こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年7月16日 土曜日 終わりなき旅 ~7月前半~

2011-07-16 21:08:28 | 写真日和

1日 金曜日

順天堂で一日検査の中、空いた時間にアイスコーヒーを飲みに行くと、たなばたの短冊のかかった竹。




さまざまな祈りが肉筆で書かれ、それを見るうちにこみ上げる気持ち。


隅田川をゆうゆうと流れる船。


神保町の和菓子屋さん。


ジャニス2に寄る。


路地。


少年の頃から30年近く歩く坂を振り向き一枚。

2日 土曜日

むらさきの花。


弁財天碑。

3日 日曜日

ミニひまわりとでもいうようなかわいい花。


夏の夕暮れの空。

4日 月曜日

45歳の誕生日。
ささやかに、夏の暑さを超えるために、うな丼を食べる。
支えてくれた人々に感謝。

5日 火曜日

朝の半熟目玉焼き。


朝の夏空。


つくばから都内にUターンする道でスコールに会う。


南千住では、すでにスコールは上がっていた。


夕飯。海老とピーマンとシイタケの煮た物。

6日 水曜日

たなばたの飾り。

7日 木曜日

たなばたの夜に、亡き相棒2人を想う。
まみちゃん・正ちゃん。
15年前、生後3ヵ月半の手に負えない頃の2人の肖像。


還暦の細野さんの好きなショットを画撮。

8日 金曜日

1週間の仕事を終えて、橋を渡る。


仕事を終えたぼくたちは。

9日 土曜日

金麦とやきそば。


ゴミ屋敷から、1984年夏のFMステーションを引っ張り出す。
定価200円!

10日 日曜日

外は炎天下。


メロン。


鮮やかな花が咲く。


夕暮れのシマ。


夜、テクノドンのライブを見る。

11日 月曜日

「業」


小出裕章先生。

12日 火曜日

つくばに向かう車窓から、夏雲。


都内Uターン時のスカイツリー。


夜の居酒屋。

13日 水曜日

色川武大さんのYOUTUBE。

14日 木曜日

静かな朝の花。


早朝、眠れずに4時起き、仕事場に向かう。


夕暮れの秋葉原。


「おかずガールズ2011」とはよく言ったもの。
実にケバイ。


和泉橋と月。


みなも。


夏の広告。

15日 金曜日

帰り道の読書。


浅草。
東武線のエグい急カーブした線路。


訃報と隣り合わせのラジオ体操案内。


1週間を終えたよろこびのビールとゴンチチの組み合わせは格別。
つまみはいらない。
「南方郵便船」のおおらかさ。


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6 コメント

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Unknown (森下礼)
2011-07-16 22:05:45
「みんなの願いがかないますように。」というのは微妙な言い回しですね。もし意地悪く「みんなの願いがかないませんように。」とすると、
1)「私」以外の人の願いはかなわない
2)でもそれは、「私」の願いはかなったことになり、
3)そもそもの「私」の願いが誤り=パラドックスだったことになる・・・

「私」を除外すればいいのですが・・・
返信する
答え合わせ (さくりん)
2011-07-17 12:40:44
ゴンチチ、よかった合ってました。
すぐには思いつかず、そんな時には○ン○チにあ、い…と五十音順に入れていくアナログな私。
「ゴ」までちょっと時間がかかりましたが(笑)
思い出せない時には訊いてでもすぐに答えを出す方がいいとか、
意地でも自分で思い出した方がいいとか、脳科学者は色々言っていますが
ゴンチチのように「おおらかな」音を聴くと、そんなことはどうでもよくなってしまう。

 * * * * *

今週も、自分が歩いたかのような感覚になれる写真ですね。
木々や花やスコールは匂いがするし、メロンちゃんには触らせて欲しいし、目玉焼きはつつきたくなります。


はっと目を惹く路地。
緑と自転車と井戸端会議と何屋さんか分からないお店…
何気なく在るけれど、今度ここには辿り着けないような、路地の魅力。

てっせん。
花びらが8枚のものは風車という呼び名のようですが、私はこの6枚の方が好きです。
ノウゼンカズラやフウセンカズラと一緒に、実家のジャングル庭にあったなあ。
緑のカーテンとして、盛んにゴーヤが植えられていますが、つる性の植物は他にもたくさんあるのに。
簡単に育ってオマケ(実)付き、で選ばれているのでしょうか。

かたちんばさんの食べ物の写真は、メニューもさることながら、器が気になりますね。
身の回りにお守りのように置かれている小物たちも。
形が揃わないと収納に苦労するので(すでにそんなもので溢れている)めったに買いませんが、
浅草~合羽橋ではいつも飽きずに食器を眺めています。
職場で申請した補助金が通った時には、店のカップを自分の好きな信楽焼の「へちもん」に替えてしまいました。

ご飯がすすみそうな海老とピーマンとシイタケ。
何味でしょうか。
この写真を見ていて食材の「5色バランス」だったか、を思い出しました。

子どもの頃のまみちゃん・正ちゃん。
生後3カ月半でも、まみちゃんには落ち着きというか、風格がありますね。
下にいらっしゃる細野さんのようです。
見た目も性格も違う(ように見えます)ふたりだから、余計可愛らしかったでしょうね。

これが色川武大さん…はじめまして(緊張)。
YouTubeでお目にかかれるとは。

みなも。
夜の明かりを映し、呑みこむ様は、絵のようにも花火のようにも、ロールシャッハのようにも星雲のようにも見えます。

読んでらっしゃる『サプライチェーン』の
「成功体験を捨てよ」に頷き、そして痛み…


~But I still haven’t found what I’m looking for~
休日は、平日に奪われたものの補てんに費やすようですが。
和の小物は見つかりましたか。
返信する
エセ (かたちんば→森下礼さんへ)
2011-07-18 12:46:04
私ははっきり言って、自分がこういうブログなんていう極私的世界に居ること自体が、ウソツキだと思っています。
何も開かれた場所で、自分のことを語る必要なんか無い。
太宰治の親友交勧という小説のごときもの。
「なあ、親友だろ」と人の家に勝手に上がりこみ、カネをせびり、さんざん飲み食いした挙句「えばんな!」と叫んで出て行った「友人」。

太宰が偉いのは、これを静止せずに受け入れること。
そして太宰が言いたかったことは、所詮モノ書きなんてものは、その行為自体が大ウソツキだという事実。

そういう意味でも、ボクのブログは太宰的にもウソで塗り固められたエセ・ブログです。

***

「みんなの願いがかないますように。」

ということからボクが想い出すのは吉田戦車のマンガ「ちくちくうにうに」のうに先生。

うに先生はこう言います。
「私だけが幸せになあれ」。

ボクは、このセリフがとても好きです。
言いえて妙とでも言うのでしょうか。

ボクも正直、愚集にまみれて死ぬのは御免です。
ボクがもし短冊に書くとしたら、うに先生の「私だけが幸せになれ」と書くかもしれません。
それを責められても困る。
というのも、生きることというのは、虚と実が微妙に交錯するものだから。

「本当のことなんて、この世にはどこにも無いのさ」。
どこかで読んだ本のせりふが浮かびます。
返信する
○ン○チ2 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-07-18 13:08:46
オチンチンを想像しましたね。
困ったものです。
というのも、ボクがトラップをかけるつもりではないのに、書いてしまった。
無意識というのは怖いものです。

昨日、タバコを買いにコンビニに行きました。
コンビニの店員は余りにきびきびした子で、さっと「タバコこれですね」とおつりと領収書をすばやく渡したものだから、これで済んだという無意識で、タバコをもらわずに店を出ようとする自分を店員が「お客様!」と呼び止める。

「おお、そうだ。買ったものを受け取っていない。」
ぼけぼけです。

かつて「サブリミナル・マインド」という本を読みましたが、意識では支配できない無意識の要素が実は人の行動の多くを支配している、という事実。
「なぜ、こんなことをしたのか?」意識では理解出来ないことというのは、多々あるもの。

***

ボクは東京の路地というのがとても好きです。
王道を歩く流れを逸脱して、ついわき道に入る。
そこには、ひっそりと匂いのあるものが潜んでいます。

「かたちんばさんの食べ物の写真は、メニューもさることながら、器が気になりますね。」

これは、ほとんどお袋さんから、家を出る際にゆずり受けたもの、もしくは、大阪の独り暮らしの荷物にあったもの。
何でもカネに糸目をかけずにたんまり買うお袋さん。
実家もこのゴミ屋敷と同様、モノであふれかえっています。
血がなすゆえんでしょうか?

「お守りのように置かれている小物たち」とは、なるほど。

何か好きなものを回りに散らばしておかないと安心しない自分を、逆に理解させられました。
よく心理療法に「箱庭療法」というのがありますが、普段の生活自体が箱庭療法のようなものです。

「子どもの頃のまみちゃん・正ちゃん。
生後3カ月半でも、まみちゃんには落ち着きというか、風格がありますね。」

まみちゃんは、メスと間違うほどにかわいかった。目が大きくて。
4匹の中でも、自分の目を一番惹いて、手の上に乗せては、彼が指を噛むのを眺めて楽しんでいたのを思い出します。

「サプライチェーン」に関しては、何冊も昨年後半読み、いろんなセミナーへ行き、ゴールドラットを知り「ここにしか製造業の真実は無い」という熱がいまだに続いています。
その思考方法と熱を仕事の資料に入れるが、なかなか理解されない日々が続いています。
返信する
(^^ゞ(冷や汗) (さくりん)
2011-07-19 02:05:03
私の想像はさておき、世の中はもっと…
実は挫折しかけて試しにネットで検索してみたら、○ン○チ、えらいことになりました(笑)。

かたちんばさんはなぜこのような表記を?
も、実は考えていました。

「無意識というのは怖いものです」
私はあれから、お便りする際にはしつこいくらい名前の確認をしています…

そういえば言い間違いの多い友人が、それは間違いではなく深層心理なのではと
「言い間違いの心理」というテーマで論文を書いていました。

箱庭療法ですか、なるほど。
手を遣うのが好きなかたちんばさんの自己表現の延長とも言えそうですね。
そう考えると、表現とセラピーは密接で、
セラピーが良くも悪くも進むにつれて作風も変わってくるのかもしれませんね。

私は大学の絵画療法の実験で「実のなる木」は描けたのに、「家」と「ヒト」に異常に手間取り(まるで別人が描いたような)、
自分の欠落部分を改めて思い知ったものです。

 * * * * *

「Save a prayer」は、垢ぬけた『Rio』の中でも特に名曲ですね。
デュラン・デュランはニューロマンティクスに市民権を与えた重要な役どころだと思いますが、
そのポップさと、まさに「ヴィジュアル」がアダとなって、正当な評価を得られていない気がします。
私は3枚目に入っている「Tiger Tiger」が好きです。
FMfanにあったような、「丘の上から眺める異国の地」に連れて行ってくれる。
返信する
隠喩 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-07-20 00:39:14
『かたちんばさんはなぜこのような表記を?』
ほんとはゴンチチを紹介しようと思っていて、取っておこうと思ったのです。
しかし、○ン○チと書いた後「ん~違和感あるなあ、でもまあいいか」となったわけです。

『言い間違いの多い友人が、それは間違いではなく深層心理なのでは』
それは興味津々な研究。
サブリミナルが怖いのは、刷り込みが現実を支配する点。
日本映画で、松田聖子の元夫が出た映画で、これをテーマにした怖い映画がありました。
また思い出すに、らせんかリング(貞子)で顔にタオルを掛けて、指をある方向に刺し示すシーンの元は、宮崎勤が現場検証する映像からの引用という実話。
音楽にもこういった例があります。

***

箱庭療法とは別に『カウンセリング』というものがありますが、私はあれはフロイトの嘘八百と最近思っています。
実は何も解決しない。
私は、フロイトを知った大学時代から信用していません。
余程、変人・神秘主義者と批判されたユングの方が深い。
順天堂含めて西洋医学で解決しようとする行為を、本質では信用しない。
先日、担当医に『薬貰う以外に、この診察にどんな意味あるの?』と突き付けたら答えに窮してました。

理屈・理念でくくられない外側に真理がある。
誰も『私自身』の内界には触れられない、というのが究極の事実。

シャブ中もサイコパスも一生治らないのも事実。

***

『Rio』には「ザショーファー」という名曲もありますね。

「デュラン・デュランはニューロマンティクスに市民権を与えた重要な役どころだと思います」
最もポップだったんでしょう。

私はヴィサージが、クラフトワークと共に『ハウス』の原型だとも思っています。

私は3枚目は、かなりアダルトしようと背伸びしたと思っています。
サイモンルボンの歌い方にそれを感じます。

ありきたりですが、私は「ニュー・ムーン・オン・マンデー」が大好きです。
あのMTVの花火そのものが、本人らも知らず知らずに演じた隠喩(サブリミナル)そのもののように思います。
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