こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

「西暦 2010」

2010-01-02 23:06:26 | 写真日和


幼い頃、日本人として新年を迎えることは、ヨロコビであり、正月は神秘的な時空であったが、もはや、そういう気持ちは、自分の中にはなくなってしまった。

それは非常に悲しい事だが、いくら表面的にごまかせても、自分の気持ちにはウソは付けない。

2009年は、相棒まみちゃんを失ってしまったし、また、2010年がこの日本と自分の仕事を含めた周囲の世界に不安と落胆しかもたらさないだろうことを、自分は既に見抜いてしまっている。

自分は、小学生の頃からかかさず年賀状を書き続けてきたが、今年は「喪」で明けるべきと思い、年賀状を、このような写真で飾る事とした。

旧態依然とした「社会」に属す自分は、たぶん、このはがきを出す事によって、より「変人扱い」されるであろう事はわかってはいるが、まみちゃんの「死」を背負い、日本の「死」までまじかに迫ったこの時期、「おめでとう」とは口からは出なかった。
親兄弟にも、呑み屋のお姉さんのメールにも、目の前に「死」を突きつけるのが正しい姿なのだ。

***

12月31日 偶然、7時過ぎに起きた自分は散歩に出かけ、1時間半汗をかくまで写真を撮り、歩いた。
向島界隈の下町のありふれた、しかし、愛すべき街の姿を表面的に年賀状に載せようかとも思ったが、いまいち自分の気持ちとはフィットしなかった。

自分が敬愛するアラーキーは、80年代の終わりに、「昭和」の終わりと再開発の波に飲まれて消えてゆこうとする「東京」の街をダブらせて、東京を「死をはらむ予感のする街」として撮った。
それをまとめたアルバムが「東京物語」という素晴らしい写真集であるが、何か自分も、今、そういう気分の中に居る。

対岸に見える「トーキョー・スカイ・ツリー」と、此岸に偶然止まった鳥、ゆりかもめの1ショット。

それは、自分には、黄泉の世界のように見えて、ポストカードに印刷することにした。

そして、2010年は、自分にとって、今までには無い、「死」から始めるべき年となったのだ。
コメント (2)
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