こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月3日(土曜日)~4日(日曜日) 東京風景 ~北千住・荒川土手・隅田川・小さな喫茶店~

2014-05-04 05:28:09 | 写真日和

色々やっているうち、深夜2時を過ぎる。寝ねば、と睡眠導入剤を服用し、明かりを消す。
・・・耳の横からは、デイジーホリデーの放送が流れる。
細野さんの深い声は沈静作用があるからね。。。。

と思っていたが、ピーター・バラカンさんとのお話しが楽しかったり、昔の音楽が軽やかに流れるうち「ああーっ、眠れないや」と布団をはいで、身を起こす。

まあ、こんな深夜も良いではないか。

***

昨日(2日・金曜日)は、仕事場に向かう電車内にも、人はまばら。
更には、良い天気。お昼にお弁当を買いにいけば、なんだか、もう休みみたいな、だらりんちょんの空気。
仕事を室内でしていることが、バカバカしくなるような日だった。

しかし、そんな空気のお陰で、自分の体内からも、それまで重く捉えていた悩みやストレスといった毒が抜けていくようで、夕暮れを迎えると同僚の可愛い29歳・後輩くんと「パソコン奴隷で、室内でこんなことしているのが、バカバカしくなるな!」と2人で大笑いしつつ、バカ話。

意識してはいなかったのだが、自分の中で「よいしょ」と荷を降ろしてしまったようだった。糸の切れた凧(たこ)モード。
人は、そういうとき、吹っ切れたかのように、やけに軽やかになったり、饒舌になる。

帰ると、ついつい深酒してしまう。明るいお酒。どんどん呑んでしまう。
酔っ払った勢いで、29歳・後輩くんに電話し、仕事場では話せなかった話しで大盛り上がり。ドカンドカンきわどい笑いが出る。

この後、ある地点からプチッと記憶が途切れている。

***

今朝、7時45分に目覚める。酒は残るは、水、木、金の疲れは一挙に押し寄せるわ。まあ、いつもそんな具合だが。
みうらじゅんさんと仲間たちが繰り広げてきた、男同志のバカ道同様、毎週毎週友人3人で逢っては、バカをやってきた数十年の日々は、2年前に友人MZ師が結婚してしまってから、集まる機会が全く無くなってしまった。

ここ数年、3人で集まったのは、ほんの数回。
ほぼ兄弟のような人と逢えない時間が続けば、バランスを欠く。
これが自分の見えるもの・聴こえるものの質を変えてしまった感は否めない。

しかし、せっかくのお休みなんだしい。。。と、まだ独身の友人ハブ噛み師匠とアポイントするとOK返事に、ニンマリ。
しんどいけれども、休みには服用しないQPコーワゴールドをクチに含んで、鳩ビッコを引きづりながら、北千住でおちあう。

大晦日以来だから、4ヶ月逢えていなかった。
(今年の時間の経過の速さは、自分には異常に感じる。1年の3分の1が終わったなんて。。信じられない。)
逢って、彼とあてもなく北千住の街を迷走する。いろいろバカ話しをしたり、近況を話したりしながら。

紫外線強い陽光。汗だくで街を歩き、シャッターを切る。
柳原を抜けて、荒川土手に向かい、そこからは隅田川沿いを、風に吹かれながら、2人で音楽の話しをしながら。

















喫茶店で休憩。
お茶を飲みながらも、話しの中心は音楽談義。
自分は、今週インターFMで聴いた、羊毛とおはなの「イエローバード」、ローラ・マヴーラのグリーン・ガーデン」、ピンク・フロイド、ストーンズ、細野さんのライヴなどを話す。

ハブ噛み師匠からは、知り合いを辿って、出会えることとなったという宮原良仕子さんの存在を教えてもらう。

彼が持ち歩くヘッドフォンをアイ・フォンに繋いで見せてくれたユーミンの曲の弾き語り。
まずは、なんてかわいくて美しい人なんだろうというのは先にあったが、耳から聞こえてくる声のキレイさ・歌の上手さ・情感に参った。

自分「ギターを駅前で歌うガラクタ音楽家気取りも、しょせんはブームで、全部消えてくれたね。ゆずとかいうしょーもない歌しかつくれないヤツは、まだ居るけどね。
じゃあ、こちらは、青葉市子さんの『ひかりのふるさと』を推すよ。それとSALYU×SALYUもね。」

こんな会話が久しぶりに飛び交った今日は、幸福だった。

■宮原良仕子 「A Happy New Year」'13.12.31■
お互い同意「ユーミンの曲とは思えないほど、上手いねえ。
こんなにも良い曲だったんだと、今日気が付いたよ。」




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6 コメント

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荒川から三ノ輪あたり (ゴー)
2014-05-04 21:32:58
かたちんばさん、コメント欄ですがごぶさたしてます。
今日たまたま自分も千住方面へ自転車で行ったので、
面白くなって書き込ませてもらっています。

南砂から荒川サイクリングコースをガンガン北上しながら、
弁当が広げられそうなところを探していたら、いつのまにか
足立小台駅そばまで来ていました。川辺でおいしく食べてから、
さあどうしようかと考えて堤防を上がったら、でかいホームセンターと
KSデンキが見えたのでちょっと寄りました。
駅も店舗も下駄ばき高架の上で並んでいて、近未来の感がありました。
下の世界はどうなっているのかと興味が出て、降りてみました。
なんだか自分の好みとぴったりな雰囲気で気に入ったので、
そのまま土手には戻らずに街中を走ることにしてちょっと行くと、
熊野という駅を路面電車が通り過ぎるのが見えて、「おお!」と
うれしくなり、終点まで線路沿いの風景を満喫しました。
墨田区とも浅草から上野辺りとも違うにおいのするいい街でした。
その時は終点の駅名をはっきりとは見ないまま帰ってきたのですが、
さっきグーグルマップでおさらいしてみたら、「三ノ輪橋」とあるではないですか!
もしかしてあの辺りはかたちんばさんの故郷ではありませんか?
なんだかそれが気になってこうして書かせてもらっています。
そこからは南千住を通って、浅草経由で深川まで帰ってきました。
なんだか都電荒川線から南千住あたりの町並みがすっかり気に入ってしまいました。
かたちんばさんの大事なシマを荒らす気は無いので、
そんなしょっちゅうは出入りしませんが(笑)、「お気に入り」の一箇所に
加えさせてください。これまでの人生で、両手で数えられるほどしかないうちのひとつとして、
たまーに思い出しては訪れてみたいです。

長々と失礼しました。まったく、ちょっとしたことなんですが、
グッドタイミングだったので。
それではかたちんばさんも、残りの春の季節をお楽しみくださいませ。
返信する
そんな遠慮なさらないでください。ありがとうございます。 (かたちんば→ゴウさんへ)
2014-05-04 22:23:46
自転車がとても良いモノなのかもしれませんが、頂戴しましたお話しから、その移動距離の長さには驚きです。

時代の移り変わり、外圧による近代化で東京の街はつぶされていくんでしょうが、まだら模様にして、まだ昭和の街が点在しています。

ゴウさんが走られた道は、どれもが懐かしいですね。
良い一日だったんだなあ、と文面から匂いを感じます。

***

欠陥住宅だったので、2年しか住めませんでしたが、西尾久も当たりを思い出します。
当時、仕事場に行くのに、チンチン電車で町屋に出ていました。
自分は、小台と熊野前の間、宮ノ前で降りていました。
住んでいたところから、100mあたりの場所は、かつて阿部定事件の現場です。
昔は、温泉が涌いていたらしく、そこから料亭や今で言うホテル宿が乱立していたとのこと。その連れ込みホテルで事件は起きたそうです。

都電は、三ノ輪橋の王電乗り場から、ようく乗りました。
親父のゴルフ練習の付き添いだったり、小さな家出まがいの旅だったり。

今では禁止ですが、昔は線路を平気で歩けたものです。
夏の暑い日に線路の上を歩いていたら、ズックのゴムが溶けていったことがありました。

***

伊集院光さんも尾久の出身なので、親近感が強くありますが、案外住んでみると、とても静か過ぎて、ゴーストタウン的で寂しすぎる街でした。
それを思うと、今住む島は、静かでも、そういう寂しさより安息を覚えます。

なんでだろう?と考えると、地理的な配置に辿り付きます。
都電荒川線の途中までの荒川区の道は、実は一方向にしか進めない、という不自由さがあります。それを寸断するのは、まさに川という切断によるものです。
一方、ココは陸の孤島なれども、四方と枝葉が繋がっている自由度があります。

ただ自由度というのは、そこに流入しやすい環境をつくってしまうので、反面よろしくはないですね。

***

今日は昨日と違って、多少曇っていて、暑さもほどほど、風がさわやかでした。
そんな中での自転車の旅は、とても気持ちよかったでしょうねえ。
今の自分は徒歩を基本としていますが、風のさわやかな中、歩くのも良いモノです。
というか、四六時中、歩いてクネクネ迷走し続けるのは、幼い頃も今も変わらないですけど。

ゴウさんも、一番安定した季節のお休みを満喫してください。
そして、また楽しいお便りを待ってますよ。
返信する
迷走します。 (ゴウ)
2014-05-05 02:34:55
かたちんばさんの楽しげな週末の内容につられて書きました。
ぽつぽつ歩くのも楽しいですよね。下町は路地を「迷走」できるのが醍醐味です。

都電荒川線沿いもそんな路地が散見されて、ひとつだけ狭いところを抜けさせてもらいましたが、
やっぱりそういうところは徒歩の方がいいだろうなと思いました。
早く走る自転車だとやっぱり「土足で上がる」っぽいんですよね。

かたちんばさんのおっしゃる「不自由さ」には共感するものをあの一帯に感じました。
おそらく、自分はそこに好感を持ったのかもしれません。
路地もちんちん電車も商店街も河川公園も、線路の下の抜け道も、
いろんなものが駄菓子屋の店内のように詰まったちいさな世界。
そこに夏の光がぎゅっと集められると、ズックの裏も溶けるかもしれませんね(笑)

世界中どこへもつながっている街をYMOに譬えるなら、
箱庭的な街は¥ENレーベルのよさがある?
・・・なんか例えが「迷走」しそうなので失礼します(汗)。
返信する
小さな世界の夢 (かたちんば→ゴウさんへ)
2014-05-05 20:30:42
YMOの名カバーに「ポケットが虹でいっぱい」という名曲がありますが、ゴウさんが話された”駄菓子屋の店先”みたいな世界に、不思議と吸い寄せられます。

40数億人の人と生き物の地球の中、自分という一人の人間は、たまたま何の巡りあわせか?偶然、三ノ輪に産み落とされて、その内部に入っています。
そこには理由は無いはずなのに、なぜか、それをタマシイと言って良いのかどうかは不明ですが、DNAではない奇妙な縁、のような符号を見い出します。
どうして、こんなにも、過去在ったはずの風景と記憶の場所に引っ張られるのか?
不思議でならないと共に、それは偶然と言っては全て終わり的な、必然のようなものも感じます。

パソコンの調子が悪くて、今年撮影した写真が見られない環境だったとき、古い旅の写真を見ていたら「あっ」となったのが、今住む場所を10数年前に撮影していること。
確かに、このあたりは何度となくは歩いていたのですが、その写真のフレームの切り取り方にも、奇妙な符号を見い出しました。

ユングが提示したシンクロニシティを、単なる「偶然の一致」と訳す人が居ますが、実は意味はその逆で、偶然の中に必然がある。
あんまり話すと、イカレている宗教と思われてしまうのも、今人の不幸ですが、どうも、そんなものが確実にある、ように最近思っています。
返信する
因と果、過去と未来(宗教ではありません笑) (ゴウ)
2014-05-05 22:22:48
何度もすみません。内容が大変面白いので。

たしか密教のアイディアだったかで、現在をはさんで過去も未来も同じ場所である、というのがあったと思います。
人間は時間と言う名の道路を車に乗って誕生から死へと移動しているかのように思っていますが、
じつのところフロントから見える景色もリアに見える景色も同じものなんだそうで。

自分も、この世界で出会う出来事はみな、高次元から見晴らせば、べったりとした壁紙のシミのようなものではないかと思っています。
同じ平面の上の絵柄なので、いつ出会おうがもともと「顔見知り」だったというオチにある、と。
それが「必然」なんでしょうかね。

かたちんばさんの撮られた写真も、まんざら関係の無い場所を偶然引き寄せたなんてことではなく、
写真を撮ったのが先でも引っ越したのが先(!)でもどちらでも収まりのつくことなのかもしれませんね。

初めての土地が「なつかしい」というのも、やはり未来が未知の土地ではないということなのかもしれません。
自分とそれらに共通する「におい」のようなものが「因」であり、
そこから過去や未来に向かってばらまかれた諸々の現象や出会いが「果」である、
というのはどうでしょう?

自分は、探していたCDや本は、不思議にちゃんと「出会い」ます。
知らずに手に入れた作品に、好きなアーティストがからんでいた、なんてことはしょっちゅうでした。
かたちんばさんもそうでしょう? そうやって自分の「シマ」は出来上がり、自分のニオイで満たされますよね。
こっちから放射状に蜘蛛の糸を伸ばすようでもあり、また同時に
向こうから集まってくるようでもあり。

細野さん言うところの「同じ宇宙の源泉から汲み取る」(たしか坂本教授の1stのライナーにありました)
といったところでしょうか?
これでちゃんと〆になってくれるといいんですが(汗)、
また長くなってしまいました。

こうして似た「ニオイ」を共有できるこの場がうれしいです。
今日はこれでおいとまします。ありがとうございました。
返信する
「実」のあるお話し、ありがとうございます。 (かたちんば→ゴウさんへ)
2014-05-06 00:59:38
本当に、毎日、こんな話しをしたいものだ、とゴウさんのお話しを聞いて思いました。
実りあるお話しを頂き、ありがとうございます。

昔、大学で真面目に出ていた、数少ない授業(笑)が、「祭と現代生活」だったり、「社会学」だったりしましたが、その先生の本を先般めくっていました。
こないだ工場(こうば)内で、おいちゃん・おばちゃんと一緒に流れ作業をしていて、ふっと、その光景に産業革命のときの絵を思い出して、ひっぱり出して来たのです。

いろいろ考えたのですが、まずは自分が40数年生きてきたことと比較して、たかだかこの数百年の出来事が、如何にそれより前の時代と断絶された異質な世界なのか、を思いました。
”時間”という尺度を気にして暮らす、、肉親と家がありながら、多くの時間を労働に支配され、引き裂かれた状況に至る。
何と言えばよいのか、アタマで理解するのではなく、身に染みて、本にある言葉が体内に流れました。

***

自分にとっての下町・三ノ輪での暮らしは、思えば前近代。
三ノ輪の地に、チェーン店等々が、次々現れるのは80年代。
自分がその地を去った後のことです。

初期のウルトラシリーズには、やたらと侵略者という言葉が出てきます。
三ノ輪に住んでいた頃の中で、その地に何かが現れると、それは侵略者として自分には映っていました。
(ウルトラセブンは未だに素晴らしい傑作と思います。ここに現れる宇宙人は、敵では無い悲しい運命を背負った者たちであるのは、他には無いものと感じます。)

かつて、このブログでそれとなく語ったのですが、今は亡き家の周辺には、この地の下に多くの先人が埋まっている「死のにおい」を感じていました。
何か強い磁力が働いている、と。
最初は、その感情は「自分が産まれ育った特別な場所だから、そう感じるんだ」と言い聞かせていました。
しかし、振り返ってみれば、アラーキーさんの実家とはす向かいにあるは、吉原の遊女が亡くなると無縁仏に入れられる浄閑寺、通称・投げ込み寺。
そこから少し南千住よりに行けば、小塚原の処刑場。南千住で建物を建てようとすれば、ごろごろガイコツが出てくる。
その場で生まれたのがターヘル・アナトミア(解体新書)。
直感というのは、ほぼ当たっているものだと思う、自分なりの事例です。

***

残されし場所を追い求めて、歩いてきた日々ですが、ゴウさんが言うような「100%こちらからの行動」でもなく、結構たまたま当時の感覚で、偶然も重なりつつ、この島に辿り着いた。
ああ、またもや早とちりだろうか・・・とよぎった時もありましたが、その後まったくそういった気持ちを抱くことがなくなったと同時に、逆に「どうして、自分はここに辿り着けたのか?」も、今となっては不思議です。
今の自分は、この地のあちこちに、前近代の結界・魔界が未だに潜んでいる、と感じています。

ゴウさんは言う、「探していたCDや本は、不思議にちゃんと「出会い」ます」という言葉は、実に言いえて妙、だと思いました。
それも「理」ではない、誰もが本来持ちえているはずのものなのでしょうね。
しかし、「理」への傾きが、本来「視えた」はずの備わったものが視えなくさせてしまったのかもしれません。
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