こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年10月14日 月曜日 「間借期間」

2013-10-14 23:48:47 | スケッチブック
大竹伸朗さんが、2001年に開いた展覧会「マウスケープ」。
パソコンやITなんかおもろくも何ともねえ、と言う大竹節の中、試しにパソコン上で制作した作品を中心に据えた展示会。
自分も観に行ったが、デジタルの道具作品は期待外れではあった。
やはり大竹さんは、生(ナマ)で触れるモノとの格闘の中でこそ、のヒトと思う。
「理屈抜きで、とにかく、触覚で創り続けるしかない」と思う。
大好きな画家、横尾忠則さんしかり。

そんな中、2002年ごろ、感化された自分も、試しにパソコンでぐちゃぐちゃと作品を作っていた。
放置されたその頃の作品をがさがさ探しながら、約一周前の頃の自分のエネルギーに再会する。
理屈も無いし、見せる他人も居ない中で遊んだもの。

■2002年・自分なりのマウスケープ、あるいは、デジタルスクラップブック■
確実に歳を経れば歳だけは取るが、
しかし、その年の分だけ得た<なにがしか>の智恵で、エネルギーを産み出すこと。
生きている限り、あらゆるものを利用して、体内ガソリンを創り出すこと。
今をしのぎ、生き延びること。
老いている余裕はない。
老いを考えないこと。視野の外に置くこと。

■David Bowie & Brian Eno 「African Night Flight」1979(アルバム「ロジャー(間借人)」より)■
科学などの事実に基づく発見はともかく、文学も芸術に於ける「賞」なぞは、ごく一部の選ばれた作為者が、どう作為を働かせるかだけである。どこぞかの出来レース演出された、オリンピック招致と変わらない。
単純に三流作家にセクトを求め・寄生し続け、文学賞なるモノを貰うか否かを祈る者の絵ヅラのちぐはぐさ。
なあんか違うんじゃないか、としか見えない。
文学も芸術も、資本主義世界で売買される「モノ」では無い。

時代を超えて輝く・素晴らしいもの、あるいは、時代を経て・資本主義構造からやっと離れて、その意味合い・濃厚な発酵を放ち始めるもの。
いずれにしても、現代における「賞」は単なる「SHOW」に過ぎない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする