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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Blancmange    「Feel Me」'82年

2009-12-01 23:22:10 | 音楽帳
クロケットさんへ

コメントありがとうございます。

「Duran Duranの曲だとSave a Prayerが一番好きです。」
⇒なるほど。僕も大好きです。
この曲は名曲ですよね。
その後の「ザ・ショーファー」という曲も、自分は大好きです。
・・・・と、いうか、Duran Duranの1枚目から2枚目の成長は実に目覚しく、2枚目の「RIO」のクオリティの高さ・メロディの良さは、本当に素晴らしいと当時、高校1年生になった自分は、このアルバムを買って聴いて、ガッツ・ポーズをした記憶があります。


【デュラン・デュラン 「RIO」】
<・・・ジャケットは、当時、一世風靡したイラストレーターの作品だったが、確か、その人はエイズで死んだと記憶している。>

全曲「手抜き」無しのアルバムで、たぶんDuran Duranの1枚を選べと言われたら「RIO」になると思います。

ただ、アメリカでMTVで「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」がヒットし過ぎたのには、いろいろ思いました。

個人的には、80年代のイギリスの「知性」あるミュージシャンたちを、でかいハンバーガーとビッグボトルのコーラを飲む程度の、アッパーでラリパッパの馬鹿なアメリカ人ごときに、Duran Duranを聴かせたくない、というのが本心でした。

***

クロケットさんは、ABCもお好きだそうで、それは自分も同じです。
もろ「ロキシー・ミュージック大好き」が全てにおいて透けて見えて、「音楽評論家さん」たちには、当時、ボロクソ叩かれていたのを覚えています。
確かに影響というより、ずばり、ブライアン・フェリーが憧れの存在なのでしょうが、ABCのポップさは、ロキシーのひねり具合には無いものでした。

但し、時間の密度が濃かった当時、1月単位で、音楽の時流が変化している中で、ABCは残念ながら、「ニュー・ロマンティスク」というムーブメントの中には居ませんでした。
彼らのファースト・アルバムが、1982年ですから、もう「ニュー・ロマンティスク」から、「ファンカラティーナ」とか別の地点に移っていた時期で、ABC自体も「ニュー・ロマンティスク」との面々との交流もなく、別のスタンスの地点に居たように思います。

まあ、のちに、1983年のYMOの「散会ツアー」には、ドラムとして幸宏が元ABCのデヴィッド・パーマーを引っ張り込むことになるのですが・・・・。

***

こういった音楽が「エレクトロニック・ポップ」という名称で呼ばれ出したのも、1982年ごろからだったかもしれません。

とにかく怒涛のようなたくさんの素晴らしいミュージシャンが、イギリスのヒット・チャートに押し詰め状態で、毎日、FMのエア・チェック、専門雑誌(ミュージック・マガジン、フールズ・メイトなど)が穴が開くほど眺め、「かけっこ」で言えばほとんど周回遅れでゼーゼー言いながら、毎夜「クロスオーバー・イレブン」に「サウンド・ストリート」と繰り出される新しい音楽の渦の中で、悲鳴を上げていました。
録音出来るカセット・テープをたくさん買う事の出来ない貧乏学生の中、小銭を貯めては、それを、カセット・テープを買う事に費やして、四苦八苦しながら、エア・チェックしていました。

***

そんな中で、「ブラマンジェ」という2人のデュオのバンドが、新たなデビューを果たしました。
初めて聴いたのが、「クロスオーバー・イレブン」でかかった、この「FEEL ME」というカッコイイ曲でした。



ファースト・アルバムである「ハッピー・ファミリーズ」が日本で、国内盤として発売されたのが1982年10月のことでしたが、この「FEEL ME」というシングルはそれより、かなり前だった記憶があります。


【ブラマンジェ 「ハッピー・ファミリーズ」】

我輩かたちんばが愛するかわいいネコちゃんたちが、牧歌的なイラスト・ジャケットの中でたくさん遊んでいます。
この牧歌的なジャケットと強いビートの利いた曲が、実に不一致で、このバンドの不思議な存在を際立てていました。
「むむ、御主、ただものではないな!」という感じがしました。


【ブラマンジェ シングル「フィール・ミー」】

このブラマンジェというバンド名、これは、イギリスの安いプリンのようなお菓子のことらしい。
自分は、残念ながら食べたことがないのだが、どうも安いが旨くないらしい。

ブランドあるメーカー品の「チョコ・パイ」と、100円ショップで売っている「チョコ・パイ」の違いのような感じなのだろう、と勝手に想像している。

このブラマンジェというバンドの音楽は素晴らしいのだが、クロウト受けはしたが、素人受けはせず、残念ながら、同世代の人の間では「ただものではない・素晴らしい」と認識されているが、時代の中で隠れた存在になってしまっている。

***

ここで、カラダに「YMO命」と刺青・刻印が入った自分が、勝手な「仮説」を1つ。
この「FEEL ME」という曲、確かにカッコイイのだが、どうも、ビートニクス(高橋幸宏+鈴木慶一)の名盤「出口主義」(1981年12月発売)の中に入っている、シングル・カットもされた「NO WAY OUT(=出口なし)」に、どうも酷似している・・・・。



もしかして、このビートニクスの曲が下敷きになっているのでは・・・・、とつい思ってしまう。
もはや、その確認はしようも無いのだが、真実を知りたいところである。
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2 コメント

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Blancmange (クロケット)
2009-12-03 01:14:43
一発で気に入りました!かたちんばさんが紹介してくれる音楽は最高です。とにかく僕は80年代音楽に大変興味があるので、当時の音を臨場感を持って伝えて下さるかたちんばさんに感謝です。
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いえいえ (かたちんば→クロケットさんへ)
2009-12-03 20:48:44
クロケットさんへ

「当時の音を臨場感を持って伝えて下さる」
ありがたい言葉です。

しかし、80年代前半のNEW WAVEのチカラの凄さを、今、改めてしみじみと思います。

「FEEL ME」は、「NO WAY OUT」の影響なのか?そうでは無いのか?
本人たちに会って、聴きたいところですけど・・・
共に、良い曲であるのは事実であり、27年経っても輝きは失せませんね。
返信する

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