
自分自身を演じているという感覚は、自分も慣れ親しんだ感覚だが、幼少の頃は、それがショックで、精神病の一種ではないか?と思っていた。
後に、太宰治・三島由紀夫が同じ感覚を抱いていることも知ったし、渋谷陽一さんの文筆にもそういうくだりを見つけて、自分だけではないのだという安堵を持つ事は出来たが、ではその解決策があるのか?と言えば・・・「無い」。
それでも生き続けねばならない運命に、暗黒を感じた。
その後、色んな仲間を知った。
病気で言えば、「離人症」「人格性乖離障害」というものはその後知ったが・・・・。
特に、70年代後半~80年代前半への「テクノ革命」に伴って、自分を人間では無く「エイリアン」「マシン」などと見なす方法論に拠って、自分の有様を、自分として生きていく方法を教えてくれた。
●デヴィッド・ボウイ・・・・・・「地球に落ちてきたエイリアン」と名乗った。
●ゲイリー・ニューマン・・・・・自らをエイリアンと名乗り、周囲との違和を埋めようとした。「カーズ」という曲では、車の中が僕の世界と言った。
●クラフトワーク・・・・・・・・「ROBOTS」という曲で「WeAreTheRobots」と名乗り、自分らのダミー人形にも演奏をさせていた。
●ジョン・フォックス・・・・・・「I WantToBe Machine」と自分をマシンの一部として捉えた。
そんな自分が不安定な「得たいの知れない生き物」を周囲から「不気味くん(中学時代の僕のあだ名である)」と呼ばれながら、僕は、15歳[1981年7月 中3の夏]に三ノ輪から草加に引越しすることに拠り、手に入れた自分の部屋が、自分の「シェルター」だと思い、そのシェルター創りに、自分を見出そうとし始めた。
そこには、自分の信ずる事が出来る本・音楽・オーディオ・絵を持ち込み、自分の第2の人生をスタートさせた。
***
エイリアンには、エイリアンが外圧に責められない戻れるシェルターが必要だったのだ。
ソフト・セル(マーク・アーモンド)が「僕のベッド」を自分だけの空間にしようとし、ブライアン・イーノは、自らのアンビエント作品を流すマンハッタンの空間を、外のうんざりするような世界からの戻れる安息の地としていた。
暗い時期のザ・キュアーしかり、ジャパンを捨てたデヴィッド・シルヴィアンしかり、デヴィッドは特に、もううるさいロックの世界への興味や接触を断絶した。
そんなミュージシャンの中で、1982年にティアーズ・フォー・フィアーズの「MadWorld(狂った世界)」を聴いた。
***
周囲は全部、狂っている、と言いながら、佇む部屋が彼らの安息のシェルターだった。
2人は、ともに両親が離婚をし、そういう心の傷を抱えたまま、その痛み「ペイン」を、やっと語りだしたのが1枚目のアルバム「ハーティング(傷付く事)」。
この中に納められている「ペイル・シェルター(蒼白い避難所)」とは、傷付きながらも、それでも生きていかなければならない呆然とした中、自分らに与えられたのは「ペイル・シェルター(蒼白い避難所)」なんだということを吐露している。
YouDon’tGiveMeLove
YouGiveMePaleShelter
YouDon’tGiveMeLove
YouGiveMeColdHand
私は、15歳から約30年をかけて「僕の部屋」から「僕だけの家」というシェルターを得るまでに来たが、なかなか外圧・接触せねば生きていけない社会との軋轢を、未だにどのような形でうまく切り抜けて生きるかには迷っている。

「折り合いをつけて」自分を失くすか
異国(異星)に降り立ったエイリアンには果てのない選択ですね。
「うまく切り抜けて」生きてみても、
これだけ大多数の非常識が常識にとって代わる世の中では、
エイリアンはむしろ周囲のような気もします。
かたちんばさんが「シェルター」から秋空を、雲の流れを楽しめますことを。
なかなか沈黙が自分の中で続く中、読んでいただいてありがとうございます。
そういえば、JAPANにも「エイリアン」という曲がありましたね。
ミック・カーンの不安定なフレットレス・ベースが一層不気味さ・孤独さを増幅する曲で、愛していました。
>「得たいの知れない生き物」として生き続けるか「折り合いをつけて」自分を失くすか
→「普通の人間」のフリをして紛れ込もうとするのだけれども、結局「エイリアン」は「エイリアン」として突出し、周囲との軋轢を生んでしまう運命は消せないと思っています。
偉大な哲学者は、そういう振幅の中で揺れていくしかないという事を説いている人がいましたね。そうそう、80年代の「差異と反復」とやらの本でした。
「エイリアンはむしろ周囲」という感覚は、何度か幼少の頃から場面場面で遭遇して来ました。
まさにサルトルの言う「出口無し」ですね。
「・・・これが地獄なのか?
こうだとは思わなかった・・・
硫黄の匂い、火あぶり台、焼き網なんか要るものか。
地獄とは他人のことだ。」
大学生の頃、心理学者のユングに傾倒していました。
彼は、自分の思索の為のこもる部屋を「ボーリンゲンの塔」として、気を集中させる室として位置づけていたのを思い出しました。
僕は、それほど「孤独」と連続的な集中指向に、このシェルターをしたくは無いので、エノケンの大好きな曲「僕の青空」のように「せま~いながらも、楽し~い我が家~」てな感覚で、リラックスして東京の電線と家とビルに囲まれた多角形の空にぽっかり浮かぶ雲と青空を眺めていたいですね。
江戸っ子三代目の自分の気分だけは、そんなべらんめえ口調です<笑>。