フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドは「トゥー・トライブス・ゴー・トゥ・ウォー」と、アメリカとソ連の代表同士をリング上で殴り合わせるMTVを作った。
彼らが位置していた当時のミュージックシーンでの稀有なポジション。
叫ぶしか能が無い=ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・トゥ・ラン」を、ほぼ馬鹿にし切ってカバーしたり・・・
ZTTレーベル(=トレヴァー・ホーン)そのものの戦略でもあったが、やたらめったらたくさんのヴァージョン違いの12インチシングルを出したり・・・
彼らが振る舞う姿の在り方こそが、このバンドのコンセプトだった。
80年代の中盤。東西冷戦下で、そのはざまで揺れ動く植民地、核戦争を危惧した空気が、音楽にも波及していた。
音楽は時代の空気を反映する。ある部分は。
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フランキーのしゃれた表現の仕方とは異なって、同時期にイギリスのミュージシャンが集まった「バンド・エイド」なる集合体。
「Do They Know It's Christmas?」なるチャリティーソング。
一方では、アメリカ勢がそれをパクって作った「We Are The World」。
当時、高校生~素浪人という自分。男臭い空気の中、「この2曲は胡散臭くてサイテーだ」という者は自分のみで、ずいぶんと周囲から「お前は冷酷なヤツだ」の何だのと、反感と異論に囲まれていた。
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数か月前だが、友人MZ師と電話で話している中、
「スティーヴィー・ワンダーが、この曲で『We Are The World』と歌っているのは、学会こそが世界そのものなんだゼ、という意味合いだろ?」というジョークに大笑いした。
ジョークはともかく、イギリス勢もアメリカ勢にも(スティーヴィー・ワンダーも含めて)多くの優れたミュージシャンが居たが、こういった低次元のユニットへ参加して欲しくは無かった、というのが本音だった。
日本テレビの24時間テレビなど「善意ですよお」と水戸黄門の印籠をちらつかせる体は論外にしても、
駅前の募金等々・・・は、踏み絵を目の前に差し出されているかのようで、こんな極悪人でも、未だつい困ってしまう時はあるものである。
チャリティーとか支援というのは、実に微妙なる問題。
さらに。
それを音楽で行うには、一考が必要。
あくまで音楽は音楽として成立しているか?否か?が重要なる核であり、メッセージなどは二の次。自分にとっての音楽とは、基本そういうものである。
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個人的に脳をよぎるは、ヒューマン・オーディオ・スポンジとして、2007年・横浜パシフィコで行われた実質YMO再結成のライヴ。
その素晴らしさが忘れえぬ。自ら参加したチャリティーコンサート。
チャリティーと言っても、3人が肩を組み合って「We Are The World」を歌った訳では無い。淡々と、しかし、かつて無かったほどにリラックスした演奏。
「以心電信」に始まり、愛する娘との日々を綴った教授の「音楽」、そして「手がかりをください」という「CUE」。。。
選曲と2007年としての演奏へのスタンスの取り方が、憎いほどにYMOらしかった。
ライヴのチケット代、グッズのお金は全て、小児がんの子供と家族たちに寄付された。
このライヴは全曲素晴らしかったが、未だに心を打った記憶が強く残る曲「Everybody Had A Hard Years」を、今夜改めて聴く。
しつこくも何度も何度も振り返る我。
■Human Audio Sponji 「Everybody Had A Hard Years」2007■
「最初に覚えた言葉が『痛い』でした」。1才で発病し、その後病気を克服した、あるお子さんのエピソードです。
小さいからだと小さい心をふりしぼるようにして、病気との闘いに挑んでいる子どもたち、そしてその家族の皆さん。
どうか僕たちの応援の声が少しでも励ましになりますように。
(高橋幸宏)
ぼくは、音楽が音楽以外の目的にために使われることに、注意深くありたいと思っています。
しかし、音楽をもってしか伝わらないことがあることも確かです。
ですから、ゆっくり、少しずつ、行ったり来たりしながら歩みを進めたいと思いますし、
なにせ人間というものは歳をとってくると、ひとのために何かしたいと、自然に思うようになってくるらしいのです。
(坂本龍一)
YMOの「以心電信」という曲は、子どもの持つ知恵を自覚によって引き出し、自分で自分を救う力のことを歌ったものです。
その核となった "Treat Yourself(自助)"は、虐待される子ども自身に向けたニューヨーク市の標語でした。
自助とは、子どもたちに世界をより良く変えてもらおう、という大人の願いなのかもしれません。
(細野晴臣)