こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年4月6日 土曜日 「本当の下町にこそあるべき姿がある」

2013-04-06 14:40:46 | 雑記帳

13時。爆弾低気圧で台風のようになるという予報。
窓を開けると、確かに空模様は怪しいし、風は不気味に吹いている。
最低限に絞り込んだゴミを袋に詰めて、ゴミ収集の方が来られるのを待っている。食材が何もないので、買い物に出かける。
すると人の渦。土曜でもあり、昼でもあるから、そーいうものだが、爆弾低気圧を予見して買い物に来られた方も多いのだろう。

カラダが欲しいというまで、食を必要としないじぶん。数年前肝臓を壊して以降、15kg近く体重が減ったが、ここ数週間で更に減ったようである。
スラックスがブカブカ。別にガンでも無い。
じぶんは、一応戸籍をもつ人間として生きている限り、それだけで、さまざまな迷惑を自然界に掛けている中、必要最低限(=当たり前)で生きていく。

近時、ゴミ収集において、缶の回収の日に「ゴミを持っていくのも盗みだ」と勝手な判断をされているが、そんな中、ジプシーの方々が缶集めに自転車に乗ってやってくる。なにが悪いのか?理解できない。
その缶をある所に持っていけば、ジプシーたちのお金になる。そして循環の軌道にも乗る一石二鳥であり、良いことである。
我々は、いったい区分ゴミが回収された後に、それがどこをどう伝って、どうなっていくかを、想像して生きているか?
かつて、プラスチック系ゴミを分けていたのに、あるときから燃えるゴミで一緒にして良いとなった。
要は、勝手なエコ情報に騙されて区分していたが、結局意味が無いことが明らかになった実態の一旦としての事件である。

缶の回収においては、末端で働く回収の人々に出すよりも、ジプシーの方々が、集めて・それがカネに換金されうる業者の手に渡る方が正しいと思っている。

新築として迷った挙句に決めた荒川区西尾久。かつて阿部定事件が起きた現場から100m程度の場所だったが、住むとクルマが通っても家が揺れる欠陥住宅と判明。そこから転居地をえらい苦労を掛けて、最終的に東向島に決めたものの、これで良かったのだろうか?という違和感はしばらく去らなかった。
しかし、2013年今、なんてしあわせなボーリンゲンの塔に住めるのか、それをここ数年覚えている。
古くから住む人にとってはジャマそのものかもしれない。しかし、移転して良かったと思っている。

三ノ輪生まれのじぶんが、その産まれた家に戻りたいと願いながら、おばあちゃんが亡くなった2004年の親族どうしの揉め事と、全員が理不尽な遺産分割に伴って、じぶんが産まれた家を買いたいと思うことへの嫌がらせもあり、その家は他の者の財産として奪われた。
親族は全て、過去の憎しみも含みつつ、全て親族解散した。

それでも東京下町へのノスタルジアが去らない中、荒川区西尾久に住んだ数年。
しかし、住んで分かったのが、暴力老人が多いこと。老人率が多い中、都電で仕事場に通っていたのだが、都電では優先席でも無い席に座っていようものなら「お前は、何を偉そうに座っているんだ」ということを言われる。
それは都電に限らない。
東京大空襲を逃れたという意味では、三ノ輪も西尾久も東向島も同じだが、もはや三ノ輪ではヨソ者・西尾久は暴力老人・・・
そんな中、東向島に住む人たちは優しい。そこにはくねくねした大好きな路地もあいまり。

お花や古い家や通りを写真撮影していても、そこから会話が始まったりする。おだやかな人たち。そのささやかな生活にはナミダが出るような愛おしさとぬくもりが宿っている。
同じような感情を谷中にかつて抱き、リハビリとして通い続けた。しかし、もはやじぶんが愛した谷中の色は薄れてしまった。
森まゆみのせいで観光地化してしまい、ヨソ者だらけと化した谷中は、路地にたくさん居たネコさんも辟易として、避難を始めた。

今、ここに住めるしあわせを感じている。病院でもなく、地方でもなく、東京下町でじぶんは、土へと戻っていきたい。世間から変わり者呼ばわりされた永井荷風先生に、敬意を抱きつつ、彼が愛したこの地で、じぶんは生涯をまっとうしたい。

■China Crisis 「Here Comes a Raincloud」1983■



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