも・瀬戸際までも・努力奮闘しても・交われないならば---”代わる「世」があるならば”だが---そんな世なんか捨ててしまえばいい。
意外な視界内死角に、意外なる落とし物・掘り出し物があることに気付くだろう。徹底的なネガティブの果てに、ほのあかりが浮上すれば、それこそ、だ。
つまるところ”にんげん”は徹底的に孤独だ。
”私”は、本質的に誰にも救われることは無い。
”私”のあるじは”私”であり、”私”がどうしようと”私”をのがれることは無い。
孤独であり、放置された存在である。放置は疎外とも自由ともとれる。
”にんげん”は、その孤独をまぎらわすために、他人にコビを売ったり・チカラで他人を屈せさせたり、ああだのこうだのする。
たいていそんな連中は、悪しきグルとなり、そこに巻き込まれ、その関係性に互いに絡めとられていく。
そのいっぽう、同じ方向性を持った人と出会う。その距離感を保てばいい。
お互い縛り合いだしたら、そこを離れればいい。連合赤軍やオウム事件にならないように。
村八分なる言葉があるが。
”村”から追放されたって、その”村”は絶対ではない。
ほかのもっとよい”村”や森に向かえばいい。ブレーメンの音楽隊のように、あるいはイエスの方舟のように。
かならず、それに値する”なかま”は此の世にいて、なかまとの”村”が空中にできる。今すぐに。
どこか遠いところに、ではない。今・すぐ・ここで・だ。(インターネットのコトじゃない)
社会からはみえない点と線をつなぎ、”私”は複数の場所で”なかま”との関係をもっている。
日昼、つねに悪態をついている私ですらココに辿りついたのだから、みなさんはもっと社会外に、すてきな関係を結んでいることだろう。
社会の喰いものにならないように。
クソみたいなプロパガンダやシナリオにだまされないように。
■U2 「Magnificent」2009■
詞:ボノ&ジ・エッジ
曲:U2、ブライアン・イーノ&ダニエル・ラノア