3・11直後の流れの中で、藤原新也さんが、こういうネガティヴな状況にこそ攻撃的にならねばいけないんだ、といったセリフが蘇る。
■ビートルズ 「ゲット・バック」1969■
信用ならなかった天中殺ブームじゃないが、悪いときに悪いことが重なっていく。
何がどう作用しているかなんて、自分が知ったことじゃない。
そんな偶然を重く捉えてはいけない。
総崩れ・負の連鎖だけにはハマってはいけない。
入院しているお袋を見舞う毎夜の中、今週は、なじみのおじさんが亡くなり、そういう時だけ連絡しあう関係になってしまった親族を伝って、自分が生まれ育った三ノ輪の生家が潰されたことを知る。
元々は、おばあちゃんの死を契機に親族が憎しみの渦に入り、自分が買って戻ろうとした家が、遺産分割で「カネ」に目がくらんだ・かつて一緒に住んでいた者に裏切られ、権利を奪い取られた時から、いずれは消えていく運命だったのだから。
三文文士とは異なる三島由紀夫が描き切った、正なる文学「金閣寺」の、黙って風に吹かれて『そこに在った』金閣寺の姿を想う。
ボクの家は、これで具象から抽象に変わったが、「ふるさとは、遠きにありて思うもの」なのだ。
いくら距離的に近くても、遠くて近づけない、という間合いは人生には付きもの。
3・11から2年半。
「抽象」の世界で東北に「ダメ出し」をする側・利権争奪をする側/ニンマリしている当地者と悲しみが癒えない当地者。
さまざまな文様があるが、今日この日に肉体を伴って、自分が吐ける言葉は、
「阪神淡路大震災で、3・11で、戦争で、原爆で、地雷で、悲しみに明け暮れたヒトに比べれば、自分は十分にハッピーだ。」
当時「ダ埼玉」ブームの渦中で、嫌々15歳が引き裂かれて、引っ越した現・実家だったが、
しかし、それがなかったら、ピー助、茶介、コチャコ、正ちゃん、まみちゃん・・・その他大勢のネコたちから貰ったハッピーは無かったのだから。
ビートルズ4人が、お互いクチも聞かない状態の中、それぞれハラに据えかねる怒りを持ちながら、屋上の風がなびく中で演奏された、かっこよさに出会った大学時代。
この演奏が、むしろ今日の自分にはフィットする。