
「いま、自分の身の回りのもの全てが、早く動きすぎている」(1983)といったブライアン・イーノと底通した、ある種の精神的病的体質の類のヒトにしかわからない感覚。それが、自分には、昔からある。
本来は動かない風景の中でじっとしていたいのに、「スピード」という「悪魔」のわざわいに振り回され、すでに30数年。
わたしの取れない疲れは、このスピードに拠るものとも言える。
時に、そのスピードと戦い、時にそのスピードに乗り… 四苦八苦如何にして、そのスピードを操るかを悪戦苦闘してきたが、未だ一向にその答えを出せずに、変わりゆく風景の中に巻き込まれて、流転に流転を重ね、泣きながら、重い体をひきずりながら、何とか生き延びている。
そして、そういう自分を癒してくれるものを探しながら、一人旅を続けている。
しかし、癒してくれるものが「静寂」そのものとも思わないし、「絵だ」とか「音楽だ」とか「写真だ」とかいう偽善めいたことも言わない。
言葉にして言った瞬間にウソに変わってしまう気がするのだ。
やすやすと言葉が自分を裏切ってしまう、そういう感覚がある。
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そんな今日、なぜか聴いている曲は、全く言うことと相反するマイ・ブラッディ・バレンタインの「ルーマー」という曲。
アルバム「Loveless」というものの中の、好きな1曲。
轟音のようなノイズの中から、ふらふらと薄く立ち現れ・湧き上がる<相反した>優しい女性ボーカルの声。
真逆の物をぶつけ合う中に現れる静寂感。
ピアノや表面的に静かな音が、イコール=居心地の良さ、には決して結びつかないということの証明。
ノイズまみれの中に居ながらにして、感じる不思議な安堵感がこの曲にはある。
全く不思議だ。
自分には全く関係の無いヴァレンタイン・デイに浮かれる連中にお贈りする「血塗られたヴァレンタイン」の1曲。