こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

「成人式」・「成人の日」廃止

2010-01-11 22:35:20 | 雑記帳
我々の時代、もしくは、それ以下の年代の、特に、東京人は「成人式」なるものに行くのは『イナカモン』という認識でしかなかった。

『イナカモン』とは場所的な〔都市⇔地方〕という意味も含むが、要は、体制に従って、ちゃんちゃらおかぴー正装をして、ある場所に「群れて」説教を受ける、そういうモノに参加する事が、「主体性」を欠いた人格そのものであり、お笑い者だった。

まあ、自分の場合は、ハタチとは素浪人のさなかでもあったが。

***

今、ラジオ「アクセス」を聞いていたら、また、壇上に上がって騒いだりする「甘ちゃん」の「成人さん」が居たらしい。
こういう輩は、「成人さん」なので、犯罪として射殺なり処罰の対象にするがいい。

もう、20歳=成人という認識を、現代では改めなければならない。
無論、少年法の改正も視野に含めての事である。

事件当時19歳の永山則夫が、多くの支持者に支えられ、文筆家として作品を残しながら、結果、絞首刑にて国に殺され/反面、近時の未成年の極悪犯罪は無に伏している事実。

あくまで、一部の「ムラ的社会」にとっては、イニシエーションの意味は継承するとしても、日本の多くの地域は既に均質化し、通信・情報ネットワークにおいては同等となっている。

先ほどの話に戻るが、「なぜ? わざわざ成人式に出向くという行動で、既に『群れ』の単なる一員にしか過ぎないのに、そこで、壇上に上がって騒ぐ必要があるのか?」
自分には理解出来ない。
「行く」義務は無いのだから。

***

自分としては「成人式」も「成人の日」も廃止すべきと思っている。
なぜなら、カネの無駄であり、休みの無駄であるからだ。
もう意味は無い。

日本は、「ゆとり教育」だとか「ゆとりある社会」とか言うが、やたらと無駄なロスを生む弊害を作ってきた。
「ゆとり教育」が招いた失敗は既に結論付けはされているが、大学そのものの意味も既に崩壊しているので、着手すべきだろう。
誰でもカネがあれば入れる少子化の中で、センター試験も受験も、意味を失っている。
学びたい者が学べるようにすれば良い。
大学のネームバリュも、もう既に無いのだから。

また、やたら、祝日を作ったがゆえに、3連休が増えてしまったが、企業は、利益を生むべく、スリム化に向かってリストラ等人員整備・雇用体制の変化による人件費カットをしてきた結果、労働量をカバーするために、そのしわ寄せを自分らのように埋めるべく、祝日に働いているのが実態だろう。

無駄な祝日・祝祭が多いが、まずは「成人式」「成人の日」の廃止を希望する。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする