こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年6月2日 土曜日 とある日・とある時間の出来事

2012-06-02 22:24:11 | 音楽帳


昨日は、つくばで午後仕事。
「こんにちわ」。
いろんな人とあいさつ・会話。

そして、青空。
「暑いですねえ」。
一服タバコを吹かしながら。
現場の人と他愛も無い話をすれば、得る話も多く、笑顔と安らぎ。

寸前まで晴れていた。
数分後、急に雨雲(レインクラウド)が一気に空を覆いだす。
そして、土砂降り、というかスコール。
亜熱帯の今。

***

一仕事を終えた足で、その雨を縫って、走って別の場所に移動。
移動した別の先で、2人で打ち合わせ。
コストをめぐり、どう対応しようか、という相談。

すると、ガーンという響き。
共にカミナリだと言ったが、そうではなくて地震だった。



しばし、2人沈黙。

いきなり話は絶たれ、一体、自分らは何をしているのだろうか?
という感覚にとらわれる。

そこまで2人で話し、詰めてきた合意形成の経過は、結論へ一気にいたる。
その後、2人で、コストより安全だ、という結論に至った。
コストなんか、今判明している「であろう」砂上の楼閣。
それより、コストを落としたことに拠る迷惑や事故を考えれば、何より安全。

地震を境にした会話の経過と結論。
とある日の経験。

***

地震が、モチベーションを一気に下げさせる。
「がんばろう」というコトバは、有効な場面と・名目だけのコトバに成り果てる場面がある。
時々刻々と自然が変化するように、場面場面でコトバは、その意味合いを変化させていく。

この14ヶ月の間で、「がんばろう」なるコトバが、実に安易で残酷で欺瞞に満ちた場面を見てきた。

***

自然の摂理に、ニンゲンさまが勝てるわけが無い。
ニンゲンさまの偉ぶったエゴ。

マスコミ用語として常用される「安全神話」「危機管理」というコトバ。
西部邁先生の話に納得したのが、「危機」=クライシスを「管理」するという「危機管理」というコトバには矛盾がある、という話。
「管理」出来ないから「危機」=クライシス。
相反する熟語が合体されている。
なるほど、と思った。

人間が、自然に対して制御可能だというウソ。
事故を防ぐための方法論は、積み上げていくべきとしても。
しかし、それで全部が制御出来る、と思い込むこと自体が、単なる非現実の「神話」。

***

よく感じる「ピシッ」「ミシッ」というラップ音。
地球が鼓動している感覚が伝わる。

自然と自分との関係に、するどい感覚を持った細野さん。
YMOの「BGM」には、「ラップ」という音楽手法の1つと、霊的事象を含めた「ラップ」を結びつけた「ラップ現象」という曲ある。
自分が、大好きな低音の細野さんのナマの声。

しかし、当時、細野さん自身が自分の声が嫌いだったという。
その細野さんの声が、この曲でも機械で変調されている。

YMO 「ラップ現象」(アルバム「BGM」より)1981■
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2012年6月2日 土曜日 スケッチブック -茶介と”わたし” 198704 -

2012-06-02 13:52:12 | 音楽帳


1987年4月のノートに描かれた茶介と"わたし"。

2012年6月のとある土曜日。
愛するチャイナ・クライシスの「ヒア・カムズ・ア・レインクラウド」を聴く。

■China Crisis 「Here Comes a Raincloud」'83■
コメント (7)
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