こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Grace Jones 「Slave To The Rhythm」'85年12月

2010-01-05 22:57:02 | 音楽帳
時は再び1985年に戻る。
そして、12月の師走。

今になって冷静に捉えても、やはり、この1985年から1986年末が、個人的な80年代の進歩的音楽世界の終焉の地点に思える。

ニュー・ウェイヴの流れが、「明日はより違う明日」と引っ張って来た音楽の進歩的世界が、最終コーナーに来ていた感が強い。

***

この1985年12月は、クラッシュが空中分解の状態で最後のアルバムを出し、エコー&ザ・バニーメンが極めてポップな「ブリング・オン・ザ・ダンシング・ホーセズ」というシングルと『シングルズ』というバンド総括のアルバムを、また、ジョニ・ミッチェルがトーマス・ドルビーをプロデューサーに起用し、そして、ZTTレーベルのリーダー、トレヴァー・ホーンが次の「題材」にグレイス・ジョーンズを扱い、かと言えば日本では「夕やけニャンニャン」のおニャン子クラブを「題材」に秋元康がやりたい放題やっている、という混沌とした状況だった。

音の要素としては、やはり、サンプリングを用いた擬似音の渦に入っていた。
それが、すごく手触りとしては、自分が好きな機械の音にも関わらず、手でさわれないかのような・霧の森の中をさまよっているような感覚に漂っていた。



トレヴァー・ホーンとグレイス・ジョーンズの繋がりは、共にアイランド・レコード所属である点であったが、グレイス・ジョーンズは、元々はモデルであって、色んな装飾を加えて様々な姿を演じられるという、トレヴァー・ホーンにとっては格好の素材だったのだろう。

彼女の作品で個人的に好きだったのは、1982年の作品「Living My Life」だった。



スライ&ロビーとのコンビの、とてもおだやかでオシャレな心地よいレゲエの世界で、イイアルバムだったなあ・・・。(オススメです)

***

しかし、この「Slave To The Rhythm」という曲を初めてヘッドフォンで聴いたとき、イントロでキラッと星のように輝く音の、余りの綺麗さに驚いた。
「さすがトレヴァー・ホーン・・・・」と言わざるを得ない音空間の奥行きにいざなわれた。

また、このアルバムがトレヴァー・ホーンらしいのは、AB面合わせて8曲が全部同じ曲のバリエーションという点だった。



「あいつ、ついにーやりおったなー」と、寅さんの御前様の笠智衆さんのように思った。

***

アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、プロパガンダと、さまざまな「ヴァージョン」違いを出し続けた世界は、今の音楽では当たり前になってしまったが、それを徹底的に音楽市場を利用し揺さぶり遊び、実験をしたのはトレヴァー・ホーンが初めだったのかもしれない。

しかし、アート・オブ・ノイズの「顔」である上のジャケット【写真】のように、仮面を被って大衆をウラで操る、という確信犯的な「いかがわしさ」「うさん臭さ」という点では、トレヴァー・ホーンと秋元康はそっくりである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする