昨夜もちゃんと睡眠薬を服用し、午前0時前に寝た。
というのに、5時に目覚めてしまう。
肉体よりも脳ばかりを使っているせいであろうか?バランスが悪い。
眼の酷使でじんわり痛む両眼、頚椎ヘルニアによる頚から鎖骨にかけての痛み、すっきりしない・うっすらした頭痛。
まだ時間が早い、と思って寝ようとしたが眠れずに起き出し、ヤカンでお湯を沸かす。
外はすでに夜が明けては居るが曇っていて、少々こつぶの雨が落ちている。
薄暗くも静寂が占める部屋で、ブライアン・イーノとハロルド・バッドを掛ける。
なんとなく。
まだコトバがアタマも・周囲も染めなす前に、なんとなく。
流れるように、そう水の流れや自然が、ルールとは無縁に流れていくように。
音は周囲を満たす。
聴いても聴かなくてもよいまま、この空間に水のように流れていく。
放置したまま、空間を動くじぶん。
■Harold Budd & Brian Eno 「A Stream With Bright Fish」(From「The Pearl」1984)■
こないだ曳舟で出会ってしまったネコのカップがどーしても欲しくて、買ってしまった。
鶴見済さんの本にある「捨てることなく、今手元にあるものが何かに使えないか、をよく考えたりする」「買うという行為をやめてみる」。
それは、ボク自身も実践してきたが、ネコには弱い。
そして、だからと言って、ほかのコップを捨てるということも無い。
ムダな消費行動はしていない生活だが。
数杯お茶を飲むうちに、このまま起きて、仕事場に行こうと思う。
今日もヤマだが「乗り切れれば」明日は休めるはず。
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先日、両手骨折&腰を痛めた、お袋さんのお見舞いと手伝いに実家に行った。
向かう道の途中でミケちゃんに出会う。座って眺めていると、こっちに向かってきて、しばし撫でたりして遊ぶ。
「ニッポンの猫」らしいネコだったが、実家に行って写真を見せると「ああ、この子、田中さんちのネコだよ。このへんじゃ嫌われているんだよ」。
「なんで?かわいいよ。」
「よその家に勝手に入り込んでイタズラをするんだよ。」
「いいじゃないか、ネコらしくて。」
だれかがいろいろ言うだろうが、自由気ままなこのミケちゃんはかわいい。
ネコはかわいいものだ。
フンか?石ころか?におって分析している。
ゴロンとすりすりする。
と思ったら、今度は背中を掻く。
そしたら、次は何かを天空にみつけたらしく、一点を見上げる。
彼女が見ているあたりを、じぶんも見るが、そこには何もない。
今度は、道を移動して散歩に出掛ける。見つめていると、こちらを振り向いた。
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イーノとバッドの音は、エンドレスで朝の空間を漂っている。
ネギが少しづつ伸びだした。
豆苗(とうみょう)は、あっという間に生い茂るほどに伸びている。
いきもののたくましい歩みに感心します。
我が家の野いちごも予想外に冬を越して、今また小さな実をつけました。
路地から聴こえてくるのは「寒いわねえ」の会話。
桜、ツツジ、ジャスミン…と花は移ろっているのに。
ジャスミン?
そういえば今年は妙に香っている気がします。
いつも強い風が吹くようになったこともそう感じますが、
亜熱帯化している一例でしょうか。
今日はそんな風+ビル風+海風のビッグサイトで販売会がありました。
かたちんばさんもよくご存知かと思いますが(笑)
ヒトの見本市のように、色々なヒトを目にする場所です。
ちょうど「トリハダ」の話をされていたからか、よけいにそう見えました。
私もその話の結末が曖昧なのですが…
何せその回はあまりにも印象深い話が重なっていましたから。
仕事に失敗ばかりのOLのお詫び、遊園地のクマの着ぐるみが我慢を止めた時…
タクシーについては、2、3ヶ月前に別の番組でも後味の悪い話がありました。
タクシーの運転手にさんざん悪態をつき、「クズ」と見下す女性。
しかし、コールガールとして向かった先で、今度は女性が
客の、見るもおぞましい(やりすぎなくらいのキャラクターでした)男性に「クズ」と罵られる。
それを知ってか、マンションの外で、運転手は不敵に煙草をふかしている…
ここにリアリティを感じるのは、
実家に行った時に乗ったタクシーで伺った話も関わっています。
一部では経済が回っているようで、またバブル時のような高飛車な客か出始めたとのこと。
親切心でから「すぐそこだからタクシー使わない方がいいんじゃないですか」とすすめた女性客に
「あんたは言われた通りにしてりゃいいのよ!」と怒鳴られたそうです。
と、あまりヒトのことは言えません(+_+)
きっと猫さんがふっ、ふっと顔を向ける時、
そんな黒い部分も見られているのでしょうね。
あと、前に料理で使ったほうれん草の根っこも、1週間前から、土に突き刺しているのですが、なかなか。。。
また、三つ葉のたねも土に撒いたのですが、これまたなかなか。。。
豆苗は、えらいことになっています。
朝お水を上げて、夜帰ると、ビヨーンとたった1日で、驚くような伸び方をします。
今は、ボーボーに伸びつつ「上の部分をすこしちょうだい」と切って、ごはんやパスタに和えて使っています。
家じゅう植物だらけにしようと思ってます。
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ジャスミンはたしかに強い匂いですね。暗い夜道を歩いていて、不意に良いかおりに包まれる。
その匂いの素を辿ると「あった、あった」。
道端で、ジャスミンがわいわいと咲いています。
現代人は、こういう匂いの素を知らずして、平気で香水を買ったり・ひどい動物実験を経た化粧品などを「平気に」使う。
そう他人だけを責められないのは、じぶん。香水・化粧品には無縁ですが、芳香剤とか、あるいは知らない間にそういう成分が入った加工品を手にしていたりする。
洗剤1つとっても似たようなもの。
そういう製品と完全なる絶縁を、自分には課します。
今のじぶんに必要なのは、使っているものの源を知ること・あるいは・捨てたゴミがどこに行くかを追跡することだったりもします。
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昨日は、ボーリンゲンの塔に篭もりました。
「普段の生活が時間に追われている/覆われている」ことを再確認しました。
ごろんと横になって、寺山修司さんや河合隼雄さんらの本をじっくり読んだり。(時間を気にせず)
YOUTUBEでさまざまな長編の対談を見聞して、学んだり・考えたり。
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「トリハダ」は、さくりんさんが記憶の残像に残ったように、じぶんも同様。時代とリンクしながら・リアリティを持って描いてある点が、そのチカラの源なのでしょうね。
経済が回っている、という感覚は、じぶんにはありません。もう回らなくて良いとも思っています。
こないだ福岡のIさんと話していて、お互い似たようなことを思っていたのを確認しあったのは「今の若い人、それに、3・11を通過して2年・結果何がどうなっているかが分かってしまった人/何が起きても変わらないんだなと確認した人・・・らは、もうこれ以上モノは要らない中、ひょっとすると、景気が浮上してもあえて消費行動に移らないだろう。」
というか、もうすでにそこにかなりの人が、価値の視点をシフトしつつあるんではないか、と思っています。
タクシーは、モノの売買では無いので、相変わらずの馬鹿はそういう行動に移るでしょうが。
誰が名付けたかよく分からないアベノミクスとやら。
安倍さんの実験に打って出たことを否定しませんが、即効果が出るものでもない。現段階は、一部の元々の富裕層が株で一儲けしているのみ。どこで舵が動くかは不明ですが、他国が黙って、こうさせ続ける訳はない。
まあ、いま時点のじぶんは経済にも消費にもいっさい興味が無く、その外側に価値や生きる方法を見つけることが楽しいので、無縁ですが。
ですが、こちらでは雷が鳴り始めたので
そろそろ帰ります。
空いた電車も今日まで…
砂原さんの「ナチュラル」、
私は種子を感じました。
天に伸びるしなやかさを秘めつつ、
それがいつになるか分からない、
硬くざらついた種を。
『家じゅう植物だらけ。』
華と酸素を生みつつ、刺も毒もない交ぜのいきもの。
想像するだけでわくわくしますね。
私はベランダのママと相談しながら、
今年はひまわりを蒔こうと思います。
今日は、いかがでしたか?
こちらは、初日から。。。ですが、帰り道の北風の寒さには、五月とは思えない違和を感じました。
そんな夜です。
つくづく詩人だなあと思うのが、砂原さんの曲に「硬くざらついた種」を感じたり・「ベランダのママさんと相談しながら」これからまくタネの話をしたり。
ブログには、よく「ヨイショ」やりとりがあるものですが、そんな意味は一切なくて、素でそうじぶんは思います。
昨日、やっと、探していたゴーヤの苗をお花屋さんで発見して、10個も買ってしまいました。
今、勢揃いしています。
今後が楽しみな子供たちです。
かたちんばさんの『ボーリンゲンの塔』が
外から内から
みどりの蔦に覆われているのを想像したのです。
鳥さん、猫さんが往き来。
夏には大小様々のゴーヤがたわわ。
お母様の高らかな笑い声。
ギプスが取れるところまできましたか、
よかったよかった。
朝からすてきな逃避ができました、ありがとうございます(^-^)/
さあこれから、非常識のかたまり(ドア付近から動かない集団)を突破します…
彼が、思念を集中させたボーリンゲンの塔は、1つ間違えるとカルトと言われるかもしれません。
さくりんさんの文面にあるような夢は、じぶんの中には実は過去からあったもの。
なんとかそこにエセでは無い形でたどり着きたいと思っている、そんな「今」です。