こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年10月12日 土曜日 「WHAT A WONDERFUL WORLD」

2013-10-12 23:12:32 | 音楽帳
まずは、大好きな一曲を。

■ブライアン・フェリー 「What a Wonderful World」1974(アルバム「アナザー・タイム、アナザー・プレイス」より)■
この曲を初めて知ったのは、1984年のこと。
菊池武夫の秋のショーに合わせた、FM東京の特別番組「クール・ジェネレイションズ・ワールド~BE COOL!~」にて。
録音しながら聴いた60分。スネークマンショー同様、曲とドラマが交互に織り成す構成。
当然、選曲及びプロデュースは桑原茂一さん。

今日10月12日は、愛ネコ・相棒だったまみちゃんの命日。
入院するお袋さんのお見舞いをした帰り道、夜の電車に揺られながら、脳が自動生成し始めた曲が、この曲だった。
この曲は、カバー曲であるが、原曲に興味を一切抱かない一方、フェリーが解釈したこの曲は染み入る。
フェリーがカバーに選んだ意外性とスタンスのあり方。それを、上手にすくい取った桑原茂一さん。
そのお陰で、好きな一曲に出会えた自分。
そして、2013年紹介できる今。

先週から最悪な状態にお袋はなり、ノドから飲み込めない、という真偽不確かな理由で食を摂れない?OR摂らないのがひどくなった。このままではやばい、とクスリやQPコーワをスプーンで砕き、粉状にして服用させることに成功してから、日に日に、一歩一歩だが食が摂れるようになってきた。

入院最初の頃に、まみちゃんやコチャコちゃんの写真を見せて「みんなが居るから」としたら、
「かっわいいねぇ」といとおしく眺めながらも、
「何で死んじゃったんだろうねぇ」と、珍しくナーヴァスになって逆効果だったので、話しをすぐ切り替えた。

しかし、今日。
お互い共に、まみちゃんの命日であることは、言わずとも分かっている中、お袋から話しを切り出したので、いろいろと話しているうちに、
やっぱり「みんなが居るから」と言ってしまった。
お袋は「毎日、目をつむりながら、みんなに助けてくださいと祈っている」そうである。

決して、安易に楽観主義になるつもりは毛頭無いが、結果、今のお袋がどうにかなりさえすれば、どんな方法でも良いのだ。
祈ることで、気持ちが繋がるのであれば、それで良い。

2013年の此の世は、相も変わらずみにくいモノに満ち溢れ返っているが、それとは別の世界が、同時に存在する。
昼の顔と夜の顔があるようにして。

1996年、正ちゃんとまみちゃん

今日の空

まみんころ
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2013年10月11日 金曜日 「制約された条件からの視界」

2013-10-11 21:34:29 | 音楽帳

アッコちゃんというと、ワンフレーズなんたらと同じで・実にわかりやすいので「代表曲、ラーメンたべたい」といったプレゼンが多く目立つのは、ある意味仕方の無いこと。
個人的には、しんどくて聞けない、というのが本音。
一方、彼女の音楽が好きな方は、万華鏡の如く・多面的に視えているので、こんな馬鹿ちんばが言うまでも無いことは、周知の事実。

そんな前置きを置いた上で、
自分は1984年の作品「オーエス・オーエス」は、好きではなかった。
好きではない、なるは、アルバム全体のことを指す。

細野さんの曲「終わりの季節」のカバーを、鈴木さえ子ちゃんのラジオ「サウンド・キッチン」で初めて聴いた時には、自分が音に身をゆだねられた矢野顕子の才能に感服し、
その後、毎週聞いていた・ゲージツ家・クマさん(篠原勝之)の深夜ラジオの終わりのテーマ曲が「アッセンブリー」だったり。。。
と想い出深いのは、多々あるのだが。

教授との夫婦&子供という家族がある風景の姿。決して良いことばかりでは無いけれども、やっと落ち着く場所を見つけて、よっこいしょ、と腰を下ろした感が、大きく影響し過ぎていた。興味を失わせていた。
そう思っていた自分は、当時、さまよう・居場所無き・高校生であり、
80年代の「打って出る」音楽たちに、多くの生きる希望を貰っていた時期で、自分の視える視野には、状況的距離が大きすぎたのである。

輪廻転生を経たオトナになってから、大貫妙子さんがバッキング・ヴォーカルを担う「素顔」という曲に、一周廻って出会い、体内にインプットされた。
それ以降、『春ぼらけ』や『花曇り』の季節に陽気がなると「素顔」を聴きたくなる。

■矢野顕子 「素顔」1984■
この、ぼんやり感。
微細な1mmレベル誤差を、音楽に出来る天性。
当然、教授という才能との融合もあってのことだが。

こんな月日に「素顔」が聴きたくなったのは、狂ってしまった体内時計のせいかもしれないし、陽気の変動がキチガイになってしまったせいかもしれない。


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2013年10月10日 木曜日・体育の日  「ゲット・バック」

2013-10-10 23:53:51 | 音楽帳

3・11直後の流れの中で、藤原新也さんが、こういうネガティヴな状況にこそ攻撃的にならねばいけないんだ、といったセリフが蘇る。

■ビートルズ 「ゲット・バック」1969■
信用ならなかった天中殺ブームじゃないが、悪いときに悪いことが重なっていく。
何がどう作用しているかなんて、自分が知ったことじゃない。
そんな偶然を重く捉えてはいけない。
総崩れ・負の連鎖だけにはハマってはいけない。

入院しているお袋を見舞う毎夜の中、今週は、なじみのおじさんが亡くなり、そういう時だけ連絡しあう関係になってしまった親族を伝って、自分が生まれ育った三ノ輪の生家が潰されたことを知る。
元々は、おばあちゃんの死を契機に親族が憎しみの渦に入り、自分が買って戻ろうとした家が、遺産分割で「カネ」に目がくらんだ・かつて一緒に住んでいた者に裏切られ、権利を奪い取られた時から、いずれは消えていく運命だったのだから。
三文文士とは異なる三島由紀夫が描き切った、正なる文学「金閣寺」の、黙って風に吹かれて『そこに在った』金閣寺の姿を想う。

ボクの家は、これで具象から抽象に変わったが、「ふるさとは、遠きにありて思うもの」なのだ。
いくら距離的に近くても、遠くて近づけない、という間合いは人生には付きもの。

3・11から2年半。
「抽象」の世界で東北に「ダメ出し」をする側・利権争奪をする側/ニンマリしている当地者と悲しみが癒えない当地者。
さまざまな文様があるが、今日この日に肉体を伴って、自分が吐ける言葉は、
「阪神淡路大震災で、3・11で、戦争で、原爆で、地雷で、悲しみに明け暮れたヒトに比べれば、自分は十分にハッピーだ。」

当時「ダ埼玉」ブームの渦中で、嫌々15歳が引き裂かれて、引っ越した現・実家だったが、
しかし、それがなかったら、ピー助、茶介、コチャコ、正ちゃん、まみちゃん・・・その他大勢のネコたちから貰ったハッピーは無かったのだから。

ビートルズ4人が、お互いクチも聞かない状態の中、それぞれハラに据えかねる怒りを持ちながら、屋上の風がなびく中で演奏された、かっこよさに出会った大学時代。
この演奏が、むしろ今日の自分にはフィットする。


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2013年10月9日 水曜日 「いつも岐路」

2013-10-10 00:07:45 | 音楽帳
脳がふらついている帰路にて、一本道の夜を歩いていると、後ろから足音のする誰かの視線ビームにやられて、歩けなくなる。
そこで、つい横道に入ってしまう。

似たような告白としては、橋を渡るときに、平衡感覚がおかしくなる。
それでは、ムンクの「叫び」そのものじゃないか、と言われるであろうが、否定しようもない。それが自分だから、仕方が無い。

一本道、と思った夜道で、つい脳裡に浮かんだのは、このジャケット。

ジャクソン・ブラウンのレコード、「ランニング・オン・エンプティ(=ガス欠状態で走り続けること)」。

まあ、アメリカの広大な台地にはよくある風景であり、あるいは、車のCMや、邦画「リング」の終わりに車を走らせるシーン等々、隠喩として使われる常套シーンである。
こういった風景に、独りやカップルなどを配置したジャケットも、そのバリエーションに過ぎない。

ただ、実生活の一本道で、歩く自分の背後に、コツコツという誰かの目線を感じると、
歩けなくなって横道にそれるのは、ホラーシーンではなくて、自分らしいと思う。
とてもではないが、サーカスなぞの綱渡りなんか、できっこない。

ヨーロッパ志向になっていく前、アメリカにも未練があった時分は、すでに程遠い、はるかかなたである。



■ジャクソン・ブラウン 「Lawyers In Love」1983■


いつもの路地の、いつものオールスター・メンバーに、ちっこい仲間が増えたことを確認。
自分がオスだと思っていた寝子が、母親となっている姿に出会う。

ボロボロだが、まだ進む。
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2013年10月6日 日曜日 「ロータス・ラヴ」

2013-10-06 15:56:12 | 音楽帳

12時間も寝てしまった。それでも疲れが取れない。
ピンポンとチャイムが鳴る。「なんだ、また非課税・宗教団体か」と窓を覗くが、四~五人のガキしか居ない。
ガキ「ネギいますかあ?」
ボク「はぁ?ネギ?」
仕方なく、警戒をしつつ、いつでも横から来たアホを殺せるように、刺し殺し出来る道具を揃えてドアを隙間開ける。
結果的に言うと、となりのガキに遊びに来たらしく、家を間違えたらしい。
しかし、ネギというあだ名は珍しい。

兄の強さは、幼い頃から今も依然と変わらない。お袋の今の様へのアプローチの仕方を見ていて、つくづくそう思う。
ボクはお兄ちゃんほどに強くない。そして、永遠に兄はボクにとっての「お兄ちゃん」と呼ぶ存在であり続ける。
それは、永遠に越えることは不可能な存在。

そういった身近だけれども奇妙な存在に、自分がとらわれ続けていた結果が、自死未遂にボクを導いていった、という明確な事実を今では言える。
あのハタチの倍以上も、よくも今のボクは生きてこれた。と今では言えるのだが。

ボクはよく「あらがう」という言葉を使う。
その糸を辿っていくと、過去から現代に至るまで人という出来損ないの生き物によくある親殺しの思想ではない。
源流がグレートマザーだったり・そのマザーをめぐる父との男同士のぶつかりあい・葛藤だったり・・・そういう多くのケースではない。

そこには、父でも母でもない、ガキには視えなかった三人目、としての異端の兄が、ボクの影。
あらゆることで越えることが不可能な兄への、不可能なあらがい。それが、無意識の影。

年齢差は永遠にあるのだが、歳を取ることの良さというのは、お互いの比率が上がっていく点である。比率・密度だけは、確実に上がっていく。
また、年齢を取ると共に、人は嫌でも様々なことを学ぶから。
もう、ボクが幼少の頃だったり、死に損なったハタチの自分でも無い。あの地点からも離れられたことだけを安堵するのだ。
未だ、ボクのお兄ちゃんはお兄ちゃんであり続けるが、二人の関係は、一緒にお酒を呑んで・音楽や映画などを、ある程度語らい合える存在になれたことに、少しだけ喜びを感じる。

高等な生き物たちと人間は全く異なり、人間ほど親兄弟の在り方に縛られる生物は存在しない。アザラシの赤ちゃんは、数日で母親が無理矢理、野に突き放つ。
人間そのものがかたちんばであり、異端なのだ。
寺山修司さんの言ったことば。「人間は不完全に産まれ、長い時間を掛けて、完全な死体となって死んでいくのである」。
荒唐無稽な実に粗い産まれたままの姿から、社会のルールを呑んで、粗野が削られ・やっと当たり前のことを知るに至る。

ジャン・コクトーの作品に「恐るべき子供たち」なるものがある。
よく「子供が大好き」という稀有な人間に出会い、彼らは芯からすべての子供に対して耳を傾けられる・許せられる。
そんな奇特な人は、根が優しいのであろうが、そのようなものは、ボクの体内には一寸たりともなく、感心するのだ。
ただ、そういう方の一部に居る「子供は純粋無垢だから、好きなんだ」という思考回路には絶対的なNOとしかいえない。

純粋無垢だから、ガキは平気で人も平気で殺すし、とても出来ないような犯罪を平気で犯す。
甘い日本は殺人しても更正がどうのこうの、と平気で数年服役程度で開放され、シャバで暮らせている。
ボクは、こういった性善説にもNOというし、彼らが自らの死に対峙し、死んであがないをするしか、自分が自分を認識する手は無いと思っている。
それは、いくら、ボク自身が、過去に痛いほどの想いをしてきて共感する部分があっても、その年代を超えたから、今他人ズラで言っているのではない。

今週、兄とお見舞いに行った帰り道、食事をして帰らないか、と誘われて、2人で人もまばらなイタリアンのお店でピザとビールをやりながら、音楽の話しをし、いろんな話しをする。
教えてもらうことは相も変わらずだが、兄が「最近になって、細野さんの『ロータス・ラヴ』がこんなにもとてつもなく素晴らしい曲だったんだと、今になって認識した。」
細野さんの『ロータス・ラヴ』は、こういう意味合いなんじゃないかな~、とボクは、80年代のYMOの闘いの流れを語りながら、話す。

兄「ああ、そうか。ということは、NHK『スコラ-音楽の教室学校』も、絶対にかなわない細野さんという相手への、教授最後のあらがいだったんだなあ。。。」
世界で自分がNO1という意識は、既に教授の中には無いと、自分は考える。
ボク「だからといって、元々野心家でエグい教授のことだから、ゼロにはなれないかもしれないけど、大きな変化を感じたのは、9・11後のアルバム『キャズム』。
ボクは、それ以降の教授の音楽の響きに、それまでには無いものを感じるよ。」
兄「一緒に仕事をしていた(「ビューティー」あたりの)頃の、野望むき出しで周囲に当り散らす中、スタッフたちの『もう耐えられない』という憤怒を想い出すよ。」

異物同士としての細野さん・教授の流れとは違うが、こうしてボクとお兄ちゃんも、お互いの距離がある中でも語り合える歳になった。

■イエロー・マジック・オーケストラ 「ロータス・ラヴ」(ライヴ・2012年7月8日演奏)■
兄「『世界の外で会おうよ』とは、どんな意味なんだろうと考えていた。」
ボク「こんな世界では、侠雑物が多すぎて、ほんとうの出会いが出来ないから。
決してあの世という厭世では無くて、別の場では逢える。そうボクは捉えている。」
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2013年10月4日 金曜日 China Crisis 「The Soul Awakening」'83

2013-10-05 00:18:07 | 音楽帳

お見舞いを終えて、帰宅す。
お袋さんの検査も、今日でいったん終わり、別に異常がある訳でも無い。
食を自発的にする「よっこいせ」という後押しさえあれば、好転する。
その考えには変化は無い。

今日で一応検査が終わり。。。と思って、ロクに携帯電話をいじれないお袋の番号を鳴らす。
何度か鳴らして、やっと出てくれる。
その声色から、その日その日の調子・微妙な変化を読み取ろうとする。

我慢強い、というか、決して弱音を吐くことをしない人だったのに、夜、自ら「来て欲しい」という吐露を珍しく聞いて、即切り上げて、病院の個室に向かう。

入ると途端に、腰を揉んで欲しい、というので、カラダを持ち上げて、腰を揉み・シップを貼り替え、少しばかりの話しを一方的にして、反応を見ながら様子を伺う。
ウェットなことが嫌いなお袋と、ウェットでべたべたで太宰的エセ・ロマン神経症という間逆の自分。
そんなお袋が、ウソのように、ナーヴァスになっていることが分かる。

しかし、そのようなことで、自分がホロッと来るか?と言えば、決してそのようなことは無い。
だからと言って、ふだん「アカの他人」に、極めて冷酷無情になれる自分の精神水位と同じか?と言えば、そうでも無い。

まるで実感が無い、というのが、一番的確かもしれない。
仕事場と病院の行ったり来たりを続けていると、神経がマヒするものでもある。
脳がフリーズしているのと、神経が常に張っているからかもしれない。

お袋さんが眠るのを確認して、明かりを消して、深夜の部屋を音を立てないように去る。
歩き、金曜の場末の駅前に向かう。小雨が振り出し、傘を差す。
酔客の群れの騒がしい声と腐臭・ビラ配りのクロウト女・それより淫靡な空気を放つシロウト女が横を歩き・その合い間に立つ「性犯罪防止」という垂れ幕を掛けた帽子と制服姿のおじさん・・・
それら不整合な異物同士が1つの画面フレームにパッケージされたシーンに出会う。
しずかなまなこで、その雑な場を冷笑一瞥。さっさと去る。

3・11からたった2年半後、とある日本の一部の一カット。
おりんぴっくだのしょうひぜいだのと熱したり冷めたりする群れの、ミソもクソも無いたわごとがひたすら続く。「かれら」の日常の振る舞いは、全部芝居に過ぎないのが、よく分かるシーン。
だからと言って、自らの思惑は変化せず、あきらめもしない。

変化激しい・深夜の合いの間、「あれ」から約三十年目に聴く定番の一曲。
しずかに独り、ビールを呑んでごろんとする。

■China Crisis 「The Soul Awakening」1983■
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2013年10月3日 木曜日 「みんなおやすみ」

2013-10-03 23:39:16 | 音楽帳

■ワールドスタンダード「みんなおやすみ(Goodnight Sleep Tight)」2011より■






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2013年10月2日 水曜日 「衣・食・住」

2013-10-02 22:57:04 | 音楽帳

今夜の帰路も、たくさんのネコさんとの夜の逢瀬。
でも、キジトラちゃんは、どこかに散歩に行ってしまって、会えずじまい。

袋から出したカリカリに応じて、たくさん出てくるネコさんのがっつき具合を見ながら、一方で少ししか食べることが出来ないお袋を思いつつ。
生き物は食べる自発的意欲が涌きさえすれば何とかなる、と思う。

【シロちゃん「ああーっ!出遅れたあ!】

【一堂振り向きつつ「なんやねん」】

よく衣食住とは言うが、
●衣・・・暑さは薄着すれば良いだけだから、寒さをしのげるモノが一着あれば良い。
●食・・・極論「何でもいい」。
●住・・・雨風をしのげる場所さえあれば良い。

これで全てOKなんだろう。
そう思えば、ニンゲンとは実に居丈高で滑稽な存在。それにしか見えなくなってしまう。

あと、追加が必要ならば・・・
いざというときに、これら衣食住を支える「なかま」とのネットワークだろうか。

ペンギン・カフェ・オーケストラ 「Cutting Branches for a Temporary Shelter」 1981■
このペンギン・カフェの曲は、アフリカのムビラ演奏曲のカバー。
タイトルは、一時的な雨=スコールが降り、枝を折った葉っぱを雨傘にするという意味。

別場所のネコさん1

別場所のネコさん2
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2013年9月30日 月曜日 「深夜残業」

2013-10-01 01:11:00 | スケッチブック
深夜の帰路を辿ると、ネコさんの集会ポイントで、ずいぶんとみんなに出会う夜である。
花咲か爺さんのように、各所でカリカリを撒く。
なかなか家に辿り着かなかった、ささやかな、宵っ張りネコさんとの深夜残業。

その一方で、火だるまと「まさか」という半期が終わった。
そして、東京は、秋をむかえた。

■ヴァンゲリス 「夢(Reve)」1979アルバム「野生」より■

キジトラさん













ヴァンゲリス


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