こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年10月29日 火曜日 「気が付けば浦島太郎」

2013-10-29 23:05:14 | 想い出かたちんば

自分の朝は、アラームの鳴り続けるなか、のたうって/毎度毎度、怠惰に誘うささやきに揺さぶれながら、ぐぐぐっと起きる。
起きぬけのタバコとお茶。それに、つけっぱなしのパソコンでニュース一覧だけ見る。

昨日の朝は、いきなりルー・リードが亡くなってしまったことを知るに始まった。

私は、リアルタイムでヴェルヴェット・アンダーグラウンドは聴けていない。
彼の存在を初めて知ったのは、YMOの写真集「OMIYAGE」にて。
教授の私生活紹介コーナーで、当時お気に入りレコードの中の一枚が、ルー・リードの「ベルリン」だった。

坂本龍一は、このルー・リードのアルバムから「生身の肉声が持つ力」に影響を受けて、「B-2UNIT」収録の「ザットネス&ゼアネス」を創った。
ヴォコーダーというマスクを、自ら外して、むき出しのシャイなヴォーカルをあえて露呈させた曲。

その後、
毎月定期購入していたミュージックマガジンにて。
ゼルダの活動資金を作り出すため、アルバイトとしてレコードレビューを書いていた小嶋さちほさん。
とあるノイズミュージックのレコード評。
「・・・ルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』のように、ノイズの嵐の中から立ち上がってくる豊饒なチューンを知っている私にとっては・・・(この程度の垂れ流しノイズは・・・)」といった意味合いのセリフを読む。

ざらついた紙面に写植された印字。
そのセリフを見るために、何度もそのページをめくった頃。

あるいは、ヘヴン17(BEF名義だが)がカバーした「パーフェクト・デイ」。
クロスオーバー・イレブンで出会い、エアチェックして聴いていた曲。
ルー・リードの原曲も掛かったが、ヘブン17の方を先に聴いてそちらばかり。というのは、単純に耳が若すぎたのだ。

雑誌の音楽レビューで、次々発表されるルー・リードのソロを知りながらも、いまいち自分の中でピンとは来ないで、ぼんやり感があった80年代。

結局、彼の音楽を一番聴いていたのは、大阪に居た90年代前半。

毎週末楽しみにしていた1994年の土曜夜。
NHK教育テレビで放送されていた「ソリトン金の斧・銀の斧」。当時憧れだった大塚寧々ちゃんの静かな語りと共に、番組冒頭と最後に掛かったヴェルヴェット・アンダーグラウンド。
と言っているのは、その後、東京に戻って2006年になって分かったもの。
曲は好きだったが、誰が歌い・演奏しているのか?ナゾのままだった当時。

一方では、それも知らずに、
天神橋筋の近所にあったワンルーム・マンションから、チャリンコで借りに行ったレンタル屋さん。
「例の」アンディ・ウォーホール作品であるバナナ・ジャケットのアルバムを借りて、カセットテープに落として聴いていた。

けだるい「サンデイ・モーニング」が一番自分の琴線に触れて、好きな一曲となっていた。

昨日・今日、インターFMでは、ルー・リードを巡る曲をたくさん流して、仕事をしながら聴いていた。
好きな「サンデイ・モーニング」「パーフェクト・デイ」に耳が反応。・・・そのほかエトセトラとハードに掛かっていく曲&曲。

本気で全部を聴けぬまま、自分は相当な時間をまごまごと過ごすうちに、相手は亡くなってしまった。
そんな感じだ。

私が彼の死に対して言える事実は、上記程度のことのみ。
湿っぽく「うんうん、悲しいねえ~」などというフリ=大嘘付きを演じる資格は一切ない。

しかし、音楽は生き残り、いつでも聴くことが出来る。
湿っぽくなる必要はない。彼の死を契機に初めて聴きだす人も居るのだし、そこに音楽との新しい出会いが産まれていくのだから。

今夜は、好きだった当時の寧々ちゃんの面影もあいまった「ソリトン金の斧・銀の斧」のテーマ曲を掛けたい。

■ヴェルヴェット・アンダーグラウンド 「WHAT GOES ON」1967■
コメント (1)
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