こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記  ~改めて、やっぱり何を置いても「YMO」ですなあ~

2009-08-08 09:07:08 | 音楽帳


■NHK 「YOU」1983年 再放送を見て。

クロケットさん、「YOU」面白かったようですね。。。。

>特に細野さんは味があって、とても魅力的な人だと思いました。

→細野さんは、昔から「おじさん」というか「老賢人」というような笠 智衆のような存在でしたね。
声も低く濃い良い声していて、細野さんのヴォーカルは今も昔も大好きです。
UFOは見るは、写真を撮るとエクトプラズムは出るは(第2期ワールドツアー 歴史的写真集「OMIYAGE」に写真は収録)、おじいさんは沈没したタイタニック号に乗っていた日本人であり、すごく妖しい不思議ワールドと繋がっていて、雰囲気含めて孤高の存在でした。
初期のYMOは完全に細野さんリードのオリエンタリズム全開でしたね。
初期YMO=細野さんというイメージが強いです。

***

>教授は髪をかき上げるのが癖なのですね。。シャイな感じも持ちながら、音楽について語っている姿が印象的でした。

→教授は元々シャイというか、かたちんば自身も同じですが、要は「人間嫌い」なんですね。
性格的は、今更ですが正直良くないです。
私=かたちんばの嫌悪する戸籍上の家族の者は、ハッタリかもしれませんが、CMでしばらく(’88~89年ごろ?)教授と一緒に仕事をしていたとのこと。
ですが、とにかく会う人にきつい要求が多くあり、ヒトの好き嫌いが激しいヒトだったといいます。
打ち合わせを進めるのがなかなか難しく、スタッフの中には、教授を殺してやりたいと思うヒトが多いほどわがままだったと言います。
相当プライドが高く、自分自身に対する評価も高く、「自分は何でも出来る」と思っている人なので、YMOでも、揉め事の発端はいつも教授でした。
細野さんとは、結局YMOも、その後も仲たがいというか、ソリが合わずに、その間を幸宏が取り持っていたという構図でした。

髪をかき上げるのが癖ですが、当時「YMOでツアーに出ると、坂本の歩く場所の後には、ペンペン草1つ生えない」と言われる程の女性キラーで、旅先で多くの女性と性交渉があったと言います。(まあ、よくモテる訳ですわ)
プロデュースした人の中では、大貫妙子さんは昔付き合っていた人だし、近時では、中谷美紀とはそういう関係であったと言われています。

かなり「ろくでなし」の側面は持っていますが、自分は、音楽家は、その人ではなく・その音楽が良いか悪いかだけだと思っていますし、「ろくでなし」でなければ素晴らしいアートは出来ないのだから、妙に性格良くする必要も無いと思っています。

幸宏が「グっとくるヤツ」と言っていたのは、女性をくどく時に、甘いピアノを弾いたりすることを指しています。
「高橋幸宏のオールナイトニッポン(1983年4月~12月)」に、YMO3人と原田知世ちゃんがゲストに来たときも、幸宏が「コロッと逝くヤツ、教授やりますか」と水を差し向け、「私、教授のピアノ弾いているの見たいで」と言われ、「ん~」とうなりながらも、「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲を目の前で披露していた記憶が強いです。

***

>幸宏さんには一番親近感を感じたかもしれません。
服装も一人だけジャケットを着てお洒落なんですね。

→幸宏は、「ブリックス・モノ」というブランドのファッション・ブランドを経営していて、YMOのステージ衣装も彼がコーディネートしていましたからねえ。
細野さん曰く「幸宏は世界で一番オシャレ」というのもわかります。
(自分は、今、幸宏のようなヒゲを生やしています。まあ、幸宏のオシャレさには、全く追いつきませんが・・・)。
幸宏は、スタイルや食事、生活の仕方まで、生きること全てが、幸宏流のコーディネートなんだな、と今更思います。
ほんとに、幸宏は年を取っても、変わらないし、相変わらずオシャレだなと思います。
当時、「四月の魚」という主演映画がありましたが、あの映画にも幸宏のオシャレさの片鱗がそこかしこにあって、大好きです。

***

「YMO」が居なければ、精神的にひ弱だった自分が今生きてはいなかったと思います。
僕は今、43歳になってしまいましたが、一生、彼らの音楽を、未だ時代を超えて、死ぬまで聴き続けていくんだろうなという確信があります。

少年の頃、YMOから得た夢心地や希望は、僕の中で、いまだに、自分が生きる為の推進力として、小さいながらも燃え続けているのです。


キリン ラガービール 60秒 YMO 2007
コメント
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