こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年12月18日 木曜日 グッドバイ。。。クルエル・ワールド

2014-12-18 23:47:00 | 音楽帳

太宰先生だったか?あるいは誰だったか?
絶望に満ちた日には希望が見え、希望に満ちた日には何も見えなくなる。
そうだな、まったく。

ようく、苦しい場面で、ほの明かりが見え、一つ一つの何気ないものたちへのいとおしさが湧く。ヒトというのはそういう、身勝手な生き物。

朝、降りたつターミナル駅。(別に今日ではなく)
改札口から放出され、方々に散って行く雑踏。

お互いはアカの他人同士。なのに、一分一秒と駆り立てられ、
ざくざくばりばり競って仕事場に向かって歩く。
その者たちは、軍隊の行進みたいになって、社会=世界に連携している。(つもり)

そう見えた日は既に遠い。
過去、その光景は“まばゆく“”健全な世間人“に見えて、その反対側で弱りながら、おきざりにされる自分を責めたもの。

今では、この光景は“群れ”には見えるものの、軍隊と呼ぶには、あまりにちゃちでへっぽこで、とてつもなく安っぽい。
アメリカ経由で脳に埋められた“ビジネスマン”“キャリアウーマン”なる語句。
その対象品のつもりの人、も混じる風景。
先人たちが積み上げてきた知恵をコピペしてアレンジ。
それですら、“その気“でいたり。そんなことも浮かぶ。

そんな流れに、もはや怖れる必要が無くなった。
そんな類の人や、そんな人が描く人生像や世界像と寄り添う気がゼロになった。
今では相当自由になってしまった。

その行進から逸脱して、自由を楽しむ。
好き勝手に寄り道をし、回り道をし。

朝の駅を降り、まだまだある時間ならば、川のほうに向かう。
川沿いの空の広さ、水の流れ、みなもを揺らめく空。止まり木で風を感じる鳥たち。
川沿いの植物たち。お花。
そこにたたずみ、写真を撮り、思いふける朝。

デジタルデトックスだとかなんだとか。。。そんなデマカセ用語が聞こえる。
自らの意志でデジタル機器の電源すら切れない。
そういうヒトばかりが渦と成した首都中心。それが織り成す東京。
そういうキミにさようなら。それに釣られていた過去の私にさようなら。

先日、青木理さんが荻上チキさんの番組にゲスト出演した際、選曲した音楽が意外や意外だった。その曲は、中島美嘉さんの「雪の華」。
渋くダンディな青木さんのイメージとは離れた曲。なんでも海外(韓国だったと思う)取材をした際に、日本人向けのスナックのような場所で、女の子が歌っていたのがこの曲だったという。それがまだ残像として残っていることから、この曲を選んだ。

中島美嘉さんのこの曲は2003年の作品。
日本人離れしたみずみずしい雰囲気をたたえた中島美嘉さん。「雪の華」はとても好きな曲で、当時よく聴いた。
その約12年近く前、自分はまだ愚衆集団の恫喝下、呑み会にひきずり込まれることをゼロに出来ないでいた。そんな中、愚女が歌うへたくそな「雪の華」を聴かされていた。それに疲れ脳内汚染され嫌気が差し、次第に聴かなくなってしまった。

今月インターFMから「雪の華」が何度か流れた。今日も。
その中島美嘉さんを久しぶりに聴いて、何はどうあれ「中島美嘉さんが歌う“雪の華”」は、“なんて、はかなくも美しいんだろうか“と思った。(「中島美嘉さんが歌う“桜色舞うころ”」も愛している)
10月1日大改造が行われてしまったインターFMからは、毎日どうしようもなくチンケな日本語ソングが流れて、自分にとってのインターFMの価値は目減りする一方だが、それでもまだ聴いている。

雪の曲というと、今日の私の一曲はこれ。
しゃきっとする寒さがどんどんと空気を澄ませていく。風景はどんどんとクリアに見えてくる。
そんな冬の道を歩き、安物だが愛用しているmp3プレイヤーで、この曲を聴く先週から今週。

■スケッチ・ショー 「Ekot」‘03■






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