こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年10月23日 水曜日 音楽夜話 ~ヒューマン・オーディオ・スポンジ~

2013-10-23 23:40:30 | 音楽帳

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドは「トゥー・トライブス・ゴー・トゥ・ウォー」と、アメリカとソ連の代表同士をリング上で殴り合わせるMTVを作った。
彼らが位置していた当時のミュージックシーンでの稀有なポジション。

叫ぶしか能が無い=ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・トゥ・ラン」を、ほぼ馬鹿にし切ってカバーしたり・・・
ZTTレーベル(=トレヴァー・ホーン)そのものの戦略でもあったが、やたらめったらたくさんのヴァージョン違いの12インチシングルを出したり・・・
彼らが振る舞う姿の在り方こそが、このバンドのコンセプトだった。

80年代の中盤。東西冷戦下で、そのはざまで揺れ動く植民地、核戦争を危惧した空気が、音楽にも波及していた。
音楽は時代の空気を反映する。ある部分は。

***

フランキーのしゃれた表現の仕方とは異なって、同時期にイギリスのミュージシャンが集まった「バンド・エイド」なる集合体。
「Do They Know It's Christmas?」なるチャリティーソング。
一方では、アメリカ勢がそれをパクって作った「We Are The World」。

当時、高校生~素浪人という自分。男臭い空気の中、「この2曲は胡散臭くてサイテーだ」という者は自分のみで、ずいぶんと周囲から「お前は冷酷なヤツだ」の何だのと、反感と異論に囲まれていた。

***

数か月前だが、友人MZ師と電話で話している中、
「スティーヴィー・ワンダーが、この曲で『We Are The World』と歌っているのは、学会こそが世界そのものなんだゼ、という意味合いだろ?」というジョークに大笑いした。

ジョークはともかく、イギリス勢もアメリカ勢にも(スティーヴィー・ワンダーも含めて)多くの優れたミュージシャンが居たが、こういった低次元のユニットへ参加して欲しくは無かった、というのが本音だった。
日本テレビの24時間テレビなど「善意ですよお」と水戸黄門の印籠をちらつかせる体は論外にしても、
駅前の募金等々・・・は、踏み絵を目の前に差し出されているかのようで、こんな極悪人でも、未だつい困ってしまう時はあるものである。

チャリティーとか支援というのは、実に微妙なる問題。
さらに。
それを音楽で行うには、一考が必要。
あくまで音楽は音楽として成立しているか?否か?が重要なる核であり、メッセージなどは二の次。自分にとっての音楽とは、基本そういうものである。

***

個人的に脳をよぎるは、ヒューマン・オーディオ・スポンジとして、2007年・横浜パシフィコで行われた実質YMO再結成のライヴ。
その素晴らしさが忘れえぬ。自ら参加したチャリティーコンサート。

チャリティーと言っても、3人が肩を組み合って「We Are The World」を歌った訳では無い。淡々と、しかし、かつて無かったほどにリラックスした演奏。
「以心電信」に始まり、愛する娘との日々を綴った教授の「音楽」、そして「手がかりをください」という「CUE」。。。
選曲と2007年としての演奏へのスタンスの取り方が、憎いほどにYMOらしかった。

ライヴのチケット代、グッズのお金は全て、小児がんの子供と家族たちに寄付された。
このライヴは全曲素晴らしかったが、未だに心を打った記憶が強く残る曲「Everybody Had A Hard Years」を、今夜改めて聴く。
しつこくも何度も何度も振り返る我。

■Human Audio Sponji 「Everybody Had A Hard Years」2007■

「最初に覚えた言葉が『痛い』でした」。1才で発病し、その後病気を克服した、あるお子さんのエピソードです。
小さいからだと小さい心をふりしぼるようにして、病気との闘いに挑んでいる子どもたち、そしてその家族の皆さん。
どうか僕たちの応援の声が少しでも励ましになりますように。
(高橋幸宏)

ぼくは、音楽が音楽以外の目的にために使われることに、注意深くありたいと思っています。
しかし、音楽をもってしか伝わらないことがあることも確かです。
ですから、ゆっくり、少しずつ、行ったり来たりしながら歩みを進めたいと思いますし、
なにせ人間というものは歳をとってくると、ひとのために何かしたいと、自然に思うようになってくるらしいのです。
(坂本龍一)

YMOの「以心電信」という曲は、子どもの持つ知恵を自覚によって引き出し、自分で自分を救う力のことを歌ったものです。
その核となった "Treat Yourself(自助)"は、虐待される子ども自身に向けたニューヨーク市の標語でした。
自助とは、子どもたちに世界をより良く変えてもらおう、という大人の願いなのかもしれません。
(細野晴臣)
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2013年10月23日 水曜日 「夢のフォルム」

2013-10-23 06:09:09 | 雑記帳
古い安アパートの7階の狭い自室。薄明かりの下、夜のしじまにようようと寝入れず。
何をするわけでもなく佇む。

いきなりドアが開き、消防士の服装のような青の上下に、鷲の金刺繍が入った帽子をした者が入って来る。
「はい、吉田電気でえす。」
彼は、すたすた窓に向かって足早に歩き、縦長の窓を開けて風を入れる。

吉田電気「今夜は、暑いでしょ。」
自分「そうですね。確かに。」
彼は何かを点検した後、ドアに戻って去ろうとする。
吉田電気「はい、点検料1万円です。」
自分「はっ?なぜ?」
吉田電気「1枚でいいから。1枚で。」

ドア付近で外に押す自分と吉田電気は、次第に手を組み合い、チカラ合戦になる。
ようやく、外の廊下側まで行ったところで「お前、大声出すけど、いいか。」

吉田電気は、足早に階段を下りて行き、自分も後を追う。
走るさなか、階段途中に、女の吉田電気やスーツに腕章を付けたハゲおやぢなどが居た。
不可思議な時間に居る不可思議な連中。

逃げられて、自室に戻る。
入り口付近の雑多な荷物のある空間を覗くと、仕事上懇意にしているH氏。
カラダを小さく丸めて、狭い暗がりからニコニコ笑顔でこちらに手を振る。
まるで、ここで見守っているんだよ、というポーズ。

室内にゆっくり戻り、携帯している銃を手にする。
階段廻り含めて、この夜に居る全員の射殺に向かう。

汗をかいて夜中起きてしまう。
そこから眠れない。
やっと、夜が明ける。


■Alva Noto・Sakamoto 「Aurora」2005■
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