私が、カルチャークラブに初めて出会ったのは「視覚」では無く、「聴覚」でだった。
また、重苦しい個室で地下生活者のような机に1つの灯りをともす1982年の漆黒の夜。
静かな部屋で、ヘッドフォンでチューニングし、録音し続けた「クロスオーヴァー・イレヴン」から「Do You Really Want To Hurt Me」という曲が流れて、トリコになった。
その日の放送は、マイク・オールドフィールド、シンプルマインズがかかり、忘れがたき夜だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/4e/3fd17cc583b448137e27fd1257592ec5.jpg)
私は、1982年4月FM東京の夕方16:00に始まった「貿易風の彼方から」という番組を毎週月曜日楽しみにしていた。
ここでかかった南洋の音楽にトリコになる中、南洋の音楽とニューウェイブがミックスされた「ファンカラティーナ」(ファンク+ラテン)というムーヴメントがロンドンで起こり、その系列の1つとしてカルチャークラブ初期(1枚目のアルバムに入っている曲)の音があった。
実は、カルチャークラブのヴィジュアルを目の当たりにしたのは、音楽を聴いた後でのことだった。
そこで、同じ男性(ボーイ・ジョージ)に恋をしてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/2e/2240ab95ef913caf3510194ab556e98e.jpg)
ドラムのジョン・モスくんと「良い仲」と聞いて嫉妬したっけ。
カルチャークラブ1枚目「Kissing to Be Clever」に入っている曲の中から、ファンカラティーナ的なポップな1曲を選ぶとしたら「I'll Tumble 4 Ya」でしょうか・・・。
当時、批判的な視点で彼らの音楽を語る人が居たが、ファンだから言うのではなくして、ボーイ・ジョージという「ポップ・スター」は、単なるアダ花ではなくて、ホモセクシャルという侮蔑的差別と偏見を超えて、偉大なる存在だった。
今でも、ボクはそう信じている。
また、重苦しい個室で地下生活者のような机に1つの灯りをともす1982年の漆黒の夜。
静かな部屋で、ヘッドフォンでチューニングし、録音し続けた「クロスオーヴァー・イレヴン」から「Do You Really Want To Hurt Me」という曲が流れて、トリコになった。
その日の放送は、マイク・オールドフィールド、シンプルマインズがかかり、忘れがたき夜だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/4e/3fd17cc583b448137e27fd1257592ec5.jpg)
私は、1982年4月FM東京の夕方16:00に始まった「貿易風の彼方から」という番組を毎週月曜日楽しみにしていた。
ここでかかった南洋の音楽にトリコになる中、南洋の音楽とニューウェイブがミックスされた「ファンカラティーナ」(ファンク+ラテン)というムーヴメントがロンドンで起こり、その系列の1つとしてカルチャークラブ初期(1枚目のアルバムに入っている曲)の音があった。
実は、カルチャークラブのヴィジュアルを目の当たりにしたのは、音楽を聴いた後でのことだった。
そこで、同じ男性(ボーイ・ジョージ)に恋をしてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/2e/2240ab95ef913caf3510194ab556e98e.jpg)
ドラムのジョン・モスくんと「良い仲」と聞いて嫉妬したっけ。
カルチャークラブ1枚目「Kissing to Be Clever」に入っている曲の中から、ファンカラティーナ的なポップな1曲を選ぶとしたら「I'll Tumble 4 Ya」でしょうか・・・。
当時、批判的な視点で彼らの音楽を語る人が居たが、ファンだから言うのではなくして、ボーイ・ジョージという「ポップ・スター」は、単なるアダ花ではなくて、ホモセクシャルという侮蔑的差別と偏見を超えて、偉大なる存在だった。
今でも、ボクはそう信じている。