・・・・夜々雑念・・・・
今夜は、浮かぶがままに、ひたすら、自動筆記してみる。脳の中がぐちゃぐちゃなまま。
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すでにチカラの無いじぶんは、日々逃げようも無い・時間との戦いの中で、今週も、Q&Pコーワとヤクでのみ生き延びた。
単純に「しのいだ」だけとも言える。
ならば、音楽を聴くことも、愚にも付かないスクラップブック作りも、ビールも呑まずに「疲れているなら、さっさと寝ろ」。
だが、そういうときに限って、見えない何かに、希望を見い出さずにはいられない。
クライシスに面すると、本能が働くからなのかもしれない。
久しく眠っていたスクラップ熱がぶり返して来たことから、今週は街でさまざまなモノを拾った。
オウム事件以降ゴミ箱が撤去され、東京が浄化され、IT化されていくと共に、拾い物は極めて少なくなった2013年だが。
今夜、とぼとぼ歩く帰路では、車や人に踏み潰されたうちわを拾った。「世間」は、変人、浮浪者、世捨人、キチガイとレッテルを貼るとしても。
周囲の目を気にするが、このような遅くには、人は歩いていなかった。
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帰路で、イヤホンで聴いていたのは、ジャパンの解散ツアーを収めた2枚組・ライヴアルバム「オイル・オン・キャンバス」。
ラストアルバムとなった「ブリキの太鼓」で、膨張し切った「ジャパン」というバンドを、発展的解消させた4人。
1982年の解散ツアーには、ロブ・ディーンが「ブリキの太鼓」前に脱退済みで、ギタリスト不在だった中、4人がツアーに選んだギタリストは土屋昌巳。
ちょうど「すみれセプテンバーラヴ」が国内でヒットする中、ジャパン&土屋昌巳は各地を巡る。
同時に、教授こと坂本龍一と土屋昌巳は、たもとをわかつこととなる。
それは、YMOの描いたナゾのアジア人&誤解した(見事に誤解させられた)欧米人のオリエンタリズムへの憧れ。
その流れを、土屋昌巳が流用・利用したことへの、教授からの反感の表明。
そして、ジャパンと密接な関係になったことへのジェラシー。
その解散ツアーの東京公演では、ゲストとして、坂本龍一、高橋幸宏、矢野顕子が参加した。バチバチした教授の怒りの数メートルの同じ舞台に、土屋昌巳が居るというあやうい光景。
時代を共有していた、たすくさん同様の深い想いを抱く曲「テイキング・アイランズ・イン・アフリカ」では、幸宏・アッコちゃんが部分的にヴォーカルを取った。
■ジャパン&坂本龍一 「テイキング・アイランズ・イン・アフリカ」1980■
じぶんが「ジャパン」の最高傑作と思う「孤独な影」を、そしてジャパンを、当時「単なるロキシー・ミュージックのパクリ」と言い続けた男=今野雄二はすでに自殺して・この世には居ない。
彼を含めて、じぶんが愛した音楽をことごとく叩きのめしていたのに、それに耐えて・毎月買っていた、情報誌としての雑誌「ミュージック・マガジン」。
当時発売されていく新譜を一番多く網羅している、という理由だけから。
一方で、有機的に5人が繋がった結晶体アルバム「孤独な影」を『ジャパンは、もう、デヴィッドだけのバンドではない』と、大いなる拍手喝采を送った、編集長=中村とうよう氏も、孤独なる飛び降り自殺をして・この世には居ない。
世界のあらゆる音楽を聴いて・紹介した、とうよう氏。
来週は、ワールドハピネス2013に向かう。
元々は、出演者不明の中、YMOゆえに先行予約したのだが、その後、YMOは出ないと分かり、ひどく落ち込んだ。
しかし。。。。。
愛する大貫妙子さんやアッコちゃんが出ることを知る。
そして、今回のトリは「スネークマン・ショー」であることを知る。
それをじぶんは、こう解釈した。
YMO聴きたさに、スネークマン・ショーに対してのブーイングを聴衆者が起こす中、坂本龍一が「うるせえ、バカ野郎!」と舞台から聴衆者にマイクで叫んだ、あの「写楽祭」。
あの事件への、三十余年目の大々的な復讐劇なのだと。