12時間も寝てしまった。それでも疲れが取れない。
ピンポンとチャイムが鳴る。「なんだ、また非課税・宗教団体か」と窓を覗くが、四~五人のガキしか居ない。
ガキ「ネギいますかあ?」
ボク「はぁ?ネギ?」
仕方なく、警戒をしつつ、いつでも横から来たアホを殺せるように、刺し殺し出来る道具を揃えてドアを隙間開ける。
結果的に言うと、となりのガキに遊びに来たらしく、家を間違えたらしい。
しかし、ネギというあだ名は珍しい。
兄の強さは、幼い頃から今も依然と変わらない。お袋の今の様へのアプローチの仕方を見ていて、つくづくそう思う。
ボクはお兄ちゃんほどに強くない。そして、永遠に兄はボクにとっての「お兄ちゃん」と呼ぶ存在であり続ける。
それは、永遠に越えることは不可能な存在。
そういった身近だけれども奇妙な存在に、自分がとらわれ続けていた結果が、自死未遂にボクを導いていった、という明確な事実を今では言える。
あのハタチの倍以上も、よくも今のボクは生きてこれた。と今では言えるのだが。
ボクはよく「あらがう」という言葉を使う。
その糸を辿っていくと、過去から現代に至るまで人という出来損ないの生き物によくある親殺しの思想ではない。
源流がグレートマザーだったり・そのマザーをめぐる父との男同士のぶつかりあい・葛藤だったり・・・そういう多くのケースではない。
そこには、父でも母でもない、ガキには視えなかった三人目、としての異端の兄が、ボクの影。
あらゆることで越えることが不可能な兄への、不可能なあらがい。それが、無意識の影。
年齢差は永遠にあるのだが、歳を取ることの良さというのは、お互いの比率が上がっていく点である。比率・密度だけは、確実に上がっていく。
また、年齢を取ると共に、人は嫌でも様々なことを学ぶから。
もう、ボクが幼少の頃だったり、死に損なったハタチの自分でも無い。あの地点からも離れられたことだけを安堵するのだ。
未だ、ボクのお兄ちゃんはお兄ちゃんであり続けるが、二人の関係は、一緒にお酒を呑んで・音楽や映画などを、ある程度語らい合える存在になれたことに、少しだけ喜びを感じる。
高等な生き物たちと人間は全く異なり、人間ほど親兄弟の在り方に縛られる生物は存在しない。アザラシの赤ちゃんは、数日で母親が無理矢理、野に突き放つ。
人間そのものがかたちんばであり、異端なのだ。
寺山修司さんの言ったことば。「人間は不完全に産まれ、長い時間を掛けて、完全な死体となって死んでいくのである」。
荒唐無稽な実に粗い産まれたままの姿から、社会のルールを呑んで、粗野が削られ・やっと当たり前のことを知るに至る。
ジャン・コクトーの作品に「恐るべき子供たち」なるものがある。
よく「子供が大好き」という稀有な人間に出会い、彼らは芯からすべての子供に対して耳を傾けられる・許せられる。
そんな奇特な人は、根が優しいのであろうが、そのようなものは、ボクの体内には一寸たりともなく、感心するのだ。
ただ、そういう方の一部に居る「子供は純粋無垢だから、好きなんだ」という思考回路には絶対的なNOとしかいえない。
純粋無垢だから、ガキは平気で人も平気で殺すし、とても出来ないような犯罪を平気で犯す。
甘い日本は殺人しても更正がどうのこうの、と平気で数年服役程度で開放され、シャバで暮らせている。
ボクは、こういった性善説にもNOというし、彼らが自らの死に対峙し、死んであがないをするしか、自分が自分を認識する手は無いと思っている。
それは、いくら、ボク自身が、過去に痛いほどの想いをしてきて共感する部分があっても、その年代を超えたから、今他人ズラで言っているのではない。
今週、兄とお見舞いに行った帰り道、食事をして帰らないか、と誘われて、2人で人もまばらなイタリアンのお店でピザとビールをやりながら、音楽の話しをし、いろんな話しをする。
教えてもらうことは相も変わらずだが、兄が「最近になって、細野さんの『ロータス・ラヴ』がこんなにもとてつもなく素晴らしい曲だったんだと、今になって認識した。」
細野さんの『ロータス・ラヴ』は、こういう意味合いなんじゃないかな~、とボクは、80年代のYMOの闘いの流れを語りながら、話す。
兄「ああ、そうか。ということは、NHK『スコラ-音楽の
世界で自分がNO1という意識は、既に教授の中には無いと、自分は考える。
ボク「だからといって、元々野心家でエグい教授のことだから、ゼロにはなれないかもしれないけど、大きな変化を感じたのは、9・11後のアルバム『キャズム』。
ボクは、それ以降の教授の音楽の響きに、それまでには無いものを感じるよ。」
兄「一緒に仕事をしていた(「ビューティー」あたりの)頃の、野望むき出しで周囲に当り散らす中、スタッフたちの『もう耐えられない』という憤怒を想い出すよ。」
異物同士としての細野さん・教授の流れとは違うが、こうしてボクとお兄ちゃんも、お互いの距離がある中でも語り合える歳になった。
■イエロー・マジック・オーケストラ 「ロータス・ラヴ」(ライヴ・2012年7月8日演奏)■
兄「『世界の外で会おうよ』とは、どんな意味なんだろうと考えていた。」
ボク「こんな世界では、侠雑物が多すぎて、ほんとうの出会いが出来ないから。
決してあの世という厭世では無くて、別の場では逢える。そうボクは捉えている。」
私にとって対象は弟になりますが、
兄弟・姉妹とはまた違った「きょうだい」の隔たり。
愛憎の一言では語れない
今日の雲の流れのように
幾重にも重なったエピソードと感情の絡みを振り返ります。
かたちんばさんとお兄さんのように
歳月を経て語り合えることが増えた一方で、
気づくとこんなにも離れたのかと思える側面も。
ひとつだけ確かなことは、
家に父と母以外の存在があったことで
直線の関係が多角形になり、
自分以外の視点を眺める機会が
自分のコミュニケーションの極端さを多少なりとも薄めてきたと感じます。
* * * * *
赤い三日月が西の空に沈んでゆきます。
星だけの暗い夜もいいものですね。
日々のお疲れの鎮静になりますように。
素性はようく分からないのだけれども、たくさんの親族との接点が日々ありました。
「坊、今日は儲かったから、お小遣いやるぞ」と、電気関係の仕事をしていた、
おじさん、というより、見た目明るいおじいちゃんが、サブバッグを小脇にスーツで、
三ノ輪のおばあちゃんちにやってくる、カエルさんだかカニさんだかのガニ股姿。
ユーモラスで、子供にとっては好きな定期訪問でした。
いろんな人が、理由なく、近く来たからさ、と立ち寄っては、お茶を飲んで、
ヒトしゃべりして、また来んね、と去って行く。
「男はつらいよ」にあるシーンそのものに囲まれて育った自分のハッピーを、
振り返りながら思います。
に覚えあり。
私は両親・ばあちゃんそれぞれの所縁の
大人が多く出入りする中で育ったおかげで
子どもとの接触の仕方が分からず、
その後の学校生活に難儀しました。
自分にはハッピーはない/なかったという認識。
でも、大なり小なりそこかしこに
それはあったのでしょう。
今はママという、感情に機微をくれる存在が
ハッピーそのもの。
今日の日に
改めてそう思い、感謝します。
なにかといえば立ち寄ってくれる存在。
近くで、距離を保ちながらも、くつろいでいる姿に安堵します。
ワンダフル・ワールドの1つなら、今の自分は、歩くごとに視える空だったり、今住む路地に住まうネコさんたちを視界に見つけるシーンだったり。
キジトラちゃんは、まるでまみちゃんのような人懐っこさです。
暗闇で遊んでいて、ふかふかのカラダやノドをグルーミングしているうちに、ゴロゴロゴロゴロ・・・。
あの音は、ネコにとっても良いのでしょうが、どうも、自分もあの音を聴くと癒されます。